KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

学びの体験記

2005年12月13日

我が道を行くための「学び」

矢野智也
フリーライター/フリープランナー

「君たちはまた大学に戻ってきたくなります」
大学の入学式の時、学科の先生方の挨拶の中で、学科長が述べられていた言葉です。話しの前後に先生は、大学とはもう一度学びたいと学生が思える教育をしなくてはならないし、また大学とはそうあるべきものだ、というような意味のことを話されていたのですが、十年経った今でもよく憶えています。


といいますのは、入学式なのに卒業後の話とは気が早いと思いましたし、大体、勉強して卒業したから社会に出るのに、何でまた戻らなきゃならないの、と不遜にも、内心そんなことを考えていました。そのくせ、私は勉強熱心な学生になるどころか、サークル活動とバイトに忙しい学生の一人となり、気がつけば卒業。それでも、机に座って勉強することにすっかり飽きていた私は、晴れ晴れとした気分でいました。この後に学科長の言葉を噛み締めることになるとも知らずに。
現在、私はフリーランスで仕事をしており、ライター兼プランナーという肩書きでお仕事をさせていただいています。雑誌やフリーペーパーを中心に取材活動を行うかたわら、広告代理店からの依頼で、マーケティングやプロモーションのプランをまとめるのが主な仕事内容です。強いていえば、いわば「情報屋」の側面とその情報を再構成してどう伝えていくかという「企画屋」の側面を合わせ持つ職業といえるでしょうか。
もちろん、以前は会社に勤めていました。
新卒での就職活動では、「書く仕事」に就きたいと考え、新聞、出版を中心に活動し、最初に入ったのは流通系の業界紙を発行する新聞社。その後、主にキャラクターのライセンスビジネスを中心とする専門誌を発行する出版社へ転職した後、フリーになりました。ですが、この二社に勤めた間、流通業界、ライセンス業界の現場をまわるうち、自分の課題に気づきました。明らかにマーケティングの知識が足りないのです。知識がなければ、企業の戦略など分かるはずもありません。さまざまなプロセスを経て生まれた「結果」としての「商品」や「ブランド」を追って、個々にその売れ行きを理解することはできても、市場にはすぐさま次の商品やブランドが登場してきます。「ああ、大学でマーケティングを勉強しておくんだった」とつぶやくようになった頃は、もう後の祭り。とはいっても仕事ですから、そうも言っていられず、参考本を読みながら、取材で人に話しを聞いて原稿を書き、企画書を作り、また本を読む。それを繰り返し、何とか知識不足分を補いつつ「しのいで」いたというのが実状でした。
とはいうものの、マーケティングの体系的な知識というバックグラウンドがないままですから、どこまでいっても(それが例え、お客様や読者に喜んでいただける内容であったとしても)、私の中では「付け焼き刃」感が残るばかり。総論を知らずに各論を語っているようなものです。そんな時、人間は社会に出てからの方がむしろ学ぶことが多いものだと痛感し、冒頭の学科長の言葉が思い出されたのでした。
「もう一度、学び直そう」、そう思い立ったのは、前の会社で雑誌とマーケティング・データ集の2つの締め切りに追われ、疲労困憊となっている最中。疲れのせいで、逆に冷静に自分の足りないものを分析している自分がいました。前職を退職したのは、新天地を求めて、というのが一番の動機でしたが、フリーでいる間にマーケティングを学ぶ機会を作ろうと考えたことも大きな要因でした。
伝手を頼りに仕事を受注し、ライターとプランナーの二足のわらじを履き続けるうち、仕事がどうにか定着。ようやく仕事が安定したところを見計らって、オープンキャンパスでのマーケティング講座を探し続け、慶應MCCに出会いました。慶應MCCの公式サイトをみて、探していたものを見つけた、直観でそう思いました。仕事柄ということもありますが、講座内容を聞きに丸の内までお伺いしたほどです。講義の内容や形式を聞いてワクワクしている私。グータラな学生時代の自分がどうしてしまったのかという感じでした。
マーケティング情報から顧客を「読み・解く」』でご一緒させていただいた7期生の皆様は、それぞれに実績を持つ大変勉強熱心な方ばかりで、談論風発といった感じの愉しい講座でした。知識としての体系を広げることができただけでなく、「モノの見方の身に付け方」のヒントをいただけたと思います。実際の業務経験からのご意見はとても新鮮に感じました。最後のグループワークの発表も各チームとも興味深い内容で、まだお聞きしたいのに時間切れに。7期生の皆さんには、この場を借りて御礼申し上げたいと思います。
好きなことを貪欲に追求していくことが、なりたい自分になるための近道。そのために学べ」。どこかで使い尽くされた言葉かもしれませんが、これは私にとっての実感そのもの。
人間には、その気になった時、何度でも立ち帰って、いつでも学べる場所が必要なのだ。十年かかって、その意味に気づけたような気がします。

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