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夕学レポート

2010年10月14日

「失敗学のジレンマ」  中尾政之さん

中尾先生が、講演の前フリとして、問わず語りに話してくれたエピソードから始めたい。ここに「失敗学のジレンマ」が凝縮しているように感じたからである。

某大手メーカーが販売した携帯電話でクレームが発生した。
充電器に差し込んだまま、フトンの中に長時間放置したことで発熱し、フトンが焦げてしまったというものだ。「電器あんか」ではあるまいし(中尾先生談)、使い方の問題ではと思いたくもなる事故ではあるが、メーカーは、敢然とリコールを決定し、販売済みの115万台の携帯電話の回収を決めたという。
同様のクレームが7件報告されていたからである。

115万のうちの7例に発生した事故の全責任をメーカーが追う。マスコミは、メーカーの責任を声高に追及し、事故撲滅に向けた投資を要請する。
それが、日本のリスクマネジメントの実像である。


失敗学の専門家として、古今東西のあらゆる事故・失敗の事例を集め、データベースを作って、分析と原因解明を進めている中尾先生によれば、現代の日本で発生する製造物に関わる事故のうち、技術(設計・開発・製造)そのものに起因する問題は非常に少ないという。
科学的なアプローチを徹底すれば、多くの失敗は予測でき、防止対策を講じることができるからである。日本の製造業が蓄積した失敗防止の組織的知見は世界に誇るものがある。
しかしながら、実際の事故・失敗の多くは技術以外の問題による。例えば組織運営の不良であったり、使用者の不注意であったり、必要な手順を不遵守であったりする。
にもかかわらず、技術の側が失敗防止の責務を担わねばならない。
失敗の恐さを熟知し、対策を打つ人間と、実際に失敗を引き起こす人間が、まったく違うところに存在している。ここに「失敗学のジレンマ」がある。
中尾先生は、失敗の評論家に甘んじることなく、失敗防止の実践家を自認している。
東大の安全管理委員会のリーダーとして、学内の事故原因究明&安全対策実行の実務を担っている。
「失敗学のジレンマ」を自ら引き受けて人と言えるだろう。
中尾先生によれば失敗のメカニズムはシンプルである。
・(なにもしなければ)人間同じような失敗を何度も繰り返す。
・人間は、熟慮すれば失敗を予測できる。

だから、過去の事故・失敗のデータベースを構築し、原因の構造化と類型化を行い、将来の損失を回避するような対策を講じることで、失敗を回避することができる。
失敗は、3つのタイプに分けることができるという。
1.安全対策が不発
安全に対する意識の低さ、決められたルールを守らないといったもの。
2.要求機能が干渉
設計段階の詰めが甘く、起きないはずのことが起きてしまうもの。
3.全体構造が複雑
あまりに複雑な構造で、制約条件が多すぎて身動きできなくなったもの。
1と2は、比較的手が打ちやすい、1は啓蒙や罰則で逓減できる。2は教育で手が打てる。
問題は3であり、これが「失敗学のジレンマ」に関連する、高度なソフトウェアや大規模システムが増えてくる現代社会では不可避的に増大している。
さらにやっかいなのは、グローバル化が引き起こす失敗であるという。
先述のように日本の製造業のリスクマネジメント意識とスキルは極めて高いので、滅多なことで失敗は起きないが、輸入品は信じられないような構造的不良を抱えている「トンデモ商品」が紛れ込んでいる可能性がある。
しかも、それを水際で食い止めるための法整備は、遅々として進んでいない。
夕学でもお話いただいた社会心理学者の山岸俊男先生は、「信頼社会」と「安心社会」は違うと説いた。
「信頼」とは、たとえリスクがあっても、相手を信じること。
「安心」とは、リスクがないから、相手を信じること。
日本は典型的な安心社会で、業界組織・団体がリスクを排除する仕組みを無自覚的に織り込んできた。言い方を変えれば、「相手が信頼できるか否か」を意識しなくてもよい社会であった。
現在の日本は、「安心社会」から「信頼社会」への転換を迫られている。
「失敗学」にも、工学的なアプローチに加えて、心理学的な「見極め能力」が必要になるのかもしれない。
複雑性に起因する手強い「失敗」に立ち向かうことを余儀なくされる一方で、綺麗な包装紙で覆い隠しただけの、信じられない基本的な「失敗」にも目配りをする必要がある。
失敗防止の責任は、社会全体が負う時代になってきたということだろう。
追記:
この講演に寄せられた「明日への一言」はこちらを
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/10月13日-中尾-政之/
この講演には「感想レポート」の応募をいただきました。
・失敗の予防学(としくんさん/薬剤師/36歳/男性)

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