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ファカルティズ・コラム

2014年12月11日

「批判」のリテラシー

「批判は結構だが、非難はやめた方がよい」
こんな主張を聞いたことがありませんか?
「批判」と「非難」。
英語ではどちらも”criticism”ですが、確かにこのふたつの言葉、ニュアンスは少し違います。
“criticism”を英和辞典で引くと、以下のように定義されています。
(人や物事への)批判/(悪いことや欠点と思われることへの)非難
ここから、「批判」の方が客観性が高く論理的であること。そして「非難」は、やや主観的な決めつけに使いことがわかります。
「クリティカルシンキング」という言葉もあるように、やはり主観的に「非難」するより、客観的・論理的に「批判」する方が良さそうです。
しかしこの「批判」にも、やはり良い(適切な)批判と悪い(不適切な)批判があります。
私たちは、本当にいつも適切な批判ができているのでしょうか。
本日は自戒の意味も込めて、この「適切な批判」を行うために注意すべきこと、言い換えれば、「批判のリテラシー」について述べてみたいと思います。




今まで一度も批判されたことのない人はいないでしょう。
たとえ憶えていなくても、親から「すぐ口答えするのやめなさい!」などと言われた経験は誰しもあるはずです。
さて、この「批判」。
自分では気づいていない、自らの悪い癖や足りないものに気づかせてくれることを考えれば、個人や組織の成長にとって、必要不可欠なのは言うまでもありません。
しかし、批判は耳に痛いのも事実。
批判されて落ち込んだり、あるいはカチンときた経験も、これまた誰しもあるはずです。
だから批判する側も、相手のことを思って批判するのであれば、それなりのリテラシーが必要です。
相手を傷つけただけで終わってしまったり、また怒らせしまうだけであれば、それは下手をすると人間観の悪化にも繋がり、全くの逆効果になってしまうからです。
では、批判する際に気をつけるべき点は何なのでしょう。
私は、そのポイントは3つあると考えています。
それを以下に説明してみます。


1. 断言しない
 「○○はおかしい」「××のここがダメ」のようにストレートに断言されると、どうしても相手の心に刺さり、相手の感情を傷つけたり、逆なでしたりします。
 ここは「○○はおかしいと思うんですよねえ」とか、「××のここが、私にはどうしても気になります」のように少し婉曲的に結論を述べ、「なぜならば」と続けた後、「理由はふたつありまして」といった感じで、その具体的根拠を論理的に述べればよいのです。


2. 存在そのものを批判しない
 「あなたは間違っている」という批判は、単なる個人攻撃であり、人格の否定にもなりかねません。
 「個人」を批判するのでなく、その個人の「意見」「考え方」「行動」を批判することが肝心です。「あなたの○○というやり方には問題がある」と、人そのものでなく、その人の「何が」問題なのかを指摘し、批判しましょう。
 また、これは組織に対する批判でも同じです。「ウチ(の会社)はダメ」でなく、「ウチの××の仕組みには問題が多い」のように、具体的な「仕組み」や「風土」など、対象を明確にして批判すべきです。


3. 絶対評価と相対評価を使い分ける
 「ある/ない」「良い/悪い」などの絶対評価と、「高い/低い」「多い/少ない」といった相対評価は根本的に異なります。しかしこれを深く考えずに使う人が多いです。
 「あなたのそのやり方では効果が出ない」と言うのか、それとも「あなたのそのやり方では効果が低い」と言うべきか。それによって相手の受け取り方、そして考えは違ってきます。
 また、相対評価で批判するのであれば、必ず「□□と比べて」と言わなければなりません。なぜならば、相対評価は比較論だからです。他者(他社/他業界)と比べるのか、それとも過去と比べるのか、それを意識しましょう。
 そしてここから見えてくるのが、個人を他者と比べるのは避けた方がよいということです。誰しも「あの人に比べて」と批判されるのはいい気持ちはしませんから。


ここまで書いて自分を振り返ってみました。
2や3は個人的にも意識してきたつもりですが、どうも1に問題がありそうです(笑)
そのあたりが、たまに反感を持たれる要因にもなっているかもしれません。
お仕事でご一緒させていただく機会があれば、ぜひ前向きに批判してください。
私もまだまだ修行中ですから。


まあ、そのときは少しへこむとは思いますが(笑)

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