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夕学レポート

2010年04月08日

電子書籍という黒船

いよいよ、風雲急を告げはじめた。
出版業界を取り巻く内外環境の動きである。
先日は、Apple社が米国でiPadを発売した。その販売動向に世界中が注目していることは間違いない。
日本では、先月末に、大手出版社31社が集まって、日本電子書籍出版社協会(電書協)なる組織を設立した。
「出版社、中抜き阻止を目指して団結へ」という見出しがネットニュースを飾ったばかりだ。
キンドルやiPadといった電子書籍リーダーの登場を、幕末の黒船来襲に擬える声が多いが、待ち受ける側の反応をみると、まさに黒船騒ぎの再来といった感がある。
夕学プレミアムで講義していただいた半藤一利さんによれば、幕府はかなり早い時期に、オランダから長崎経由でペリー来航の情報を掴んでいたという。
老中は、内密のうちに連日の会議を開いたが、結局何ひとつ決まらないうちにペリーはやって来た。
「起きて困ることは起きない」「起きないことにしよう」「起きないと信じよう」
存亡の危機を前にして、いたずらに時間を消費し、打ち手が遅れるというのは、日本人の指導者層が持つ通癖だと半藤さんは言う。
21世紀の黒船来襲を迎え討つ出版業界の動きはどうなのだろうか。心配である。


ペリー来航時は、江戸城下も大騒ぎだったという。
戦を忘れた江戸末期の武士達は、槍や鎧はとうの昔に売り払い、刀の手入れもなおざりであった。
武具の修理や手当に慌てる武士のお陰で、鍛冶屋や武具屋は大忙しだった。
江戸を逃げだそうとする人々の特需で、駕籠屋や車力も大儲けをした。
なんでもありの混乱状態であった。
出版業界を取り巻く現状も、それに似てはいないだろうか。
人気ブロガーの池田信夫氏は、早速アゴラブックスという会社を起ち上げ、出版社が恐れる「中抜き」に果敢に挑戦するという。
大手ビジネス週刊誌では、「電子書籍と出版業界」という特集が、直前になって“経営判断”によって中止にされたという噂もネットで飛び交った。
早期退職制度に手を挙げた大手出版社の社員が、「リストラなう日記」というブログをリアルタイムで更新して、アクセスが殺到している。
こちらも、相当な混乱状態である。
慶應商学部の菊澤研宗先生なら、黒船来襲を前にして立ち竦む出版業界の状況を「取引コスト」理論で解説してくれるだろう。
これまで常識とされていた方法・商習慣を大きく変えなければならない時には、さまざまな「コスト」は発生する。
過去に投入してきた膨大な費用、しがらみや関係性を断ち切る時に生じる精神的負担、関係者を説得するのにかかる時間と労力。
それらはすべて「コスト」として意思決定者にのしかかり、判断の先送りに繋がる。
出版業界は、巨大な「取引コスト」を前にして、進むべき道を決めかねている。
「取引コスト」は心理的側面も大きい。その軽重の基準は、リーダーの心の持ちように大きく依存する。
角川書店の角川歴彦社長は、いち早く自著をネットで無料公開して、「フリー戦略」を試行した。ネットであろうがなかろうが、少しでも消費者に届く情報が増えて話題性が高まれば、固有物としての希少性に優れる紙の本も売れる(かもしれない)と信じたわけだ。
大手書店の社長は、社員に対して、キンドルやiPadを積極的に使うことを奨励しているという。敵を知れば知るほど、その弱点がわかり、戦い方が見えてくる(かもしれない)と信じたわけだ。
猛烈な攘夷思想を持ちながらも、ペリーの船に乗り込んで海を渡り、海外を知ろうとした吉田松蔭に通ずる発想だ。
松蔭は密航に失敗し、獄舎に繋がれた。しかし、松下村塾で維新の主役達を教え育てたのは、その後のことだ。
角川社長の本が売れたのかは知らない。
キンドルやiPadをいくら使おうが、大手書店の経営が厳しいことに変わりはない。
しかし、その意思決定に対して、時代の評価が下されるのは、もう少し先のことだろう。
出版業界を取り巻く環境は厳しい。経営を担うリーダーが取るべき、唯一絶対の正解は存在しない。それでも何かを決めなければ前には進めない。外部の人間は好き放題に
言うけれど、当事者にとっては、苦渋の決断の連続に違いない。

もし絶対的な権威があり、その命令に服従を余儀なくされたとしても、その決断の前に「自由な意志」にもとづいて立ち止まり、考え抜いたうえで決める限りにおいて、「自律=自由な意志」は存在する

菊澤先生は、上記のカントの思想を使って、「取引コスト」への立ち向かい方を示唆する。
決断にあたって必要なのは、業界の動向に合わせるとか、政府の支援にすがるとか、障壁を設けて時間稼ぎをするというリスクヘッジ策ばかりではない(それも必要かもしれないけれど)。
自分の意志で決めること。これを貫けるかどうかだ。
出版業界のネクストステージについては、下記の講演があります。
5/14(金)小林 弘人 
「新世紀メディア論 ~オープン出版宣言、21世紀の出版と新しいメディアビジネス~」 

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