KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2007年07月04日

「知性で聴く音楽」 茂木大輔さん

クラシック音楽は「敷居」が高い。
「敷居」を低くすれば、より多くの人がファンになってくれるだろう。
モギよ、おまえが「敷居」を低くしろ。

「どうやら、世の中には、クラシック音楽、および私に対する誤解が広がっているような気がします」
冒頭から、聴衆の期待をサラリとかわしてみせながら、茂木さんは話しはじめました。
クラシック音楽は、そもそも敷居が高いもの。 
敷居を低くしたらクラシックではなくなってしまう。
「クラシックは心で聴け」というのも大間違い。
心で聴いてわかる世界は、ほんのさわりにすぎない。
音楽が生まれた時代や社会背景の理解、創作された経緯、表現しようとした世界観、それらを理解しなければ本質はわからない。
「ベートーベンの交響曲7番第四楽章」だけを聴くというスタイルが本当にいいのか。
交響曲は、各楽章毎の変化と非連続な連結の中に表現したい要素が込められている。
茂木さんは、クラシックに対する通念をひとつひとつひっくり返していきます。
「クラシックなんて、つまんないでしょ」と聴衆を煙りに巻きつつ、溢れ出てくるような博識を機関銃にように繰り出す姿は、立川談志を彷彿させるものがあります。


茂木さんによれば、クラシックファンを自称する人でも、実はせいぜい40曲程度の著名な曲を繰り返し聴いているにすぎないそうです。
一方で、現在聴くことができるクラシック音楽は1,000曲以上。滅多に聴かれない(演奏しない)残りの大多数の中にこそ、クラシックな豊饒な世界が隠されているということです。
茂木さんは、「その責任は、我々(音楽人)にある」と自戒し、いわゆる名曲の象徴的な楽章ばかり演奏している現状を指摘しています。
夕学のような一般の方向けの講演をお引き受けいただいたのは、「クラシックの啓蒙」といよりは、「音楽を心で聴く」感性がないという理由で、クラシックを敬遠していた人に、まったく異なるクラシック鑑賞法があることを示唆するためだったかもしれません。
茂木さんが、実際の音楽付きで、鑑賞法を解説してくれたのは、ハイドン、ベートーベン、バッハの三偉人でした。
ハイドンは、クラシックのメインディッシュともいうべき「交響曲」において、現代に通じる「基本モデル」を完成したパイオニアとしての紹介でした。
交響曲とは、どういうメカニズムで構成されているのかを教えていただき、楽章毎の旋律変化を楽しむ聴き方を学ぶことができました。
ベートーベンについては、クラシックのパラダイムチェンジを起こした革命家として紹介されました。
きらびやかな宮廷社会で、限られたひと握りの支配者層に囲い込まれた存在だったクラシックを自立した創作芸術へ脱却させたのがベートーベンだそうです。
ベートーベンの音楽には、それまでの常識を大きく変える、有無を言わせぬ力強さがあるとのこと。
バッハの教会音楽については、キリスト教が精神世界の隅々にまで浸透した欧州社会の価値観を思い描きながら聴くことを教えていただきました。
ミサ曲として作られた楽曲は、音楽だけでなく、歌詞の意味を読み込んで聴くものだそうです。
「神の言葉」を音楽で翻訳しようとする崇高な創造性がみてとれるそうです。
クラシック音楽は18世紀~19世紀のニ百年間に、ヨーロッパ大陸で花開いた芸術文化です。
この二百年は、民主主義と産業革命が興隆・伝播した時代でもあります。
より自由な表現・生き方を価値前提においた新しい社会が作られた時代。
新たな技術の誕生が新たな産業を興し、資本主義が形づくられた時代。
ヨーロッパが、世界の中心として最も元気だった時代に、クラシック音楽も後世に残る天才を輩出していきました。
彼らの登場と活躍の裏には、技術革新や経済システムの発展が支えとしてあったことは間違いないでしょう。
経済発展と同時に発生した社会問題や国家・民族・宗教間の対立も、クラシック音楽に多大な影響を及ぼしたはずです。
その時代の「光と影」の痕を、くっきりと残しながらクラシック音楽は生まれ、伝えられてきました。
そんな背景に思いを馳せながら、クラシックを「知性」で聴くのもいいのではないでしょうか。

メルマガ
登録

メルマガ
登録