夕学レポート
2008年06月09日
勝・西郷 運命の会談 『海舟がみた幕末・明治』第九回
1868年(慶応4年)1月6日深夜、戦意を喪失した慶喜は「江戸で再起を計る」と大阪城を脱出します。
追って7日には、新政府により徳川慶喜追討令が出されました。
ちょうどこの頃は、夏目漱石・幸田露伴・秋山真之など、明治を担う人材が次々と生まれた時期であり、そして、大阪を脱出する人々の中には太平洋戦争終戦時の首相、鈴木貫太郎の幼い姿があったそうです。
11日、慶喜が品川へ到着するところを、勝海舟が迎えます。
半藤先生によれば、勝はちょうどこの時、生活の糧を得るために乗馬を売ろうとしていたところで、使いの到着に、あわてて売るのをやめてその馬へ乗って品川に向かったとか。
不遇の時代を過ごしていた勝に、ようやく舞台が調います。
勝は慶喜に対し、強い口調で責め寄りました。
「なぜ大阪城に立てこもって戦わなかったのか」かなりガミガミと言う勝に心を打たれたか、慶喜は「この上は、頼るのはその方ただひとりである」とまで言いました。
勝の腹はこのとき決まったというのが、半藤先生の解釈。
そしてこの時代、「日本国」を見据えて事にあたったのは、勝海舟ただひとりであったということも。
徳川も薩摩も長州もない、ただ「日本国」のためにのみ力を尽くすという決意は、幕末のこの時期、他に見られることのない、勝なればこその先進的な考えだったのです。
慶喜の処分に埒のあかない議論が繰り返されている頃、勝の身分は一足飛びに上がります。17日、海軍奉行並み。さらに23日には、陸軍総裁に。
ぐらぐらしていた慶喜の気持ちも19日頃にはようやく固まり、以後徹底して恭順の姿勢を崩すことはありませんでした。
幕府側で主戦論と恭順派がせめぎ合うこの時期、半藤先生は、大日本帝国の1945年8月15日が想起されると言います。
つまり、戦いの終わりを模索する姿が、勝海舟=鈴木貫太郎、小栗忠順=阿南 惟幾というように重なると。
一方、薩長率いる朝廷側は。
2月15日には総数5万という大軍を率いて京都を出発します。鳥羽伏見の戦いでは5千でありましたから、大変な増員でした。
しかし見逃してはいけないのは、前月23日の大久保利通による「大阪遷都」。
これから戦争をしようという時期に、すでにその先の、新政府の青写真を描いていたのは、この時ばかりは大久保ただ一人であっただろうというのが半藤先生の見立てです。大久保はその点において「希有の人」でした。
そしてこの遷都が実現を見なかったのは、木戸孝允によります。
誰にもみえないものを描いてみせる大久保に対し、木戸はこういう時必ず正論を言ってのけ、中庸を歩むひとでした。駆け足で進む大久保を留めておくに最適の人材であったと言えるわけです。
さて、新政府が国債を発行してまで臨んだ江戸城総攻撃。
これを寸前で止めたのが、世に有名な、勝・西郷による会談でした。
会談に先立って、勝が示した手紙にははっきりと、「戦争はしたくない、しかしいざとなればやる」と書かれています。
劣勢の側の代表者の物言いとは思われない、堂々たるものです。
実際に会談が行われたのは3月14日、芝田町の薩摩藩倉屋敷でのことでした。
いまも会見の碑が残されています。当時はそのあたりまで海だったのですね。
会談と言うものの、話は驚くほどあっさりついたということです。
まさに「勝・西郷の阿吽の呼吸」と、「勝の気迫」によってなされた運命の会談であり、ここに、江戸城無血開城への大きな足がかりが出来たのです。
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~稲盛経営哲学を出発点として~
劉 慶紅
慶應義塾大学大学院経営管理研究科 教授
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稲盛経営哲学に学びながら、人間性を尊重し、利潤追求と社会貢献の統合をめざす経営学理論を構築する、新論が真論となり、不易流行の経営学として結実することを目指して。
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福澤 克雄
(株)TBSテレビ コンテンツ制作局ドラマ制作部、演出家・映画監督
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