KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2011年04月14日

「母-オモニ-なるもの」 姜尚中さん

姜尚中先生は、政治学者ながら、NHK日曜美術館の司会を務めていた(3月まで)。
番組で取り上げた絵画の中でも、暗示的であったという意味で強い印象が残るという一枚の絵画の話から、講演ははじまった。
16世紀ネーデルランドの画家ブリューゲルの「死の勝利」という絵である。
brueghel_death00.jpgのサムネール画像
そこには、全ての者に訪れ蹂躙する死の圧倒的な存在と、それに対する人々の儚い抵抗が描かれている。
先月末、姜先生は、テレビ番組の取材で福島第二原発の30キロ圏内を訪れたという。そこで見た光景は、「死の勝利」を彷彿させる衝撃的なものだった。見渡す限り広がるガレキの山を眼前にして、自然の圧倒的な力の前に、人間がいかに無力な存在でしかないかを感ぜざるを得なかったという。
「前向きのオプティミズムの柱が、ポッキリと折れたような気がする」
3.11の衝撃について、姜先生は、そう語る。
前向きのオプティミズムとは、開発・発展・成長への傾斜であり、人間の欲望をエネルギー源とする進歩的社会観である。
戦後の日本を支えてきた観念と言ってもいい。 それがポッキリと折れてしまった。
今回の震災が我々に突きつけた問題は三つあるという。
1)科学への信頼
2)不可知・不可分なるものの受容
3)歴史の忘却 
の三つである。


地震予知研究、原発安全神話、都市の脆弱性etc。科学への信頼がゆらいだ具体例をあげだしたら枚挙にいとまがない。
科学は盤石の地盤ではなかった。我々は、つり橋の上にいるような不安定な存在であることを前提にして科学と向かう必要がある。
科学でわかること、科学で出来ることには、とてつもない未開の原野が残っていた。
津波被害で生死を分けたのはたった1メールの違いであったという。1メートルの違いで、隣人は肉親と家を失い、我が家と家族は生き残る。そういう経験をした人は、自分の生を無邪気に喜ぶことなど、絶対に出来ない。
ブリューゲルが描いたように、人間にとって、「生と死」は不可知・不可分なものだという、当たり前の事実に慄然とするばかりであるという。
熊本生まれの姜先生にとって、現在の東電の姿は、水俣病を引き起こしたチッソと二重写しに見えるという。日本企業は、チッソからいったい何を学んだであろうか。
「歴史を学ぶ」とは、過去の失敗を構造化し、未来に向けて活かされなければならない。日本は、水俣病とチッソ50年の歴史を、構造化を怠ったまま、受け流し、忘れ去ってしまった。
科学への信頼、不可知・不可分の排除、歴史の忘却は、前向きのオプティミズムに包まれた「戦後なるもの」の象徴でもあった。
姜先生の自伝的小説、『母―オモニ-』は、「戦後なるもの」と真逆の生き方をせざるをえなかった姜先生の亡き母(オモニ)を描いた作品である。
文字が読めなかったオモニは、文字(近代知性)以外の手段で外部世界と繋がることで、戦後を生き抜いてきた。
宗教というよりも「まじない」に近い土俗的な信仰を信じ、非科学的な儀礼・儀式を大切にしていた。死者の霊魂と会話をし、度々トランス状態に入ったという。
死ぬまで旧暦カレンダーとともに暮らした。自然の律動と人間の暮らしを一致させる身体感覚が頼りだったからだという。風や匂いや光の強弱で季節を知り、暮らしを営んでいた。
それらは、彼女にとって「生き抜くための術」であった。
母が人生を通して体現してきた「母(オモニ)なるもの」は、「戦後なるもの」の対極にある。非科学的で、混沌でわかりにくく、伝統と不可分である。
姜先生が、『母―オモニ-』を書いたのは、亡き母への、そしてかつての日本への、哀切と憧憬からではない。
「母(オモニ)なるもの」に、これからの日本が、他者(他国)と付き合う際に求められる基本姿勢が隠されていると確信しているからである。
よくわからないものをうち捨てない。
理解出来ない相手を排斥しない。
自分とは異なる価値観を否定しない。

前向きのオプティミズムが折れたからこそ、見えてきたものがそこにある。
ただ、私の心には不安が渦巻いている。
姜先生の話に深く心打たれる人は多い。「がんばれ日本」の声も広がっている。義援金も多く集まっている。
その一方で、こういう話こういう話もある。
姜先生と同様に、不可知なるものとともに生きることを説く南直哉師は、先月末の時点で、すでに、このような事態を看過している。
「恐山あれこれ日記」
美しい概念に共鳴することは難しいことではない。問われるべきは、概念通りに行動できるかどうかだ。
それが、我々に突きつけられた課題ではないだろうか。
この講演を聴いて、下記の皆さんに感想レポートコンテストに応募いただいています。

・日本のこれからはどうなるのか?(山川輝夫/会社役員/69歳/男性)

・講演テーマが差し替わったが、それなりに満足できた(つるみじん/会社員(営業職)/50台後半/男性)
・不可知なものでありふれた世界を生きようよ!(香織大好きまさのり君/公務員/20代/男性)
この講演に寄せられた「明日への一言」22件はこちらです。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/4月14日-姜-尚中/

メルマガ
登録

メルマガ
登録