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慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2022年11月24日

「悪気のないパワハラ」はなぜ起こる?

知の共有サイト「Quora」で、私宛に「誘因は人それぞれとして、人がパワハラをする原因は何ですか?」という質問に対する回答のリクエストがありました。
その質問に対しては、
・人類の本能のようなもの
・原因は「劣等感/コンプレックス」
・簡単に逃げられない環境下で嫌なことが言えてしまうから
など、「なるほど」と思える回答が多数出ていました。
せっかくのリクエストですから、私は「本人はパワハラをしているとは思っていない」という前提に立って回答することにしました。
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結論から言うと、悪気はないのにパワハラをしてしまうのは「常識が変わったのを認識できていない」からです。
「常識」とは、あるコミュニティにおいて現時点で「当たり前」と認識されている知識や考え方、判断基準などを意味します。
ここでなぜ「あるコミュニティ」「現時点で」と限定したかというと、ある業界だけで通用する常識や、今は通用しない常識が存在するからです。
つまり、他の業界では通用しない「狭い常識」や、いつの話だよ、という「古い常識」がこの世の中には多く存在し、さらにそれが「どこでも通用する」「今でも通用する」と信じている(というか疑いを持たない)人々が多数存在するのが現実であり問題なのです。
そうした人々がパワハラに限らず、セクハラやマタハラなど、多くのハラスメントを「悪いと思わずに」やってしまっています。
様々なハラスメントが「悪いこと」と認識されている現在の日本から見たら、2000年以前の労働環境はほとんどの職場がブラックです。
私の周りでも過酷な業務と上司からの叱責で失踪したり、また自殺してしまう例はありました。しかし、それが報道されることはなく、「アイツは心が弱い」と非難されることすら普通でした。
今ならセクハラ認定される行動も、「スキンシップ」のヒトコトで善意と解釈されることも多かったのです。
こうしたハラスメント行為の背景には先に述べた「常識」があるわけですが、個人が「常識」と認識するプロセスには必ず「経験」が関与します。
たとえば、「理不尽な指導にも我慢してきた」「家庭より仕事を優先した」等の経験から、帰納的に「上司には逆らってはいけない」という仮説が生まれ、それがその後の経験でさらに強固なものとなると、それが「常識」に変化します。(本来は仮説でしかなかったはずなのに)
そしてその常識に部下の言動を照らし合わせ、演繹的に「自分が教えてやる」という結論からパワハラ行為に及んでしまう。これがハラスメント行動のプロセスです。
本人からしたら「なぜ自分が批判されるのかわからない」という状況が生まれます。
しかし悪気はなくても、それが「現時点の」「この職場においては」ハラスメント認定されてしまう。それが現実であり、常識が変化したことを認識できていないことが問題なのです。
だから自分がパワハラやセクハラと非難されないためには、まず自分の中の常識を洗い出してみると良いでしょう。
そしてその「自分の常識」のひとつひとつを「古い常識ではないか?」「狭い常識ではないか?」と疑ってみる。それがハラスメント研修を受けること以上に、ハラスメントを予防すると考えます。


さて、質問とは逆の視座ですが、ハラスメントは「された当事者がどう感じるか」も重要です。言うなれば、相手が「ハラスメントだ!」と感じなければ、ハラスメント案件にはならない事例も多い、ということです。
先に述べたように、昔はどこも「ブラック企業」でした。
しかし「ハラスメントという概念が無かった」ことに加え、当時は「キツくても頑張れば報われた」ことも、ブラック企業問題が顕在化しなかった要因だと私は考えています。
私も最大で月200時間以上の残業をしていましたが、会社の成長に合わせて給料は増えていきましたし、残業代もカットされることなくフルで(50万以上の月も)出ていました。
その意味では、企業とそこで働く人々が「右肩上がりの未来を思い描くことができない」という現実も、ハラスメント問題の背景にあるのかもしれません。

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