KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2006年07月04日

「私を守りつつ公にかかわる」 ソーシャルアントレプレナー 金子郁容さん

「ヒデ(中田英寿)の潔さと日銀総裁の往生際の悪さ」
対称的な二人の引き際に、金子先生は、現代の日本社会に起きている変化の萌芽を感じるそうです。中田選手は、日本のサッカー界に異質性を持ちこもうとした選手です。群れない生き方、明確な自己主張、相手にレベルを無視した強いパス等々、中田選手が持ち込んだ異質性は日本人的集団には違和感を与えるものでした。ただしその異質性は国際社会で日本人が克服しなければならない普遍的課題でもありました。
一方で、今回の引退発表で見せた潔さは、武士道にも通ずる日本的価値観と近いものがあります。かつての日本人はこうだったはずだという懐かしさにも似た感情を想起させます。
「日本的でなかった中田選手が、最後に見せた日本的な価値観」金子先生はそこに、国際人としての日本人の新しい人間像を感じるそうです。“「公」に積極的に関わりながらも「私」を失わない力強さ”のようなものでしょうか。そしてそれはきょうのテーマ「ソーシャルアントレプレナー」の姿と同じだと金子先生は考えています。


金子先生は「ソーシャルアントレプレナー」の概念を、極めて緩やかなものだという前提に立ったうえで、次の4つの条件で定義しています。
1. 社会をより良くしようというミッション性が明確にある。
2. 経済的リターン(利潤)と社会的リターンの両立ができること。
3. 継続的な事業として社会の問題を解決していくこと。
4. イノベーションを実践していること
こう書くと抽象的ですが、具体的な事例として、いずれも金子先生の教え子が関わっている二つの組織を紹介してくれたことで、一気にイメージがクリアになりました。
ひとつは「フローレンス」という働く女性の子育て支援を標榜するNPOです。学生ベンチャーとして大成功した若者が社長の座を投げ打って立ち上げた事業型のNPOです。
もうひとつは「ミュージックセキュリティ」という音楽ファンドの会社です。
「音楽」と「投資」をITで結ぶというビジネスモデルで、完全な営利企業ではありますが、若いミュージシャンを育てる点、個人責任による資産運用時代の流れを受けて小口投資の受け皿を作ったという点において社会性の高いビジネスです。
先述の「ソーシャルアントレプレナー」の4条件は、多くの企業で創業時には掲げられていたり、実践されていたことですが、いつの間に薄くなったり、変質してしまうことが多いものです。強いミッション性や社会的リターンの強調は、企業として継続的に発展し、競争に打ち勝っていくためには、障害になりかねない両刃の剣的な働きをするからだそうです。言うなれば「ソーシャルアントレプレナー」はその存在意義の中に困難なハードルを意図的に取り込んでいる高度な社会システムを目指しているわけで、成熟した資本主義社会に必然的に求められる、ネクストステージ組織のあり方、仕事の仕方なのかもしれません。
実際に「ソーシャルアントレプレナー」と呼ぶに相応しい組織は、営利企業にせよ、NPOにせよ、日本にはわずかしか存在せず、潮流にはなっていません。先進国である西欧の国々に比べると明らかに遅れているそうです。
しかしながら、金子先生は日米のNPOの相違点を解説しながら、日本ならではの発展可能性についても言及されました。
米国のNPOは、貧困・人権・地球環境など世界の問題に目を向けたところから出発しているそうです。一方で日本のNPOは、子育て・介護・教育など身近な問題の解決を目指そうとする場合が多いそうです。それは日本が持っていた地域共同体による相互扶助の仕組みや助け合いの精神などの基盤が「ソーシャルアントレプレナー」の精神に合致するからだそうです。大上段に振りかざす大型の「ソーシャルアントレプレナー」ではなく、日常の問題を出発点にした草の根型の「ソーシャルアントレプレナー」とでも言えましょうか。いずれにしろ、大企業に就職すること、安定した公務員になること、ベンチャーで一攫千金を狙うこと等々のキャリア選択と同じ土俵で、「ソーシャルアントレプレナー」目指すという若者が増えていることは間違いないようです。

メルマガ
登録

メルマガ
登録