KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2006年11月08日

ホワイトボードは必須です。

というのはもちろん会議においてです。
私などは、ちょっとした打合せでもホワイトボードが無いと落ち着きません。ホワイトボードが手近に無いときには、ノートやコピーの裏紙を真ん中に置いて、そこに描きながら議論しています。
しかし残念なことに、ホワイトボードを使った会議が世間に浸透していないのが現実です。
転職した私の知人からも、「転職先の会議室にホワイトボードがなくて驚いた」という話を聞きましたし、私自身も最近こんな経験をしました。


講師も、いや講師だからこそ日々の勉強が大切、ということでMCCで開催中のあるセミナーに、いち受講生として参加した時のことです。
途中でグループディスカッションがあったのですが、私はいつものように(グループの数だけ用意されていた)ホワイトボードに、メンバーの意見を書き始めました。
意見がいろいろ出てくると、切り口も見えてきます。「そうするとこれは個人が組み込むものと、組織が組み込むものとに分けられますよね?」というように。
こうして見えてきた切り口がホワイトボードに書き込まれ、それを見ることで、新たな意見を思いつく方がでてきます。そしてその方の意見がホワイトボード上に可視化されると、それを見た別の方から新たな意見が・・・。つまり、触発の連鎖が生まれていたわけですね。
さて、タイムアップとなって議論を終えて周りを見ると・・・
ホワイトボードを使っていたのは私達のグループだけでした。
セミナーのあと、事務局とこんな話になりました。
「みんなホワイトボードはあまり使わないんだね」
「うーん、問題解決のような議論と違って、目的が情報交換だからじゃないでしょうか?」
なるほど、一理あります。しかしそこで私は思うのです。
「もったいない」と。
事前に考えてきた意見を披露して共有する、ことを否定したいのではありません。ホワイトボードを使うと「もっと良くなる」と言いたいのです。
問題解決であれ情報交換であれ、Face to Faceで議論するのは、そこで触発が生まれることを期待しているはずです。自分だけでは思いつかなかったことが、他者の意見に刺激されて出てくる、つまり「三人寄れば文殊の知恵」が、議論の重要な意味ではないでしょうか。
もちろんホワイトボードが無ければ、全く触発が起きないわけではありませんが、聴覚だけでなく視覚情報も駆使すれば、さらに触発が起きやすくなるのは自明です。
耳だけに頼った空中戦での議論では、重要なキーワードもシャボン玉のように消えていき、メモという形で個人でこっそり残るだけです。また、論旨が取り違えられたままになっていても、誰もそれに気づきませんし、指摘してくれません。ましてや、触発に繋がる切り口を有効活用するのは困難です。
皆さんも子供の頃、「アタマで考えるだけじゃなくて書きなさい」と言われませんでしたか?
新入社員の時に、「ちゃんとメモをとれ!」と怒られた経験はありませんか?
こうしたお小言には、「忘れないために(というより、忘れても大丈夫なように)書け」という意味があるのは当然ですが、「書く(そしてそれを見る)ことで思考は活性化するから書け」という意味もあるのです。
一人で考える際に可視化(書くこと)が有効ならば、複数人で考える、つまり議論する際には、さらに大きな効果が望めます。自分以外の様々な視点がそこには存在するのですから。
さて、これは私からのお願いです。
明日からの会議では、必ずホワイトボードを使ってください。別に模造紙でもパソコンでも構いません。「目に見える議論」になればいいのです。
そしてその描き方ですが・・・
それはまた次の機会に(笑)

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