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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2011年04月01日

門出の君へ ~「怖い」とのつきあい方

『震災からの復興』を語るにはまだ早いのかもしれません。
今私たちは「何かをお祝いする」気分にはなかなかなれないでしょう。
31日15時時点で死者・行方不明者は約28,000人であり、ご家族の方の喪失感は計り知れないものがあります。
また、福島第一原発の事故は現在進行形であり、私も含め不安な日々が続いています。
しかし、4月は多くの方の”門出”でもあります。
社会人としての一歩を踏み出す方。
そして入学・入園を迎える方。
今日は、そうした方々に私なりのエールを送りたいと思います。
それもこんな時期ですから、あえて「怖い」という感覚について考えてみましょう。

皆さんは本当にたいへんな時に門出を迎えることになりました。
社会や学校という新しい世界に飛び込んでいく時、しばしば「荒海に漕ぎ出す」という表現を使いますが、今年ほどこの表現がふさわしい時もないでしょう。
まさに「嵐が吹き荒れる海に舟を出さざるを得ない」と言えます。
「ついてないな」と思われているかもしれません。
今回の震災で直接的な被害がなかったとしても、期待より不安の方が大きい方も多いでしょう。
確かに福島原発の事故による放射能汚染、またそれに伴う電力問題、そして日本経済に与えるダメージと、あまりにも不確定要素が大きい。
これで不安にならない方がおかしいのです。
不確定要素が大きい、つまりこれから進む道の先が見通せない時、そしてうっすらと見えている足下も泥濘(ぬかるみ)である時、私たちはなかなか前に向かって歩くことができません。
「道が途中で途切れていたらどうしよう」
「泥濘がどんどん深くなっていったらどうしよう」
「本当にこの道でいいんだろうか」
「引き返した方がいいんじゃないだろうか」
こう考えたとしても、「自分は臆病だ」と恥じる必要はまったくありません。
怖いものは怖いのです。
「なにものも怖れない」人など存在しませんし、万が一いたとしてもそんな人はこの世の中で生きていくことはできません。(「クルマがなんぼのもんじゃ」と平気でどこでも道を渡ったり、「警察など恐るるに足りん」と平気で犯罪を犯し、そして逃げようともしない人などいませんよね)
「何かを怖れること」は人間だけでなく、全ての動物に備わっている生存本能なのです。
ただ「なんでもかんでも怖がる」だけでは、この世の中で生きていけないのも事実。(食べることや眠ることさえ怖れてしまいますからね)
だから私たちは、この「怖い」という気持ちを無意識的にコントロールしています。
「これはこのくらいまでなら大丈夫」
「これは実は怖くない」
「確かに怖いがその確率は低いし、いつそうなるかもわからないから怖がっていても無駄」
といった具合に。
では、どうして私たちはこうして「怖い」をコントロールできるのか。
それは「どのくらいまでなら大丈夫か」や「どっちの方が怖いのか」などを『学習』しているからです。自分の経験や誰かが教えてくれることによって。
だから「何をどのくらい怖いと感じるか」は、「どのような怖い経験をしたか」と「誰からどう怖いと教わったか」によって人それぞれ違ってくるのです。(持って生まれた性格によっても個人差はありますが、これは変えにくいのでここでは触れません)


さて、私たちがどうやって「怖い」という気持ちをコントロールしているのかをお話ししましたが、これらを踏まえて「門出を迎えた皆さんに伝えたい」ことが3つあります。


(1)「怖い」ことを遠慮なく周りに伝えてください。
先にお話ししたように自身の経験と他者からの情報(教育)によって私たちは学習します。
中でも私たちはどうしても自分の経験を重視しますから、どうしても「今までに経験したことのないこと」については「怖い」と感じます。
でも、「案ずるより産むが易し」と言われるように、一度経験したら「なんだ、別に怖がる必要なんてなかった」ものも多いのです。
だから遠慮なく周りの人に「怖い」と言いましょう。
きっと誰かが「怖くないよ」とか「確かにね。だからこういう点に気をつけてやってごらん」と教えてくれます。
これが「怖い」をコントロールする近道です。
こうした『他人の経験から学ぶ』ことは、他の場面でもとても重要です。
仕事でも何でも、私たちはひとりでは何もできません。
あなたの周りの先輩や上司、先生達も、こうして成長してきたのです。
今回の震災で、あなたも『支え合うこと』の大切さを実感したはずです。
今は支えてもらいましょう。
その恩は、何年後かに今のあなたと同じ立場の人を支えることで返せばよいのです。


(2)「怖い」と感じた後どうするかは自分で決めてください。
「怖い」を表明し、周りの人に助言をもらったとしても、結局どうするかは自分で決めるしかありません。
たとえ失敗したとしても、「大丈夫って言ったじゃないですかー」と他人のせいにするのは卑怯者の言い分です。
たとえ命令されたとしても、あなたには『やらない自由』『断る権利』もあるのです。
怖いから引き返すのか。
怖くてもやってみるのか。
怖いから別の道を模索するのか。
この3つから選択するのはあなたです。
ずっと立ち止まっているわけにはいきません。
指示や命令されないと何もできない人間になりたくないのであれば、これを忘れないでください。


(3)「怖い」と感じる気持ちを忘れないでください。
時が過ぎ、経験を重ねることによって、いずれあなたは今「怖い」と感じることが怖くなくなるでしょう。
でもそれはあなたの成長の証であると同時に、危険な兆候でもあります。
「慣れる」ことは油断を生みます。
だから、折りにつけ「これは本当は怖いんだ」と自分に言い聞かせることはとても大切です。
怖いと感じていた気持ちを思いだし、その時の周りの人の言葉を思い出しましょう。
そう、これが「初心忘るるべからず」なのです。
また経験の問題だけでなく、”時間”はすべての感情を薄めます。
悲しみが時の経過とともに薄れていくのは精神衛生上のメリットと言えるでしょうが、「怖い」という感情が薄れていくのは「危機に対する感覚が鈍る」ことにも繋がります。
終始ピリピリしていては気が休まりませんが、少なくともアンテナを様々な方向に張り、どんな危機が今あるのかは日常的に意識しておく必要があるでしょう。
あなたが今「怖い」と感じていることが、10年後にはもっと怖いものになっていないという保証はどこにもないのです。


さて、せっかくの門出ではありますが、あえて「怖い」とということについて考え、そしてあなたへのエールとさせていただきました。
確かにあなた達はたいへんな時に門出を迎えました。
しかしあなた達は、今までの誰も経験できなかったことができる時に門出を迎えたとも言えます。
これはある意味チャンスです。
平穏な時期が続いていた時に門出を迎えた人とあなた達、同じ5年後にどちらの方が成長しているか、考えるまでもないでしょう。
だから今門出を迎えたあなたにあえて言います。
おめでとう。

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