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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2014年08月01日

「道具」は正しく使いましょう

「道具」は何のために存在するのでしょうか?
冒頭からこんな問いかけてすいません(笑)
でも、それを考えようともしない人が多すぎると思うのです。
「道具」とは、何らかの作業・活動を効果的・効率的に行うために開発されました。
たとえば、畑を耕すときに、私たちは素手でなく、耕耘機や鍬のような道具を使います。
これにより、素手と比較すると圧倒的に早く耕すことができる。これが「効率的に」作業を行うということです。
さらに、素手と比較すると圧倒的に深く耕したり、土をより細かく砕くことができる。これは「効果的に」作業を行ったことになります。
また、道具は形のあるものだけではありません。



たとえばSWOTや5フォースに代表される様々な「フレームワーク」も、戦略立案という活動を効果的(成功確率の高い戦略を立てる)に行うための道具ですし、ファシリテーションような「スキル」も、会議という活動を効果的(協働での問題解決など)・効率的(会議時間の短縮など)に行うための道具です。
このように、全ての道具は「畑を耕す」などの作業や「戦略立案」などの活動を、効果的・効率的(もちろん道具によって、効果と効率どちらを重視しているのかは異なります)に行うために存在します。
決して「道具を入手する」ことや「道具を使うこと」自体、そして「道具を使いこなすこと」は、目的にはなり得ないのです。
こんなこと言わずもがな、「あったりまえ」のことですよね?
しかし、この「あったりまえ」が当たり前になっていない現実を、私は問題視したいのです。
もちろん趣味などのプライベートまで問題にするつもりはありません。
「高級な食器を集めるのが趣味」とか「単に自転車に乗るのが好き」などは個人の自由です。他人が「道具はそういうものじゃない」と言うのはただのお節介です。
ただ、仕事、ビジネスにおいては違います。
形のないものであっても、道具を入手するためにはコストがかかってますし、それを使って行う作業や活動もコストですから。
だから道具を、入手する・使う・使いこなすというプロセスの先には、必ず成果(売上増などの効果や、無駄な時間短縮などの効率)が求められます。


しかし周りを見渡してください。
「学んだことを使ってみたい」という理由でファシリテーションなどのスキルを使うのは、自身の成長を求めてのことですから、それがたとえ効果や効率に結びつかなくても仕方ありません。
スキルは経験によってしか身につきませんから。
しかし、「毎年の恒例だから」という、愚にもつかない理由で使われるSWOT他のフレームワークなどは、もう使われる道具に同情したいくらいです。
他にも資料のための資料作りや、定例だからというだけで行われている会議など、今一度「手段の目的化」という過ちを犯していないかを、私たちは自問すべきでしょう。


そしてもうひとつ。
道具を使って直接的に得られる効果や効率という成果のその先、つまり「上位目的」をしっかり見据えているか、も自問すべきです。
たとえばファシリテーションスキルを使って、望んでいた「自由に意見が言い合える場」ができたとします。
しかし「自由に意見が言い合える場」ができたら、それで終わりでしょうか?
そう、そうしたできた「場」で、どのような議論を行うか、そしてその結果としてどのようなアウトプットが産まれるか。
重要なのはこうした「上位目的」です。
また、上位目的をしっかり見据えていなければ、単なる「何でも言い合える場」でなく、「何をどのように言い合える場」を目指すのか、そしてそのために「どのようなファシリテーションスキルをどのタイミングでどう使うのか」を考えられないはずです。
しかしどうしても「道具」の直接的成果のみに眼を奪われ、またなまじ自身がその道具を使いこなせることに慢心し、「今日もうまくやれたぜ」と勘違いをしてしまう。
正直に言えば、私も大いに反省せねばなりません。
どんなに楽器を上手に弾きこなせても、人を感動させなければ意味がないのと同じように、スキルをどんなに上手く使えても、それで何かが変わらなければ意味がない。
また、どんなに上手にフレームワークを使えても、それで生み出された戦略が従来と代わり映えしないものであれば、やはり意味がないのです。


道具は確かに便利です。
しかし道具を使うことそのものは目的にはなり得ない。
そして道具を使った成果の上位目的を達成しなければ、やはりそれは道具の「無駄遣い」でしかない。
お互いに、それを忘れないようにしたいものです。

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