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夕学レポート

2010年05月13日

第二回 ケインズの異論

先週土曜日に行われた 夕学プレミアムagora「竹中平蔵教授が講義する【問題解決スキルとしての経済古典】第二回目の講義内容です。
今回は、ケインズがテーマでした。
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竹中先生は、自らを「モダレートケインジアン」だと言います。
かつて、サマーズ(現国家経済会議(NEC)委員長)も同じ主旨のことを言ったそうです。
「いまの経済学者は皆、モデレートケインジアンである」と。
圧倒的に需要が不足して、圧倒的に失業が出ている時代にあっては、「政府が公共投資を行い、需要を作り出すべきである」というケインズの考え方は、まったくその通りです。
ただ、完全雇用が達成されるような状態の時に、「大きな政府」か「小さな政府」か、と聞かれれば、「小さな政府」がいいと私は答えるでしょう。
竹中先生はそう言います。
なぜなら、政府は間違えるから。政府の中にいた私が言うのだから間違いない。(笑)
つまり、経済とは、状況に応じて判断すべきものであって、ケインズがいいか、フリードマンがいいかという類の問いは意味のないものだということです。


竹中先生は、ケインズを論じる前に、ケインズとスミスを繋ぐ三人の経済学について言及しました。
トーマス・マルサス(1766 – 1834)
マルサスは、1798年に『人口論』を書きました。『国富論』の22年後のことです。
彼は、「食糧が算術級数的にしか増えないのに、人口は幾何級数的に増えるのだから、過剰人口によって社会的貧困が起こらざるをえない」と説きました。
デイビッド・リカード(1772 – 1823)
リカードは、1817年『経済学原理』を書きました。『国富論』の41年後のことです。
彼は、当時問題になっていた穀物法の議論において、外国からの安価な農産物に関税を掛け、地主の権利を守ろうという動きを批判し、徹底的な地主批判、新興産業家擁護論に立ちました。
このままでは、地主だけが繁栄し、新興産業家や労働者は苦闘すると考えたからです。
カール・マルクス(1818 – 1883)
マルクスは、1848年『弁証法的唯物論』を書きました。
「全ての思想・観念は物質的なものを基盤に成り立つ。物質は全ての基になるものである」
「万物は弁証法的(螺旋状)に発展する」
それがこの本の骨子です。
資本構成が高度化し、経済活動の利潤率は徐々に低下する。
その状況を打破すべく資本家による搾取は益々ひどくなり、恐慌は不可避的発生する。
耐えられなくなった労働者は、このシステムを打ち破るべく立ち上がるだろう。
マルクスはそのように予想しました。
三人とも、スミスのように市場をバラ色とは捉えず、地主・新興産業家・労働者三者の対立と緊張関係は次第に高まっていくだろうと考えていました。
しかし彼らの悲観的なシナリオを実現しませんでした。
貧しい人々は、生活水準が上がるとともに、産む子どもの数を減らし、豊かな生活の維持を図ろうとするようになった。マルサスの考えたようには行動しませんでした。
産業資本家はリカードが危惧した以上に強く、したたかであり、地主を凌駕して発展しました。
ロシアではマルクスの予言通りの革命が起きましたが、他の西欧諸国では起きませんでした。資本構成の高度化とともに民主主義も発展し、労働者保護政策を取るようになったからです。労働者も豊かになっていました。
現実の19世紀英国社会は、ビクトリア朝のもと、多くの問題を抱えつつも、優雅な発展を続けていました。そんな時代の中で、ケインズは生まれたことになります。
◆ケインズの生きた時代、直面した課題
ジョン・メイナード・ケインズ(1983-1946)は、ビクトリア朝が終焉期を迎えつつある頃に生まれました。
第二次世界大戦(1914-1918)を境に米国のGDPが欧州全体のそれを越えました。米国中心の時代が到来していたのです。
ロシア革命こそあったものの、大戦後の復興景気とモータリゼーションの進展により、1920年代を通して世界の経済は順調に成長していました。
それは「永遠の繁栄」と謳われるほどであったといいます。
ところが1929年に起きた株価の大暴落によって、世界経済の様相は一変することとなります。
当時、5年で5倍にまで膨れ上がっていた株価は、5日間で半値まで暴落し、当時の米国連邦予算10年分の富が消えたそうです。
1932年の米国の経済成長は-13.4%、33年の失業率は25%を越え、生産額は半分にまで落ちこみました。
従来の理論や処方箋が通用しない、未曾有の緊急事態が発生したわけです。
ケインズは、こういう時代背景の中で登場しました。
◆ケインズの人物像
ケインズは、裕福な家庭環境と多彩な才能に恵まれた「エリート中のエリート」でありました。イートン校からケンブリッジのキングスカレッジへと進み、いずれの学校でも優秀な成績を残したそうです。
文化教養にも造詣が深く、近代絵画の収集やニュートンの筆跡鑑定家としても名を馳せました。
しかし、「エリート中のエリート」として生きた彼の人生は、エリートへの過信というマイナス面を宿命づけられてもいたと竹中先生は分析します。
ケインズは、徹底したリアリストでもありました。
『貨幣論』の中には、ケインズのリアリズムを象徴する有名な言葉が記されています。
「長期的に見れば、我々は皆、死ぬのである。嵐の中にあって、嵐が過ぎ去るのをじっと待てとしか言えないとしたら、経済学者の存在する意味はないだろう」
また、尊敬するマーシャルの伝記の中で、次のようにも述べています。
「新しい経済学を構築しようとする経済学者が書くべきものは学術書ではない、自説のパンフレットであるべきだ。・・・大著を書く栄光はアダム・スミス一人で十分である」
“長い目で”、“やがて”という前置きを排して、いま、ここで起きている問題にどのように対処すべきかにこだわった人、それがケインズでありました。
◆ケインズは何を主張したのか
ケインズが、代表的な著書『雇用、利子および貨幣の一般理論』の中で取り上げた問題のひとつは、雇用(失業問題)でした。
彼はこの本の冒頭で次のような主旨を述べています(同書・上5P参照)
「失業があるのが特殊なのではない。むしろそれが一般的な状態なのだ。完全雇用状態を前提として構築された従来の理論は、失業が溢れている現在の経済状況の実相を映すものではない...」
理論をベースに考えるのではなく、あくまでも現在の問題状況に立脚して考えるべきだというケインズの主張が見てとれるそうです。
竹中先生は、『雇用、利子および貨幣の一般理論』のエッセンスとして次のような概念を紹介してくれました。
雇用について
・労働需要を決めるのは、価格(賃金)の調整機能ではなく、総需要(言うなればGDP)である。(同書・上12P参照)
・働きたいという労働供給に対して、総需要が不足しているのであれば、政府が投資をして総需要(GDP)の不足分をカバーし、労働需要を満たすべきである。(同書・上40P参照)
消費について
・消費は、常に総需要(GDP)の一定割合で均衡すると考えてもよい(同書・上133P参照)
投資について
・投資の大きさは、資本の限界効率(投資によって得られる期待収益率)と市場利子率が等しくなる水準で定まる。つまり投資は金利で決まる。従って、市場金利の利子率を下げれば、投資を増加させることができる。(同書・上185P、187P参照)
金利について
・金利(市場の利子率)とは、流動性という利便を手放すための対価と考えられる。金利が上がれば、人々は現金の流動性を犠牲にしても債券を買おうとする。逆に、金利を下げれば、流動性に優る貨幣を持とうとするだろう。従って、金利は貨幣の供給量によって上下するものである(同書・上232P-233P)
圧倒的に需要が不足し、圧倒的に失業が増えていた大恐慌下においては、
・財政政策では、公共投資を増やし、総需要を創り出すことで、労働需要を満たす。
・金融政策としては、貨幣の供給量を増やし、金利(市場の利子率)を下げることで、民間の投資意欲を喚起する。
・所得分配の平等化をあえて行い、貧しい人の所得を増加させることで消費を増やし、需要と投資を増やす。

