KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

ファカルティズ・コラム

2008年11月06日

「整理して考える」とは(後編)

つい先日まで「暑いなあ」と思っていたら、最近急激に寒くなりました。
私も代役のいない仕事柄、健康には注意してますが、皆さんも風邪などめさぬよう・・・
さて、「分けて考えよう」編も今回で最終回。
前回は、「なぜ私たちは勉強しないといけないのでしょうか?!」という抽象的な問いに対しては、『分解して考える』のが効果的だとお話ししました。
抽象的な“勉強”というテーマを、数学・社会など「教科別に」分けたり、あるいは小学校・大学のように「年代別に」分けることで、具体的にこの問いについて考え、そして答を伝えることができるようになります。
そもそも我々がよく使う“分析”という言葉は、「刀を使って」切る“分”と、「木を斧で」ほぐす“析”で構成されています。どちらの文字にも刃物が入ってますね。
つまり“分析”とは、大きなモノの中から何かを見つけるために、刃物で細かく分ける作業を意味するのです。
ここからも、「分解して考える」ことが、いかに基本かつ重要かがわかります。
ちなみに、“分解”の“解”にも、ちゃんと刀が入ってます。
では、もうひとつの分け方である『分類して考える』。
「細かくたくさんのモノゴトをいくつかにまとめる」、この“分類”を思考に応用するとはどういうことなのでしょうか。

我々が考えて答を出さなくてはならない場面には、「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」のような抽象的な問いに答える場面の他に、その逆に具体的かつ大量の情報を元に「だから何なの?」という問いに答える場面があります。
たとえば社内で起こっている様々な問題と呼べる事実から、「で、これらのことから何をすべきだと言える?」と考える場面などです。
つまり複数の情報から何らかの法則性を見出すという、『帰納法』の答の出し方です。
この時、情報の数が少なかったり似通っていれば、さほど苦労せずに答を導き出せます。
しかし情報の数が膨大であったり、様々な異なる性質を持った情報であれば、そこから「要はこうだ」という答を出すのはかなり骨が折れます。
もうおわかりですね。
ここで“分類”が必要になってくるのです。
社内で様々な問題が顕在化している。「発注ミスが多い」「残業が増えた」など、様々な事実が表面化している。
この状態のまま「それでどうする?」と考えても、なかなか答は見えてこないでしょう。
だからこれら様々な事実を、なんらかの切り口で分類してみる。
「部署別に」分けることもできるでしょう。
そうすれば考える材料である個々の情報が絞り込まれますから、「この部署にはこういう問題がありそうだ。とすると○○をすべきだな」という答が見えてくるかもしれません。
分類することで一度に考える情報量を減らし、かつ共通点も見えてくるため、考えやすくなるわけですね。
また、「経営資源別に」分けることもできます。
様々な問題を、ヒトに関する問題・モノに関する問題・カネに関する問題・情報に関する問題と、4つに分類することで、やはり考えやすくなるはずです。
他にも「重要度別に」「緊急度別に」分けるなど、様々な切り口で分類することが可能です。
こうして「大量の情報を何らかの切り口でいくつかに分ける(まとめる)」ことで、効率的に答を出すことができる。
これもまた「分けて考える」ことの効果です。
先の『分解して考える』ことと併せ、我々は実は無意識にこれをやっています。
だからこうした2通りの「分けて考える」ことを「意識して行う」と、さらに効果的・効率的に考えて答を出すことができるようになるのです。
ぜひ意識してみてください。

ところで、“わかる”という言葉には、「理解する」の他「答が見つかる」という意味があります。
そしてほら、これを変換すると・・・
「分かる」が出てくるじゃないですか。

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