KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

学びの体験記

2009年12月08日

私的リフレクション2009

田中 潤
株式会社ぐるなび 総務部門副部門長(人事担当)

2009年が暮れますね。私にとっては例年にも増して思い出深い年です。誠に勝手ですが、【てらこや】寄稿を個人的な今年のリフレクション(内省)の場に活用させてください。ものすごく贅沢ですね。
私は今年の1月11日に24年9カ月勤務した日清製粉株式会社を退職し、株式会社ぐるなびに移りました。日清製粉は創業1900年、ぐるなびは会社設立2000年。年齢が100歳違います。46歳にしての初転職、かつまったく違うタイプの会社へ。なかなかエキサイティングです。これを「楽しめる」人間になれたことが自分の人生最大の財産だと最近は思っています。
今こうやって考えると、たまたま私の転機には慶應MCCがあります。不思議なご縁です。
大卒で日清製粉に入社して7年間営業、そのあと13年間人事を。40歳の時にキャリアカウンセラー資格のGCDFを取得、そしてさらに深めたく慶應MCCの花田光世先生による『キャリアアドバイザー養成講座』の門を叩きました。2年目の「アドバンスコース」が始まった頃に13年間続けた人事の仕事から関連会社の営業部長職で出向することに。実は40歳の時にGCDFのコースを受けながら、自分のライフワークは人に関することだとようやく決めた少し後ですから、これはショックです。日清製粉の人事は自分に任せてもらえればもっともっと良くなると思っていろいろと画策し始めていた頃でしたし。


出向直後、『キャリアアドバイザー養成講座<アドバンス>』で津村先生のコーチングのセッションがありました。津村先生とも不思議なご縁で、MCCでの出会いが3度目の再会。津村先生の新入社員時代からの偶然かつ断続的な仲です(会うたびに津村先生の所属は違いましたが…)。このセッションでは、迷わずコーチングの実験台に手を挙げ、皆さんと考える機会をいただきました。
出向先は100名くらいの規模で、「パルテノペ」というイタリアンレストランと、ナポリピッツァの食材等を販売する事業をしています。若いメンバー中心でまだまだ発展途上の組織。ショックはありながらも、すぐに肌が合い、気づいてみたら楽しく仕事をしている自分がいました。
3年後に出向帰任し、本社営業の中枢のポジションをいただきました。社内外の多くの方から「おめでとう」と言われましたが、心は晴れません。しかし、それから転職までの半年間、楽しく比較的好き勝手に仕事をさせていただきました。辞めてもいいと思っていると怖いものはないですしね。そして、ご縁があって今年の1月に今のぐるなびに移ります。退職日の夜に社員食堂を貸し切って全社横断的な送別会をしてくれた日清製粉には、自分を育ててくれた会社として本当に感謝しています。
私は人事を離れていた日清製粉最後の4年間を「浪人時代」と呼んでいます。4年もプランクのある自分を人事の専門家として誘ってくれたぐるなびには感謝しますが、それを呼び込めたのは浪人時代の過ごし方だったかもしれません。『キャリアアドバイザー養成講座』の仲間とも頻繁に飲み、いろいろな影響をいただきました。花田先生のスーパービジョンにも参加し続けました。仕事も120%しつつ、人事・キャリアの世界から離れることなく過ごしてきました。人脈はかえって増えていきました。人事・キャリア分野の学びへの執着心みたいなものがあったようで、以前には考えてもいなかった学会発表の機会も2年続けて得ることができました。
今の会社に飛び込む勇気をくれたのは、出向先での3年間です。日清製粉の大組織しか経験していなければ、簡単には決断できていなかったと思います。たまたまですが、出向先でやっていたビジネスとぐるなびのビジネスもクロスオーバーします。不思議といろいろなことがつながってきます。
転職の報告をした際に、何人か社外の人事仲間から「おかえりなさい」との言葉をいただきました。会社ではなく、職種というか仕事でつながっている世界が着実にできているんですね。
東京大学で数カ月置きに開催されている中原淳先生のラーニングバーに参加するようになったのも浪人時代です。そこでも各社の人事の皆様とのネットワークは拡大します。そして、転職直後に慶應MCCの事務局から、中原先生がMCCで講座を持つと聞き、何はともあれエントリー。私の転職初年度のミッションの1つに人材育成体系を整備するというのもあったのでタイムリーですし、何よりも新しい職場で4年振りに人事の仕事をするにあたっての内省をする機会をふんだんにいただけたことには感謝します。この『ラーニングイノベーション論』との出会いがなければ、現職へのキャッチアップのスピードはもう少し鈍っていたかもしれません。課題図書を強制的にかなり読む機会があったのもありがたいことでした。そして、何より新しい素敵な仲間が大勢また増えました。
私はどちらかというと目の前の課題に徹底的に真剣にのめり込むタイプの仕事をしてきました。長岡先生・中原先生がいうところの「突貫工事のエキスパート」ですね。しかし、今考えると40歳頃から漠然とした戸惑いを感じていたように思います。もちろん今もそれは晴れていませんが、自分の中の戸惑いとこれからもうまく付き合いながら内省を続けていけるように思っています。
最近本当に感謝しているのは、浪人時代以前の仲間、最近増えた仲間が、いろいろな面で助けてくれていることです。不思議なもので、何か困っているとそのソリューションを支援してくれる方が最近では自然と登場してくれます。この1年間は特に多くの皆さんに助けられてここまでやれてきました。
浪人時代に始めたことに、毎日人事関連のブログ(http://jqut.blog98.fc2.com/)を書くというのがあります。人事を仕事にしていないと、いろいろと学んでもアウトプットする場がありません。その場が欲しかったのでしょうか。
浪人時代の私にとってはアウトプットを伴えない学びはひどくむなしいものに感じられました。出向先でも営業部長でありながら、いろいろな人事的施策を打ち出したりできる限りのことをやってきましたが、今は職場で日々、目一杯アウトプットができています。ブログはそろそろ2年になりますが、まだ毎日更新をしています。あの頃の「人事の仕事をやりたい」という思いを忘れないようにしなければなりません。
ここのところ日々やっているいろいろなことが、自然とつながってきているような感覚がしています。人生も後半です。若い世代に思いを伝えたいと思って選択した今の職場です。多分、死ぬ直前まで戸惑いと悩みは消えませんが、誰かに何かが伝わればそれで最高です。投げやりにならずに、前を向いてと、それだけは意識してやってきました。生涯賃金的には微妙な時期の転職を快く後押ししてくれた家族にも本当に感謝しなければなりません。
まったくもって私的なリフレクション(私的でないリフレクションなんてある?)にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
さあ、まもなく迎える2010年も意地でも良い年にしましょうね。

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