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夕学レポート

2012年01月17日

マーケティングとはマッチングである  池尾恭一さん

photo_instructor_597.jpg随分と昔のこと、マーケティングの勉強を始めた頃に、コトラーのマーケティングの定義を丸暗記したことがある。
「マーケティングとは、顧客のニーズや欲求を満たすために、製品・サービスの交換と価値の創造を行うプロセスである...」
というような文言ではなかったか。
これみよがしに会議で話したところ、「要するにどういうことなん?」と突っ込まれて、しどろもどろになった記憶がある。
いまなら、もう少し上手に言うだろう。
「マーケティングはマッチングですよ」と。
顧客のニーズと製品の機能を結びつけ、価値を産み出すこと。それがマーケティングである。
かつて、マッチングはきわめて属人的な機能であった。
日本であれば、富山の薬売りに代表される回遊型商人であり、米国であれば、幌馬車で大陸を廻る隊商の人々がマッチングを担っていたと言える。
どこそこの地域の人々は何を望むのか、どこそこにはどんな名産や技術があるか、両者を的確に把握し、マッチングすることで商売が成り立った。
マッチングの役割は、やがて問屋へと移り、工業化とともにメーカー主導型の販売代理店がその機能を引き継ぎ、いまは顧客に寄り添う購買代理業的な存在がメインプレイヤーになっている。
本質が「マッチング」であることは変わらない。


池尾先生によれば、マッチングとしてのマーケティングには、大きく二つの極がある。
ひとつは、ターゲット顧客を起点にした極。「オープン型マッチング」である。
池尾先生は具体例としてアスクルを挙げることが多い。
プラスの別会社として事業を始めたアスクルが、成長軌道に乗った理由のひとつは、顧客ニーズに応えるために、プラス以外のNB商品や文具以外の商材を扱いはじめたことにある。 他メーカー品を併売して多様なニーズに応えつつ、一番儲かる商品を自社PBで抑える。そのバランスの妙がアスクルのコアコンピタンスである。
もうひとつは、シーズ(希少性にある技術)を起点にした極。「開発力協調型マッチング」である。
池尾先生は、新潟燕市の研磨加工技術の例を挙げたが、私は、昨年夕学に来ていただいた元グー-グル日本法人代表の辻野晃一郎さんがはじめた「ALEXCIOUS」というビジネスを想起した。
九谷焼で作ったワイングラス、漆で描いたネールチップ、曲げわっぱのランチボックス、和紙のスタンドグラスetc。日本の伝統工芸が守ってきた職人技に価値と競争優位性を見いだし、「グローバルマーケットに売る」というターゲティングの革新性と組み合わせることで、イノベーションを目指そうというものだ。
「オープン型マッチング」と「開発力協調型マッチング」、二つの極の間のどこに軸足を置くかということがマーケティング戦略の根幹になる。
更に言えば、いずれの場合にも、IT技術の使い方が決め手になる。
池尾先生は、ネット販売の特性として「98%の法則」を紹介してくれた。
デジタル・ジュークボックスに入った一万枚のアルバム中、三ヶ月間に少なくとも一曲は売れたアルバムの数は98%。
人の好みは実にさまざま、ロングテールは想像以上に長いようだ。やり方次第では「しっぽ」だけもビジネスが成り立ちうる。
もちろん、ネットマッチング特有の問題もある。最近起きた「食べログ」やらせ問題のように、不届き者の参入を入口で排除するのが難しい。
サイト側でも監視を強化しているが、中央制御には限界があるだろう。
その代替機能としてソーシャルメディア等の「集合知」による選別効果が期待されているが課題も残っているのが事実であろう。
ネットマッチングにおいて、IT技術が生きるもうひとつの分野が、顧客データベースの精緻化である。
かつて、富山の薬売り達は「大福帳」と呼ばれる顧客管理・購買管理台帳を大切に受け継いできた。高額売買されることもあったと聞く。現代の「大福帳」はIT化によって、もっと精緻に、大規模に、便利になった。いまや消費者の個別識別・個別対応が可能にあった。
これによって、熟練した営業マン、販売員にしか任せられなかった、顧客を見極めたうえでの値引きや大胆なサービスの付与が可能になる。
そう考えると、ネット時代のマッチングビジネスが、まだまだ黎明期であることがわかる。
出来たらいいなあ。 出来るかもしれない。 ということがたくさんあるが、実際に出来ていることは少ない。だからこそビジネスチャンスがある。
変化は、終わったのではなく、渦中である。
しかも、これからの変化は、これまでの変化より大きく、そして加速される。
先週お聞きした夏野さんの話が改めて思い起こされた。

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