以上がケインズの主張のエッセンスです。
◆ケインズが見落としたもの
ケインズは素晴らしい経済学者でありましたが、いくつか重要なことを見落としていたと竹中先生は分析します
エリート主義の弊害
ケインズのいうように、市場は神の手ではなく、間違いを起こすことは事実である。しかし同じように政府も間違いを犯す。どのようなエリートが政策を担っていたとしても...
非対称のリスク
ケインズ政策は、一度始めると止められなくなる。好況になっても公共事業を減らすことができないことを見れば明らかである。
これは民主主義ゆえの宿命、構造的な欠陥とも言えるだろう。
クラウドアウト
何かの手を打てば、必ず逆の作用も起きるものだ。投資を増やせば、金利も上がってしまう。ゆえに、どこまでやっても足りない。いつまでもやり続けなければならなくなる。
まさに、ケインズ政策の欠点と言える点でしょう。
また、ケインズを象徴する記述もいくつか紹介してくれました。
思想へのこだわり
「経済学者や政治学者が持っている思想は、通常考えられている以上に強力である。<中略> 実際、世界を支配しているものは、まずこれ以上のものではない」(同書・下194P)
思想・観念は物質(現実)に依存すると唱えたマルクスの唯物論を強く意識した言葉だそうです。ケインズのエリート主義を象徴していると竹中先生はいいます
美人投票
「玄人筋の投資は、美人投票のようなものだ。判断の限りを尽くして最高の美人を選ぶのではなく、参加者の多くが美人だと思いそうな人を選ぶ」(同書・上215P)
現代にも続く投機的行動の本質を見抜いた洞察と言えるでしょう。
ケインズの晩年は、他の経済学の大家がそうであったように、大きな批判と戦うことに費やされた。
現実の問題と向き合い、問題解決のための処方箋を提示する者の宿命といえるかもしれません。

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