夕学レポート
2005年07月01日
人事経済学のすすめ 樋口美雄 「インセンティブ社会の再設計」
「人事経済学」というのは、1990年代に生まれた新しい研究分野だそうです。「人間は利己的な存在である」ことを前提に利潤最大化・効用極大化といった経済合理性を追求する経済学の立場とナイーブでエモーショナルな現実社会(人と組織にかかわる)の融合を目指した野心的な学問です。そしてわが国においてこの分野を切り拓いてきた代表的な研究者がきょうの講師である樋口美雄先生です。
樋口先生によれば、人事経済学が必要とされる背景には、日本が抱える構造的な問題に対処するために国の労働政策が大きき舵取りを変えていることがあるそうです。構造的な問題とは、人口減少社会や産業構造の変化、若者の就業意識の希薄化などがあり、これらに対処するためには、「失業率をいかに抑制するか」という旧来の政策目標から「就業者の数量と意識をどう高めていくか」という新しい政策目標へのチェンジが図られているとのこと。働くことそのものにインセンティブが働く社会への展開ということです。そこで求められるのが人事経済学だというのが樋口先生の主張です。
これも樋口先生の言葉を借りると、人事経済学は「金銭的報酬+非金銭的報酬→人間の合理性」という式の上に成り立ちます。つまり、人は金銭や地位のためにだけでなく、“それ以外”の要因でも動機付けられるという事実に着目し、“それ以外”の要因も含めて人間の合理性に取り込んで考えれば「人間は利潤最大化・効用極大化を求める」という経済学的な考え方が機能するということでしょう。これは、組織論やリーダシップ論で語られる「モチベーション」とまったく同じ問題意識ですね。
現在の成果主義論争の一部に垣間見えるように、人事制度に関わる議論は、風土や文化という耳あたりのよい抽象概念の前に立ちすくんでしまい思考停止状態に陥ることがあります。結果として、極めてあやふやな雰囲気で制度の是非を判断しがちです。人事制度の効果も弊害も雰囲気ではなく客観的な基準で分析するべきであり、必ずできるはずだというのが人事経済学の本質なのでしょうか。制度精緻化の隘路にはまって動けなくなったわれわれ実務家には耳の痛い話です。
成果主義から年功主義への後戻りができない以上、移行期にある現在、さまざまな問題が顕在化するのは避けられないので、魔法の杖を探すのではなく、一歩一歩論理的に突き詰めていく努力を怠ってはいけないということでしょうか。
人事経済学が機能するためには、更に二つの要素が必要であると樋口先生は解説されました。ひとつは、政府による制度改革です。インセンティブ社会を促進・支援する社会保障制度、税制、機会の提供がなされること不可欠です。たとえば一律の税額控除ではなく、自己投資として能力開発や技術取得にお金を使った分を控除する税制への変更などがこれから議論されていくそうです。もうひとつは人材流動化社会で生きていくうえでの我われ自身の意識改革だそうです。例えばサラリーマンの中で、自分がいくら税金を取られているのか、その税金がどのように使われているのかを知っている人が何人いるのかという指摘がありました。その一方で、なんとなくの重税感だけを不満として主張してはいるのではないか。それは、雰囲気で是非を論じるのではなく論理的で客観的な分析を通じてなされるべきだという先ほどの本質に反するということでしょう。これまた耳の痛い話でした。
さて、樋口先生は厚生労働省の審議委員なども歴任しており、有名な「キャリア・コンサルタント5万人育成構想」にも関わった方です。人材流動化社会への移行にあたってキャリアに悩む個人をサポートするための社会的機能の整備が不可欠だという問題意識が根底にあるそうです。一説によれば、統合失調症は1%、うつ病は5%の割合で発症しているとか。1000人の企業であれば、それぞれ10人、50人の方が発病しているということです。潜在的な可能性を持った人はその5倍と考えれば、それぞれ50人、250人合わせて300人がなんらかのカウンセリングを必要としているということになります。更にいえば、その300人の上司達も的確なアドバイスを求めています。この方々に対して、組織内でキャリアカウンセリング・アドバイスをできる専門家の育成を目的としたコースが慶應MCCにもありますのでよろしければご検討ください。
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人事経済学のついて詳しく知りたい方は、樋口先生の下記の書籍をどうぞ
『人事経済学』樋口美雄 生産性出版
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