KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2011年03月23日

日はまた昇る:3つの根拠

こんな時期にどのような内容をブログに書くか、正直悩みました。
本ブログのタイトル通り、ビジネス・スキルについて書こうかとも思いました。
しかし不謹慎かどうかということでなく、私自身の精神状態がそれにブレーキをかけました。
そしてたどり着いたのが、「ビジネスパーソンの方々に自信を持ってもらうことを語る」ことでした。
それが社会人教育の講師としてお役に立てることのように思えたからです。
ただの自己満足かもしれません。
しかし私は今回お話しする内容に自信を持っています。
今回の震災は我が国に、そして国民一人一人に試練と呼ぶにはあまりにも過酷な現実を生みました。
しかし日本は大丈夫です。
逆にこれをきっかけに私たちはまた一段上に登れると考えています。
「日はまた昇る」
その根拠は3つあります。

(1)日本人であることの自負と自信が生まれた
海外メディアが驚きを持って伝えているように、震災後の私たち日本人の行動はそのほとんどが賛辞に値する素晴らしいものです。
「なぜ暴動や略奪が起きない?」「なぜ譲り合える?」「なぜ整然と静かに列を作って待てる?」
どちらかと言えば反日の色のある中国や韓国でも「日本人に学ばなければ」との声が多く出ています。
こうした海外からの反応で、日本の国民性の素晴らしさを再認識した方も多いでしょう。
しかしこうした素晴らしい行動の源は、よく言われるように日本人が大人しいからでも我慢強いからでもないと私は考えます。
思うに、我々日本人は「プラスの相対化が習慣化している」のではないでしょうか。
もっと具体的に言えば、「自分は○○に比べれば恵まれている」「○○の時と比べればこのくらいたいしたことない」と思えるということです。
 
だから略奪なんか(一部の不心得者を除けば)起きないし、みんなで支え合うことができるのです。
そしてさらにその背景に「いただきます」「ごちそうさま」に代表される『普通のことをありがたいと考える』習慣があるように思います。
そもそも『ありがたい』とは『有り難い』であり、「めったにない」ことを意味します。私たちは三度の食事という日常生活のワンシーンですら、幼い頃から「こうして食べられるのは本当に有り難いことだ」という意識が刷り込まれているのです。
これは強い。
どんな試練にも耐え、どんな逆境も跳ね返す力が私たちには備わっているのです。
これをまず自覚しましょう。


(2)情報リテラシーが格段に向上した
 
今回は地震や津波という直接的な被害だけでなく、原発事故という(特に唯一の核攻撃を受けた国民として)全国民の不安要素もあります。
何を信じればよいのか?
何が自分にとって、また被災者にとって有益な情報なのか?
それに意識を集中させて、被災地ではない方々もテレビのニュースやインターネットから情報収集をしたはずです。
今だかつて日本国民がこれだけ「自分なりに考えて」情報に相対したことがあったでしょうか?
たぶん多くの国民は国やメディアからの情報を「ふーん、そうなんだ」としか受け止めていなかったはずです。情報に対して非常に受動的だったと言えるでしょう。
しかしそれが変わり始めた。
そしてTwitterやFacebookなどのソーシャルメディアがそれを加速させました。
老若男女がソーシャルメディアで情報を収集して解釈し、自分も(独自の情報でなくてもTwitterのRTなども使って)発信しました。
そして職業や地域を越えて繋がることで、さらに情報は別の意味を持ちました。
一部の既存メディアは未だに「ツイッターはデマが多い」などということを言っていますが、そのようなデメリットを補って余りある成果(たとえば支援物資の調達など)を上げています。
私は、情報リテラシーとは単に様々なメディアとツールを使えるようになることではないと考えています。
最も重要なのはメディアやツールを使って「どのような成果を上げられるか」であり、次に重要なのが「思考とコミュニケーションをどう活性化させるか」です。テクニカルな部分はユーザーインタフェースと練習でどうとでもなりますからたいした問題ではないのです。
この国難を通して、私たちはどの国にも負けない情報リテラシーを手に入れたと言えるでしょう。


(3)社会インフラに対する知識レベルが高まった
情報リテラシーの向上の間接的成果が「日本人が(特に社会インフラに関して)賢くなった」ことです。
連日の福島原発報道で、私たちは間違いなく「原子力発電について最も詳しい国民」になりました。また、その背景にある電力・エネルギー問題の構造とそれに関わる政治についても学んだはずです。
そして帰宅難民になることにより交通インフラのこと、買い占めが問題になることにより物流や生産のことも。
今までもこうした報道はされていたのです。ところが多くの国民は「自分には関係ない」として聞く耳を持っていなかった。つまり学ぶ姿勢がなかったのです。
ところが今回の震災でこれらが「自分事」であることに私たちは気づきました。ようやく当事者意識が、そして学ぶ姿勢ができてきたのです。
いかに日本人が「苦労せず、なかば無意識的に」様々な社会インフラから恩恵を受けていたかを痛感し、「これはちゃんと勉強しておかないとマズい」ということが理解できたのです。
今後はエネルギー問題を中心に、国民的議論が進むでしょう。
そしてそれはエネルギー関連の日本企業の技術向上の機会でもあります。
この震災を経験した若い世代からも、こうした分野を志す人が出てくるでしょう。
私は特にそれに期待しています。
元々国土が狭く天然資源に乏しい我が国において、”人材”こそが資源だったはずです。
この震災を機に国民全体で賢くなりましょう。


以上、日本が再び立ち上がり、震災以前よりさらに素晴らしい国として高みに昇ることができる根拠を示しました。
皆さんひとりひとりが、周りの大切な人と日本という国のために何ができるかを考えるきっかけになればこんなに嬉しいことはありません。


さて、社会人教育の分野では「修羅場経験が人を育てる」とよく言われます。
まさに今回は国家レベルの修羅場です。
これを乗り越えれば、必ず私たち日本国民と日本はさらに成長できると信じています。


自信を持ちましょう!

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