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ファカルティズ・コラム

2014年10月10日

ダイバーシティを阻む「呪いの呪文」

ダイバーシティ。
「多様性」を意味する言葉で、「多様な価値観/働き方」などの文脈で、ビジネスでも最近よく耳にします。
元々はアメリカにおいてマイノリティーや女性の積極的な採用、人種や宗教、性別での差別のない処遇を実現するために広がったものと言われています。
ですから「人権/差別」と絡めて使われることが多いのですが、企業がダイバーシティに積極的になるべき理由は、それだけではありません。
いや、個人的にはそうした人権/差別の問題解決は二の次だとすら考えています。




では、何のためにダイバーシティは必要なのか。
それは広い意味での「イノベーション」のためです。
がむしゃらに働きさえすれば、組織は成長し、そして個人の収入も増える時代は終わりました。
ビジネスの環境はグローバル化し、競争は激化しています。
であれば、「今までのやり方」では通用しなくなるのは当たり前。
従来のような、「一握りの優秀な人間が産み出すイノベーションを再生産する」モデルから、「多様な人材のコラボレーションによってイノベーションを数多く産み出す」モデルに転換しなければ生き残れない時代になったのです。
性別や生まれた国、宗教や身体的特性などが異なる。
そうすれば当然習慣やライフスタイルが異なり、また価値観や考え方も異なる。
これら多様性を「ぶつけ」、「組合せ」、「融合する」プロセスで、イノベーションを数多く産み出そう。
これがダイバーシティの意義です。


しかしなかなかこれが実現しない。
会社でダイバーシティの研修をやって、「そうか、多様な価値観を認めなきゃ」と思ってはいても、実際にダイバーシティが根付いた組織は、数えるほどしかありません。
私は、その要因の1つとして、私たちが何気なく日常的に使っている言葉に問題があるような気がしています。
みなさんは、「あいつは生意気だなあ」と思うとき、どんな言葉を発していますか?
やはり多くの人は「○○のくせに」という言葉を使っているのではありませんか?
「生意気」とは、辞書では「自分の年齢や能力を考えず、出すぎた言動をすること」と説明されています。
「若いくせに生意気だ」「素人のくせに生意気だ」などが、「年齢や能力を考えず」ということでしょう。
しかしこんなのもあります。
「女のくせに生意気だ」「低学歴のくせに生意気だ」
つまり「生意気」とは、「レッテルを貼って見下す」時に発する言葉なのです。
ただ、「生意気」と私たちが感じるのは、その「言動」に対してですが、これは2つに分けて考えるべきでしょう。
まず、言動の「中身(コンテンツ)」が生意気な場合。
そして言動の「表現手段(プロセス)」が生意気な場合。
このどちらなのかによって、実は「生意気」の質が違う
プロセスが生意気なのは、たとえば目上の人にため口を聞いたような場合で、これは生意気と言われた方にも問題があります。
ですから、より問題なのはコンテンツが生意気な場合。
コンテンツについて「○○のくせに」と感じ、見下してしまうのは、それは「自分が相手に負けて悔しい」から、あるいは「このまま好きにさせておくと、自分が負けそうで怖い」からです。
そう、この「○○のくせに」という悔し紛れに自己を正当化し、自分の立場を守ろうとする言葉こそ、ダイバーシティを阻む「呪いの呪文」なのです。
ですから、ダイバーシティを根付かせるために個人レベルでできるのは、この「○○のくせに」という言葉をNGワード化することです。
自己を正当化し、自分の立場を守ろうとする意識を、できる限り捨て去ることです。
私も完璧にこのNGワード化ができているわけではありません。
これから少しずつでも意識していきたいと考えています。

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