KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2007年04月18日

新入社員のみなさんへ

4月に入ってからというもの、連日の新入社員研修に追われていましたが、ようやく一息。(5月の連休明けにもう1社ありますが)
おかげでブログも先週は更新できず申し訳ありませんでした。
そういう時期でもありますので、今回は新社会人として新しい一歩を踏み出した方々に、私からささやかなアドバイスをさせていただきたいと思います。
さて、今さら言うまでもなく、仕事はひとりでやるものではありません。
上司や同僚、関係部署をパートナーとした、共同作業で行うものです。また、時にはクライアントや協力会社が共同作業のパートナーとなることもあるでしょう。
そしてそのパートナーには、実に多様な「人」がいます。
今までは教師や先輩という一部の選択の余地のない人を除けば、気の合う人を友人として選び、そしてつきあっていれば良かったかもしれません。
しかしこれからは気の合う/合わないに関わらず、様々な人とつきあわざるを得ません。特に年代的にみなさんよりかなり上の「オジサン」連中は、なかば異星人のように感じられるでしょうし、どうつきあうべきか頭を悩ませることでしょう。
「あんたの考えは古いんだよ!」
「なんでこんな細かいことにいちいちウルサイんだ?」
と心の中で叫ぶことも、これから何度でもあると思います。
しかしちょっと待ってください。
彼らは、あなたの“敵”ですか?
少し冷静に考えれば、どんなに古くさい考えから抜け出せず、細かい小言が多いとしても、彼らはみなさんのパートナー、青臭い言い方をすれば“仲間”であることはおわかりでしょう。
しかしかく言う私も、若かりし時代にはそれが理解できていませんでした。


《エピソードA》
「この見積もりの根拠は?」と上司に問われ、「競合がこのくらいの価格でくると考えて…」と返すと、「本当に今回の商談は価格だけで決まるのか?」と突っ込まれる。
心の中では「もう価格しか無いだろう!」と思いながらも、その場は引き下がり、顧客と競合の情報収集に走り回り、平行して機能面の差別化を検討する。
《エピソードB》
「予算厳しいなあ。どうするつもりだ?」という問いに、「販売店にもお願いしてますが、見えている案件を積み上げても達成は厳しいです」と白旗を揚げると、「ホントにそうか? まだできることはあるんじゃないか?」とダメ出しされる。
「部下の尻を叩くだけなら簡単ですよね」と言いたいのをこらえて、新規案件を見つけるべく、顧客の子会社に飛び込みセールスをかける。
《エピソードC》
顧客との共同プロジェクトを立案し、上司にプレゼンすると、「ウチが参加する意味が理解できない」と突き返され、「新しい試みだからリスクはつきものだろう!」と歯がみしつつも、事業環境や将来性、参加のメリット/デメリットなどを徹夜で整理する。
いずれもその当時は憤りを感じたエピソードなのですが、これらはほんの一例です。
結果的にうまくいったものもありますし、努力の甲斐無く成果が出なかったものもそれ以上にあります。
しかし、成果が出なかったエピソードでの私の努力は、“無駄骨”だったのでしょうか?
そしてその努力を強いた上司の発言は、はたして“余計なヒトコト”だったのでしょうか?
私の答えは「どちらもNo!」です。
いずれも異なる上司の下でのエピソードであり、また各上司がどのような意図で発言したのかは、今となってはわかりません。
私を育てるためだったのか、単に疑問だったのか、はたまた生意気な私が嫌いだったのか…
しかしこれらのエピソードを通して、私は自分の考えの甘さ(思考停止していたり、本質を考えずに表面的な思考をしていたり)を痛感したのです。
それに加え、エピソードBからは「行動による局面の打開」を、エピソードCからは「ビジネスの基本的フレームワークの重要性」と「説得のための論理の組み立て」を、身をもって学ぶことができたのです。
(正確には、後から「あの時学んでいた」ことに気づいたのですが(笑)
また、エピソードCの上司は、私の「暴走を未然に防いだ」とも言えますし、あのまま誰からも突っ込まれずに突っ走っていたらどうなっていたか…そう考えると寒気すらします。
しかし当時の私にとって、これら「異星人のように感じられるオジサン」である上司とその発言は、“自分の邪魔をする壁”のような存在でした。
鳥の孵化にたとえると、“窮屈なカラ”を破ろうともがいていたのかもしれません。
しかし、後になって気づいたのです。
その“窮屈なカラ”に自分は守られ、育てられたのだということに。
今一度問います。
彼らは、あなたの“敵”ですか?
腹の立つことも言われるでしょう。
傷ついたり、時には凹むこともあるでしょう。
コーチングやカウンセリングの用語に、『リフレーミング』があります。
和訳すれば、“枠組みを変えて見る”ということで、たとえば「あと1時間『しか』ない!」と思うから焦るのであって、「あと1時間『も』ある」と思うと心に余裕を持つことができる、という風に使います。
要は『ものは考えよう』ということです。
オジサン達とのつきあいでも、リフレーミングしてみませんか?
「イチャモンをつけられた」ではなく、「指導してくれた」。
「評価されている」ではなく、「見守ってくれている」と。

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