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ファカルティズ・コラム

2014年06月12日

「努力は必ず報われるか?」をテーマに哲学する

「努力は必ず報われる」は本当なのか?
ネットでちょっと話題になっていたこのテーマ、さてあなたはどう考えますか?
「そりゃあ、報われる努力と報われない努力があるに決まってる」
こんなフツーな答では、ちゃんと考えているとは言えません。
「はい、努力は必ず報われると信じてます」
こんな精神論でも、やはり思考停止であることに変わりはありません。
もちろん上記ふたつの答は、「間違っている」わけではありません。
どちらも「その人なりの答」であり、客観的に正誤を判断するのは不可能です。
このような「唯一の答のない問い、または普段当たり前と思っていることについて考える」ことこそ、「哲学する」という行為であり、思考トレーニングとしても最適です。
本日は、このテーマに対して、私なりに哲学してみたいと思います。
まずはあなたも自分自身の頭で考えてみてください。
なので、「続きを読む」はまだ押さないように(笑)



さて、「哲学する」ときに重要なのが、「言葉の定義」です。
今回の場合で言えば、”努力”とは何なのかを、国語辞典の「正解」に頼らず、自分自身で定義する。
この言葉の定義を明確にしないと、思考がブレます。
辞書では「ある目的に対して力を尽くすこと」とありますが、「やりたくないが、やらないといけないことを頑張ること」でも良いわけで、この定義によって『答』は違ってくるからです。


では、これを踏まえて考えてみます。
辞書通りの「ある目的に対して力を尽くすこと」を定義として採用した場合、私の答とその根拠はは

努力は必ず報われるとは限らない。
なぜならば、その努力が目的達成に対して「間違った方向への努力」である場合があるからである。
たとえば「体重を増やす」という目的に対して、どんなに頑張ってたくさん食べたとしても、体重が増えない原因が何かの病気に由来するものであれば、いつまでたっても体重が増えない場合などだ。
つまり、目的に対しては「目的、つまりあるべき姿と現実とを比較し、そのギャップの原因を分析し、様々な原因から真因を特定して課題を設定すること。そしてその課題を最も効果的・効率的に解決する努力を行う」必要があるのだ。



もうひとつの定義「やりたくないが、やらないといけないことを頑張ること」でも考えてみると・・・

努力は必ず報われる。
なぜならば、目的が不明確、あるいは当初の目的が達成されなかったとしても、その努力は本人の経験として次に必ず活きるからだ。
たとえば「体重を増やす」という目的に対して頑張ってたくさん食べたが、体重が増えない原因が何かの病気に由来するものであったため、いつまでたっても体重が増えなかったとしよう。
しかしこれは試行錯誤のひとつであり、「とすると原因は病気かも」ということに気づくことに繋がる場合があるだろう。要するに努力は「学習」プロセスなのだ。
また、「努力する」というプロセスを経験することで、一回り人間的に成長することも十分期待できる。
これらは間違いなく「報われた」と言ってよいはずだ。
ただ、努力することそのものが目的化していたり、当初の目的にしか眼が向いていなかったら、こうした効果を「報われた」と認識できないことには留意すべきだろう。



いかがでしょうか。
言葉の定義が異なるだけで、正反対の意見(答)になります。
ここから言えることは、会議などで意見が対立したとき、その原因として「言葉の定義」が異なっている場合があるということです。
会議に限らず、コミュニケーションで言葉の定義に気をつけることは重要です。
また、たとえ同一の定義を採用しても、正反対の答になる場合もあります。
上記の例で言えば、辞書通りの「ある目的に対して力を尽くすこと」を採用したとしても、以下のように述べることも可能でしょう。

努力は必ず報われる。
なぜならば、我々が努力する目的はひとつとは限らないからだ。
たとえば体重を増やそうとして頑張ってたくさん食べたが、体重が増えない原因が何かの病気に由来するものであったため、いつまでたっても体重が増えなかったとしよう。
これは確かに「体重を増やす」という主目的に対しては「報われなかった」と言えるだろう。
しかし「体重を増やす」という目的はさらに上位の「今の自分を変える」という目的に包含されており、その意味では「努力した」という事実が、今までにできなかったことができたということであり、これは十分大目的である「今の自分を変える」に対して「報われた」と言えるはずだ。

ここまで来ると、少し屁理屈に聞こえるかもしれませんが(笑)


しかし、こうして「あえて正反対の答を出し、その根拠を論理的に述べる」ことは、思考トレーニングとして最適です。
また、これは「意見の異なる他者を理解する」ためのトレーニングにもなります。
さあ、あなたも哲学してみませんか?

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