KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2011年05月27日

『表面的な議論』を打破するには

今週は研修続きでなかなかハードな日々でした。
さらに体調不良(風邪の末期症状の咳)が加わって、かなり疲れてます。
とはいえ今夜も丸の内での公開講座がありますので、もう一踏ん張りです。
決して手は抜きませんのでご安心を。(って誰に言ってるんだ?)
しかし多少愚痴っぽくなってしまいましたが、仕事が忙しいのは本当に有り難いことです。
今後ともよろしくお願いします。


…と「もう終わり?」という書き方をしてしまいましたが、本日はその今週の研修で考えたことについてお話しさせていただきます。
それは某社でのファシリテーション研修でした。

ファシリテーションに限らずビジネススキルは「実践を通して身につける」ものですから、この研修でも最後は当然演習です。
ひとりひとりがファシリテーターとなり、決めたテーマで会議設計シートで議論のリソースとプロセスをデザインし、短い時間ではありますが実際に議論をファシリテートします。
ひとり終わる毎にチームのメンバーからフィードバックをもらい、全員が終わったらチームで全体の振り返りを行って今後の課題を明確化します。
その演習、私は甚だ不満でした。
一言で言えば『議論が表面的』なのです。
ちょっと見た感じでは皆さん楽しそうに議論しています。
講義で紹介したツールやテクニックもできるだけ使おうとしてくれています。
しかし…全体的にあっさりしているのです。
他者の意見に「そうだよね」と同調するばかりで反論も出ない。また、「なんでそう思うの?」といった掘り下げも行われない。
また、個別フィードバックも通常10分程度はかかるのに、今回は3分もかからない。
「このテーマは難しかったですかね」「そうですね」程度しか出てこない。
たまらず途中で受講生にストレートに疑問をぶつけました。
「なぜもっと突っ込まないのか?」
「たとえば『なぜそう思います?』のように深掘りしようとしないのか?」
 帰ってきた答は…
「社風です」
ちょっと目まいがしました(笑)
先日このブログでもお話ししたように「コンフリクト(揉め事)を怖れるな」ということも講義ではお話ししていたのですが…
しかしこの表面的な議論は、本当に「社風だから」なのでしょうか。
私は単なる社風、つまり「揉め事を起こさないことが優先され、遠慮するのが習慣化している」だけではないと考えました。
ですからそれもストレートにぶつけました。
「皆さんは『考えていない』だけではないのですか?」
なんと失礼な質問でしょう(笑)
でも、議論を見ている限り、私には彼らが遠慮しているようには見えなかったのです。
「他人の意見を聞いて、『なぜそういう意見をするのだろう?』と疑問が湧きませんか? 湧かないとしたら、それこそ『考えていない』ことの証ではありませんか? 特にファシリテーター役が、そんな簡単にメンバーの発言を(ホワイトボードに書いてはいても)その字面のまま受け取るとは何事ですか!」
「フィードバックもそうです。他者の意見にすぐ同調するというのは、考えることに手を抜いていることの証です。どうして時間をちゃんと使って、自分とメンバーの議論の進め方の良かった点や悪かった点について掘り下げないのですか?」
そこからようやく彼らの議論は少し変わりました。
ファシリテーター役でない時も「あえて反論してみよう」という動きは出てきましたし、少しずつ深みのある議論になってきました。
また最後の振り返りでも
◆ファシリテーターがあえて逆の意見を出す。
◆「なあなあ」でなんとなくすんなりとした議論にならなすように、言葉の定義や現状認識など、議論の善意条件を明らかし、共有する。
などの具体的課題が出てきました。
私もそれに『表面的議論に陥らないためにファシリテーターが気をつけること』として2点付け加えました。
1.メンバーの意見をその字面のまま受け取らず、その意図や背景を一度は読み、時に確認する。
 →「なぜこの人はこの意見を出したのだろう?」
 →「本当に言いたいことは他にあるのではないか?」
 →「この人の『真意』はどこにあるのだろう?」
2.あえて突っかかる。または挑発する。
 →「本当にこれでいいんですか?」
 →「うーん、全然面白い意見が出ないですね」
 →「皆さん本当に考えてます? 手を抜いてません?」
 →「皆さんってこの程度のことしか思いつかないんですか?」


習慣とは恐ろしいものです。
周りに適当に合わせていると、それに慣れて頭を使わなくなります。
「頭を使わない」ことって、とても楽ですから。

メルマガ
登録

メルマガ
登録