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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2010年04月02日

それは統計的に意味がありません

私は「一事が万事」という言葉が嫌いです。
なぜならば、それは思考停止のひとつである『軽率な一般化』を意味するからです。
たとえば、ひとつの行いだけを見てその人を「あいつはこういうヤツだ」と決めつける行為などがそれに該当します。
まあ、「一事が万事と一般的に見られがちなので、自分の言動や行動には注意しなければ」のように使うのであれば問題ないのですが、こうした使い方をする人は希でしょう。
さて、私たちは、しばしば少ないサンプルからこうした『軽率な一般化』を行ってしまいます。
私自身も、たとえば民主党の生方副幹事長解任騒ぎなどのニュースから、「やはり小沢幹事長の恐怖政治が」と考え、その後で「いかんいかん。このことだけで決めつけるところだった」と自身の思考停止を反省することはよくあります。
そしてこうした『軽率な一般化』は、前述のような「人を見かけだけで判断してしまう」「ひとつのニュースだけで一事が万事と決めつけてしまう」ようなケースだけでなく、我々が仕事の場面で行う様々な分析・判断でも起こりえます。(というか確実に常態化しています)
本来もっと広く情報を集めて考え、なんらかの答を導き出す場面で、身近かつ極端な数少ない事例を一般論にすり替えてしまうわけですね。
その具体例として、私が研修・セミナーで行っているフェルミ推定の演習でお話ししましょう。

たとえば「我が国で一年間に販売される個人向け中古パソコンの台数は?」という問いをグループ演習で取り組む際、本来最初に考えるべきことは、「どのような計算式でこの数字を導き出すことが出来るか」です。
たとえば【年間の個人向けPC販売台数×中古機の割合】などですね。
そしてさらに計算式をブレークダウン、つまり因数分解を行い、各因数に何らかの数値を当てはめれば答は出せます。
ところが、各因数に当てはめるべき「何らかの数値」をどうするか?
ここで多くの人が思考が止まってしまいます。
ここでのコツは、「誰もが知っている数字で使えるものはないか?」と考えることです。たとえば「日本の人口」は誰もが知っていますから、これを使うのです。
ですから因数分解する際も、「知っている数値が使える計算式」を考えるのがポイントです。
また、分からない数値も「別の知っている数値との比較論で考える」ことで、だいたいこのくらいだろうと目算を立てることができます。
たとえばPCの普及率を知らなくても、「携帯電話は9割を確実に超えている。だとするとPCはもう少し低いはずだから85%くらいでは?」と考えるのです。
いかがでしょう。
わからない、知らないことでも、こうして何らかのロジックを組み立てれば、正解かどうかは別として自分なりの答を出す、つまり推定することは可能なのです。
だからこのフェルミ推定は、論理思考力の評価として入社試験などでよく使われるようになっているわけですね。また、同様の理由から論理思考力のトレーニングツールとしても適しています。
話を戻しましょう。
本来はこうして論理的に各因数の数値を当てはめていくべきなのですが、しばしば間違った方法を採る場合があります。
それがまさに「身近かつ極端な数少ない事例を一般論にすり替えてしまう」ことです。
今回のケース言えば、グループで考える際にこういうことをやってしまうわけですね。


「はい、じゃあ中古でPCを買ったことがある人は手を挙げて!」


これ、フェルミ推定ではもっともやってはいけないことです(笑)
考えてもみてください。
5人のグループだとして、誰も手を挙げなかったら「我が国に個人で中古PCを買う人はいない」と言えますか?
手を挙げた人が1人なら中古機購入率は20%、2人なら40%と日本全体に当てはめて考えられますか?
「複数の数値データから、なんらかの法則性を帰納的に見出すこと」、つまり”統計”という分析手法が意味を持つためには、統計データ(サンプル)には2つの条件があります。
それは「サンプル数が多いこと」と「サンプルに偏りがないこと」です。
もうおわかりですね。
5人ではサンプルが少なすぎるし、会社での3年目研修だったとしたら、サンプルの偏りも甚だしい。
これではそのデータ(グループ内における中古PC購入率)は統計的に何の意味も持たないのも当然でしょう。


さて、「アタリマエだよ」と思われたあなた。
確かにフェルミ推定ではこんな過ちは犯さないとしても、日常の分析・判断において結果的に同じような過ちを犯していないと断言できますか?
自分が付き合った数少ない先方の担当者への印象から、「あそこの会社はこういう会社」と決めつけたりしていませんか?
競合他社があるやり方で売上を伸ばしたという1つの事実から、「ウチもそれをやればいいのに」と考えたことはありませんか?
これらも全て『軽率な一般化』であり、「一事が万事」という思考停止のあらわれです。
私も例外ではありません(笑)
お互いに「これは統計的に意味があるだろうか?」と時には自問自答し、誤った分析・判断をしないようにしたいものです。




文系である私は、実は数字が苦手です。
今さらながら、“数学的論理思考”の必要性に気づき、修行の最中です。
なので、次回もこの“数学的論理思考”をテーマにこのプログを書いてみようと思います。
ご質問、ご意見、ご批判、そして激励(笑)も大歓迎です。

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