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夕学レポート

2012年05月17日

欲望(希望)のエデュケーション 原研哉さん

photo_instructor_612.jpg原研哉さんは、近年の自らの役割を、次代の社会構想をデザインすること、と考えているようだ。社会のこれからの可能性を可視化して、ひょっとすると「こうだったりして…」という選択肢を提示することである。
いや提示するだけではなく、他者を巻き込んで実現することまでがデザインの範疇かもしれない。
デザインには「欲望(希望)のエデュケーション」効果がある。
原さんは、そういう。
あらゆる「もの」や「こと」を、樹木の果実だと考えてみる。
豊潤な果実には、土壌の質が重要である。
土壌には、それぞれの伝統や風土、特性に由来する「地味」がある。
欧州社会という土壌には、宮廷・貴族的な文化がよく似合う。
米国社会という土壌には、ギラギラした物質主義が育つ。
日本という土壌には、「質実剛健」的なものがマッチする。
それぞれの土壌の「地味」を肥えさせることで、果実は大きく、甘く育つ。
そのための、気付け薬あるいは促進剤の役割を果たすのが「デザイン」である。
デザインには、土壌に何を育てたいのか、それに気づかせ、創造意欲を喚起して、行動に向かわせる力があると信じている。
例えば、
日本という土壌に「家」という果実を育てようとした時に、どんな「家」が相応しいのか。
土壌の「地味」を吟味してみると、次ぎのような特徴が見えてくる。
人口は減っていく。土地は狭い。空き倉庫、シャッター商店街などが悩みの種。
一方で、貯蓄高は世界一。高齢者はアクティブ。丈夫で頑丈な躯体(構造体や骨組み)は潤沢にある。
創造力豊かな建築家、設計士はたくさんいる。技術力は申し分ない。
だとすれば、これからの日本の「家」は、新築より中古を上手に使い回すことが「理」にかなっている。


いままでの常識を破る大胆な発想があれば、ライフスタイルに合わせた、まったく新しい「家」がデザインできるかもしれない。
小さなスペースに、あらゆる機能を、コンパクトにして詰め込む、という従来発想の日本の「家」ではなく、大切にしたい価値を絞って極大化し、他の要素を省いてしまう。
寝室だけの家、リビングの真ん中にお洒落なシンクが設置された家、書斎のような家、キッチンハウスのような家etc
そんな「家」があってもいいのではないか、という発想である。
これからの新しい「家」は、日本が誇る多様な技術産業の交差点になるかもしれない。産業として経済効果をもたらすことだって出来るのではないか。
それが「HOUESE VISION」という構想である。
「家」という産業の可能性を可視化することに他ならない。
「HOUESE VISION」にあたっての原さんの活躍は縦横無尽であった。
自身のアイデアを武器に、「無茶振りディレクション」と自称する行動力を発揮して、建築家やアーティストを口説き、産業界を回り、一大プロジェクトに仕立て上げてしまった。
詳細はこちらのサイトをご覧いただきたい
HOUESE VISION
http://house-vision.jp/
原さんが、HOUESE VISIONを社会に訴求する方法として採用しようとしているのが、展覧会方式である。
実際にプロトタイプを作り、可視化することで、作る人と見る人双方の創造性を喚起するのに効果が抜群だという成功体験に根ざしている。
2013年春 臨界副都心青梅パレットタウン付近に、HOUESE VISIONの展示場を作る構想着々と進んでいるという。
政治や行政主体でもない、財界の肝いりでもない。ひとりのデザイナーが発案した個人プロジェクトとしては、画期的な広がり方かもしれない。
更には、産業としての可能性を広げるために、アジア展開も視野に入れはじめた。
「HOUESE VISION in ASIA」
日本の「家」をそのまま売るのではない。アジアにも、各国、各地域の地味がある。その国の地味にあった「家」のことを日本が一緒に考えようというスタンスである。
それは西洋社会がリードしてきた近代の方法論を乗り越えた、ポストモダン的な創造の方法論を試すことでもある。
デザインとは、「もの」「こと」だけでなく、人と人との関わり方、知の創り出し方の可能性を可視化することでもあるようだ。

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