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夕学レポート

2011年10月11日

「もうひとつの絆」 山折哲雄さん

photo_instructor_579.jpg山折先生が、震災後の東北を始めて訪れたのは4月中旬のことだったいう。3日間かけて、松島から気仙沼まで、甚大な被害を受けた沿岸の町々を北上した。そこに広がっていたのは、賽の河原かと見紛うほどの、荒涼とした光景だった。
しかし、顔を上げると、澄み切った春の青空が目に飛び込でくる。一瞬だけ眼前の現実を忘れてしまうほどの美しさであったという。
大自然の持つ「凶暴さ」と「美しさ」。 太古から、人間は自然の二面性を受け入れ、両方と付き合い続けている。だからこそ、自然に「希望」を見いだすことができる。
山折先生は、このことを改めて認識したという。
津波に襲われた沿岸部では、亡骸を葬る場所もなく、至る所に簡易の集合墓が造られ、土葬で見送られたご遺体が、盛土に立札だけで弔われていた。
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍 ....

山折先生は、その光景を見て、万葉集に収められた大伴家持の歌を思い浮かべたという。
ここで歌われる「屍」とは、物理的存在ではない。亡骸から離れ、自然に還ろう(溶け込もう)とする「魂」を意味する。
生のすぐ隣に死があった時代の「鎮魂のうた」だという。
私も始めて知ったが、万葉集の半数近くは「挽歌」であるという。
しかも、詠われる死者のほとんどが、今でいう異常死である。災害、行き倒れ、刑罰等々非業の死を遂げた人々の魂をどう鎮めるか。万葉の昔は、それが多くの人に共有された精神的な課題であった。
死とは今よりももっと身近なもの、常に生の隣にあって、どう付き合うべきかを考えねばならぬもの。ここにも自然の二面性が垣間見える。


大震災直後、日本の各所で観察され、海外から畏敬の念をもって語られたのが、日本人の行動であった。感情の抑制が効き、冷静でありながらも他者を思いやる配慮を忘れない、日本人の精神性がそこにあった。
なぜ、我らが同胞は、災害にあっても穏やかでいられるのか。
山折先生は、近代が生んだ二人の知識人が残した名文を紹介しながら、鮮やかに解説をしてみせた。
ひとつは、寺田寅彦の『日本人の自然観』
このエッセイの中で、寅彦は自身の専門である地震を題材にして、災害に向き合う日本の精神性に言及している。
地震は、「天然の無常観」を日本人に培った。
大昔から、幾度もの大地震に見舞われてきた日本人は、自然に抗うことの無力さを知っている。無常観が、五臓六腑に染みこんでいる。
無常という言葉は、仏教を仮借しているが、無常的なこころは、ずっと昔から日本人にあったはずだ。寅彦は、そう喝破しているという。
自然には逆らいがたいと知りながら、それでも自然から身を守らねばならない。
この二面性が、日本人の科学を貫いている。
もうひとつは、和辻哲郎の『風土』である。
寅彦の地震に対して、和辻は台風を取り上げ、自身の専門である日本人の倫理観の解読を試みている。
和辻によれば、日本は寒帯的な風土(大雪)と熱帯的な風土(大雨)の両面の特徴を持つ。そして台風は、季節的に訪れながらも、突発的に発生する。
寒帯と熱帯、季節性と突発性。二面性の重層構造が見てとれる。
この複雑な性格が、日本人のこころに影響をした。人々のこころの機微や陰翳を形成した。
しめやかなる激情の如くに、抑制的でいて、こころの中は戦闘的な強いエネルギーに満ちている。
「恬淡(てんたん)」
一言で表現すれば、この言葉だと山折先生は言う。世阿弥の能、利休の茶、雪舟の水墨画に共通する日本的精神の深層である。
ここでも仏教の言葉を借りるならば、「慈悲」が相応しい。生命に対する慈しみと憐れみ。日本人の倫理観の基層には、これがある。
震災後、よく使われるようになった「絆」という言葉。
私たちは、この言葉に、人と人の絆、人と社会の絆を思い浮かべる。
しかし、はたして「絆」はそれだけでいいのだろうか。
生き残った人々と亡くなった人々の絆、生と死をつなぐ「もうひとつの絆」を意識することも重要ではないか。
山折先生は、そう指摘する。
今もなお、悄然として海を見つめる人々の胸に去来している想い。
その本質は、万葉の時代と、寅彦や和辻が生きた時代と、変わることはない。
この講演には「感想レポート」の応募をいただきました。
・「日本人の心」(哲山さん/会社員/49歳/男性)
この講演に寄せられた「明日への一言」はこちらです。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/10月11日-山折-哲雄/

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