KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

夕学レポート

2011年11月02日

日本海の架け橋  加藤嘉一さん

photo_instructor_582.jpg中国というのは、「1+1=2」にならない国です。
新進気鋭の中国ウォチャーである加藤嘉一氏が、「中国ってどんな国ですか?」と問われた時に、決まって答える言い方である。
常識が通用しない。コロコロと方針が変わる。すぐに裏をかいてくる、網の目をくぐることに頓着しない。言うこととやることが違う。
巷間、中国の異質性について語られる逸話をあげたら枚挙にいとまがない。
しかし、中国人にとっては、いずれも合理性のある行動なのだろう。そうすることで社会の秩序が維持されてきた面もある。
平田オリザさん流に言えば「コンテキストのズレ」という現象なのかもしれない。「国柄や地域・文化によって異なる個性」に過ぎない。
そのズレ方が、少しばかり豪快であり、国土も人口もケタ違いだから目立つだけなのだ。
考えてみれば、日本が世界との「コンテキストのズレ」に悩んだ時代もあった。
幕末から明治の半世紀は、まさにそういう時代であった。
当時、世界の人々が、日本と世界のズレを嘲笑的に観察していた様子は、英国人画家チャールズ・ワーグマンの「ジャパン・パンチ」という風刺漫画に残されている。
日本の近代史は、近代思想・制度を必死になって導入することで西洋列強との「ズレ」を解消しようとした歴史であったとも言える。
近代思想・制度の導入が、国家的な「ズレ」の解消努力であったとすれば、別のアプローチで汗をかいた人々もいた。
「ズレ」は個性であって「遅れ」ではないこと、日本の個性の中に、西洋人が共鳴できる崇高な知性や倫理があること、を主張した知識人・言論人の存在である。
内村鑑三新渡戸稲造岡倉天心の三人は、その代表であろう。
彼らに共通するのは、青春時代に優れた外国人の影響を受けたことと、海外で暮らした経験である。海外に触れることで、自分(日本)と世界を相対化し、第三者(西洋)が見た日本を強く意識した点にある。
やがて、彼らは壮年期になって、相次いで「英語での日本論」を発表する。
内村は『Representative Men of Japan(代表的日本人)』を、新渡戸は『The Soul of Japan(武士道)』を、岡倉は『THE BOOK OF TEA(茶の本)』をそれぞれ書いている。
いわば、日本人論、日本精神論、日本文化論といったところであろう。


ひるがえって、現代中国社会が加藤嘉一という青年を高く評価する理由は、内村等の立ち位置とよく似ているようだ。
彼が、中国人がもっとも知りたがっていること=「第三者からみた中国」を、正々堂々と語るからである。
主張はきわめてオーソドックスな見解であって、奇をてらうものではない。しかし、自分の言葉と肌感覚で語るゆえに、迫力と説得力がある。ネットという新たなメディアを主戦場とする点にも新奇性があるだろう。
もうひとつは、彼が日本人の若者であるからに違いない。
加藤さんによれば、近代中国の大きなエポックは、辛亥革命(1911年)と改革・開放政策(1978年)であるという。
辛亥革命の雄、孫文が強い衝撃を受けたのは日露戦争での日本の勝利であった。
鄧小平は、日中平和条約批准のために訪れた日本の発展ぶりを目の当たりにして、改革・開放への舵取りを確信した。中国にとって日本は因縁の深い隣人である。
そうした歴史縁に加えて、靖国参拝、尖閣諸島、歴史教科書等々、喉もとに刺さる小骨のような問題がいくつかある。
いつもその動向が気になる存在。絶えずイライラさせられる嫌な奴。一方で、常に憧れであり、目標となる対象。
そんな日本からやってきた若者が、しごく真っ当な意見を、物怖じせずに、流暢な中国語を駆使してまくし立てる。
それが、中国人にジャスフィットしているということであろう。
期待感を込めて言うならば、日中間の坂本龍馬的な存在を目指して欲しい若者である。
その行動力や熱の高さ、堂々とした立ち居振る舞いは、維新の英傑達を想起させるものがある。
日中関係がそうであるように、龍馬が仲介するまでの薩長関係も、けっして順風ではなかった。相互不信が積み重なり、「薩摩だけは許せない」「長州とは一緒にやれない」という関係であった。「コンテキストのズレ」の解消は、とてつもなく難しいことに思われた。
しかし、龍馬がやったことは、「ズレ」の解消ではない。
薩長が、恩讐を越えて結び合える共通目標として「新たな日本像」を形成したことにある。「ズレ」を越えた共通基盤を作ろうとした点において、龍馬と内村・新渡戸・岡倉を同じである。
実は、日本はいまも世界との「ズレ」を抱えている。グローバリズムの中で、その「ズレ」は広がりつつあるのかもしれない。
加藤さんの視線も、その「ズレ」をしっかりと見据えているようだ。
世界の中の日本、その独自性と立ち位置、進もうとしている道を、世界に向けて発信する時だと喝破する。「早熟した高齢化社会」という世界初の社会モデルに立ち向かおうとしている日本の現状を、堂々と発信するべきだと熱く語る。
その意気やよし。老婆心ながら、全速力で走り過ぎて無理を重ねないで欲しいと願う。
この講演に寄せられた「明日への一言」です。
http://sekigaku.jimdo.com/みんなの-明日への一言-ギャラリー/11月2日-加藤-嘉一/
この講演には、3件の「感想レポート」が寄せられています。
「外交の鍵は、中国を知ることと日本を知ってもらうことにある」(ドラミさん/職業:携帯電話事業/30代/女性)
「私の体験上、過去もっともエキサイティングなライブ」(さいとうさん/会社員/40歳代/男性)
「「尖った」若者-加藤嘉一-真の「日本海の橋」を目指せ」(Yakkunさん/会社員/50代/男性)

メルマガ
登録

メルマガ
登録