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夕学レポート

2011年01月26日

現代の「代表的日本人」 山下泰裕さん

山下泰裕氏を見ていると、「大人(タイジン)」という言葉を連想する。
司馬遼太郎の小説を読んでいると度々出会う言葉である。「大人然とした...」「大人とした風格」といった表現で使われている。
辞書で調べると、「大人」という言葉には、体の大きな人という文字通りの意味と、徳を積んだ人格者という二つの意味がある。
司馬が、「大人」という言葉を使う人の代表は、西郷隆盛であろう。西郷の従兄弟でその影響を色濃く受けた大山巌に対しても使っている。
西郷も大山も、若い頃は知略と行動力を兼ね備えた武人であった。ところが晩年には、包容力と愛情に溢れたスケールの大きな人格者に変わっていった。
司馬の「大人」は、西郷、大山の晩年を形容する表現である。
どうやら、近代初期(明治時代)の日本において、「大人」はリーダーの理想像を語る言葉であったようだ。
ちなみに内村鑑三は、『代表的日本人』の第一に西郷隆盛を挙げている。
儒学や武士道の素養を持った内村は、明治になってキリスト教に出会い渡米する。そこで見たのは、功利主義に染まった米国のキリスト教社会であった。イエスの高邁な理想とはほど遠い西欧人の現実であった。
日本への熱い思い、交綜する思考を経て、イエスの魂と日本人的な精神の相似性を、西洋社会に向けて、英語で表現したのが『代表的日本人』であった。
内村鑑三は、この本で、西郷隆盛等5人の日本人を、イエスの魂を持った生粋の日本人、つまり世界に誇るべき代表的な日本人として紹介した。
「大人」は、世界に通用する日本のリーダーを表現する言葉にもふさわしいと言える。
山下泰裕氏は、まさに世界の誇る、ニッポンの「大人」である。


山下氏は、身体と人格の両面で「大人然」としているが、幼い頃、若い頃は必ずしもそうではなかったようだ。
「やっちゃんのおそろしかけん、学校にゃ行こごつなか」
故郷熊本での小学生時代、山下少年は、級友から恐れられる悪ガキであった。
もちろん、本人はいたって無邪気で悪気はないのだが、挨拶代わりに肩を押しただけで、相手の子は吹っ飛んだ。
登校拒否に陥るクラスメイトが何人かいたらしい。
高校(九州学院)では、1年の秋には練習相手が居なくなった。
稽古相手をお願いしますと先輩に申し出ると、「エッ!、昨日もやったじゃないか」と引かれてしまう。
大きすぎる自分、強すぎる自分をもてあますこともあったようだ。
しかし、柔道を通じて巡り会った恩師は、山下氏に「人生に活かす柔道」を教えた。強いだけ、試合に勝つだけの柔道ではなく、引退後も含めて、柔道で培ったものを人生で活用することの重要性を繰り返し説いてくれたという
おかげで山下氏は、類まれなる身体と才能を、勝ち負けの柔道で使い切るのではなく、「大人」として歩むための修養として磨き上げることが出来た。
輝かしいプロフィールだけを見ると山下氏の人生は、現役時代も引退後も順風満帆であったように思えるが、冷静に考えてみると、以外にも幾たびかの挫折や危機に遭遇している。
心技体にもっとも充実した時期に迎えたモスクワ五輪をボイコットせざるを得なかった。
ロス五輪では、ふくらはぎ肉離れという絶体絶命のピンチを乗り越えた。
指導者としては、シドニー五輪で篠原信一選手の「世紀の大誤審」に泣いた。
その都度、山下氏は、「大人然として」真正面から事態に向き合った。
モスクワ五輪ボイコットでは、選手代表として、涙ながらに心情を訴えた。
ロス五輪では、足をひきずりながらもけっして逃げなかった。
シドニーの誤審に際は、「何の力にもなれなくて申し訳ない」と篠原に頭を下げた。
山下氏の人間的魅力は、そんな振る舞いにこそあるのかもしれない。
現在の山下氏は、柔道を通じた教育活動、国際交流に力を注ぐ。
柔道界・スポーツ界のみならず、あらゆる世界で「世界のヤマシタ」の影響力は絶大のようだ。プーチンにホットラインを持つ日本人は何人もいないのではないか。
まぎれもない現代の「代表的日本人」のひとりである。
・この講演に寄せられた「明日への一言」はこちらです。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/1月25日-山下-泰裕/
・この講演には、感想レポート(1件)を寄せていただきました。
山下 泰裕さんの講演を聞いて(ネネまる子/アスレティックカウンセラー/30代/女性)

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