KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2009年05月26日

イバラの道は続く  竹森俊平さん

いつも思うことですが、経済学者というのは、経済論争において、なぜあれほどに闘争意欲が旺盛なのでしょうか。
お会いしてお話を伺う時には温厚で、制御的な物言いをされる先生方が、論争においては相手に容赦ない厳しい言葉を浴びせ、批判を展開します。
私のような気の弱い人間からすると、「そこまで言わなくても...」というようなえげつない表現も使って、相手の論が如何にダメなのかを指弾することがあります。
竹森先生も、実に温厚で、物静かな雰囲気の方ですが、論争においては闘争本能に満ち溢れた、経済学者らしい経済学者という印象でした。
本日の夕学で、その本能が垣間見えた場面は、我が国の経済危機への対応策をめぐる論争を紹介された場面でした。


今度の危機に対する日本の取るべき対策については、危機の元凶は何かをめぐる議論と似たような対立があります。
金融の損傷が軽微だったはずの日本が、なぜ経済危機に陥ったのかという話です。
ひとつは、市場原理主義・構造改革が悪いとする論。市場主義の過剰導入が拝金志向を生み、儲かることを何よりも優先するという風潮を招いた。ウォール街の金融エリートの精神的堕落こそが問題だとするものです。
日本では、ややもすると、なんでも小泉-竹中改革のせいにしてしまう傾向も見受けられるほどですが、与野党問わず、多くの政治家や地方の大合唱もあって、大勢としてはこちらに分がありそうです。
もうひとつは、構造改革をしなさ過ぎたからこうなったとする論。製造業を中心にした輸出産業に過度に依存し、国内市場の規制緩和・構造改革が不足で内需が拡大できずにいたから化けの皮がはがれたのだというものです。
竹中さんはもちろんのこと、新自由主義派と呼ばれる経済学者や財界人は、この立場で主張を展開しています。
竹森先生は、この両方が間違いだと厳しい口調で指摘します。
今回の危機は、構造改革の行き過ぎでも、構造改革の不足でもない。構造改革とはまったく関係がない。単なる需要不足の問題である、という意見です。
現在は世界的な「デレバレッジング」の過程にあり、お金の逆流現象が起きているので、「貸しはがし」「貸し渋り」は止まらない。日本の輸出を支えてくれていた米国が資金不足で需要が激減していることが問題で、それを国内の構造改革不足の問題にすり替えをしても意味がないというものです。
となると、我が国の経済回復は、米国の再生頼みということになりますが、竹森さんの考えはその通りで、一番蓋然性の高い道だと言います。
しかしながら、その道筋がはなはだ不透明であることが、先行きを暗くしているとのこと。
素人なりの解釈で簡略化して言うと、米国の再生に期待するということは、贅沢品を買い過ぎて、借金で破産寸前に陥った家庭に、もっと借金をして消費を増やしてもらうことを期待するとことと同じだからです。
米国民は、米国の再生を、オバマの「change」という掛け声に託しましたが、調整型のリーダシップスタイルを持ち味とするオバマ政権が、悪循環に陥った米国経済のスパイラルをチェンジができるかは疑問符がつくと竹森先生は見ています。
大胆な銀行国有化を視野に入れて取り組んだと言われる金融機関へのストレスチェックも、取れる打ち手の範囲内に答えが収まるように仕組んだ出来レースの様相が見え見えとのこと。
オバマが議会から取り付けた70兆円の不良資産救済プログラムのうち、既に60兆円は使われており、本格救済にはどうみても足りない。更なる血税出費を議会=国民に呼びかける覚悟が、オバマには見えてこないそうです。
この事態を抜けるには、世界の多くの人々が、借金を増やしてでも遂行することに賛同する、超常識の公共事業しかないだろう。その具体例を、人類は「戦争」以外にまだ知らない。そんな恐ろしいことにも言及した竹森先生。
「空想段階」と前置きしたものの、「日韓中海底トンネルプロジェクト」という竹森先生案に、思わずすがりたいと思ってしまいました。

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