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夕学レポート

2012年05月25日

「国民のための経済、国民による経済」 中野剛志さん

photo_instructor_613.jpg昨年秋から冬にかけて、日本の外交政策の大きなトピックとされたのが、TPP(環太平洋経済連携協定)を巡る議論であった。
野田内閣はもちろん、マスコミ、有識者がこぞってTPP参加論を説く中にあって、最も先鋭的に反TPP論を展開したのが、中野剛志氏であった。
中野先生の反TPP論の理論的根拠となったのが、この日の夕学のテーマ「経済ナショナリズム」という政治思想である。
経済ナショナリズムは、「ナショナリズム」という言葉が背負う歴史的な背景もあって、多くの誤解を受けてきた考え方である。いわば、異端の思想と言ってもよい。
しかし、グローバリズムの歪が、誰の目にもはっきりと見えてきたいま、これからの世界のあり方を規定するイデオロギーとして「経済ナショナリズム」がもっと照射されるべきだ、というのが中野先生の立ち位置である。
「経済ナショナリズム」を理解するためには、「ナショナリズム」の定義を確認する必要があるという。
「ナショナリズム」という言葉は、Nation(国民)とism(主義)に分解できる。
つまり、国民主義と言い換えることもできる
したがって、「経済ナショナリズム」とは「経済国民主義」。経済領域において、国民の生活を第一に考える思想と定義できる。
「国民のための経済、国民による経済」と言えるだろう。


「経済ナショナリズム」を理論として確立したのは、19世紀ドイツの政治経済学者フリードリッヒ・リストだが、当時から多くの誤解を受けてきたという。
重商主義、保護主義、排外主義、反国際主義etc。
中野氏は、それらの誤解が生まれた経緯に理解を示しつつも、誤解の多くは、「経済ナショナリズム」の本質を外しているという。
「国民のための経済、国民による経済」という本質に立てば、時によって保護主義的になることもあれば、自由経済を標榜することもある。必要があれば、国際社会における孤立もいとわないが、協調主義を取る局面もある。
要は、政策の一貫性にこだわるのではなく、「国民のために経済、国民による経済」にとって、ベストの政策を選び取る。それが「経済ナショナリズム」の本質だと、中野先生は言う。
では、東西冷戦が終結して以降、世界の経済イデオロギーの主役に君臨する「経済自由主義」と何が違うのだろうか。
中野先生は、リストの言葉を引用しながら次のように説く。
「存在するのは、個人ではなく、国民である」
「富の再分配の効率性ではなく、富を生み出す「力」=国力こそが何よりも重要である」
経済自由主義の学祖と言うべきアダム・スミスは、経済の主体を「利己的な個人」と見ていた。
利己的な個人が、自らの利益の最大化をめざすこと、つまりは資本家が富を求め、起業家は事業拡大を求め、労働者は賃金最大化を求めること。それが結果として経済を活性化させ、富の再分配を促し、社会を繁栄させる。利己的な個人の利益追求行動が、意図せざる結果として、豊かな社会をもたらす。
それが、経済自由主義の原理である。
「経済ナショナリズム」は、この出発点と世界観が違う。
人間を「利己的な個人」として捉えるのでなく、「国民」として捉える。
需要なのは、富の再分配を効率化することではなく、富を生み出す力=「国力」を守り育てること。
これが「経済ナショナリズム」の原理であろう。
この原理に沿えば、何よりも重要なのは、「国民自決権」ではないか。
国民が、自分達の運命を、自分達の手で決めること。これが日本の民主主義の最大眼目であったはずだ。
中野先生の論理は、徐々に反TPP論に結びついていった。
「国民自決権」を侵害するものは何か。
外国からの侵略、大規模災害などと同じように、外国資本による経済支配、グローバル市場の変動も「国民自決権」を侵害するだろう。
ギリシャの現状を見ればよくわかる。すでにかの国は、自分達の運命を、自分達の手で決める権利を実質的に失ってしまった。
日本は、食糧とエネルギーという国民生活に不可欠な基本的要素を自給自足できない状態にある。見方を変えれば、すでに国民自決権の確保もおぼつかない事態になっている。
この期に及んでTPPに参画すればどうなるか。
先般、米国がTPPの事前協議において、日本の軽自動車の自動車税の大幅な引き上げを要求してきたというニュースが報道された。米国車が日本で売れないのは、軽自動車の自動車税が安すぎるせいだと言わんばかりである。
TPPに参加することで、同じような要求が、米作への補助金や国民皆保険制度へと広がってくることは容易に予測できる。
それが「国民のための経済、国民による経済」につながるのか。
「国力」の向上につながるのか。
中野先生の問題意識を忖度すれば、そういうことであろう。
「経済ナショナリズム」の基本は理解できた。
日本の経済外交や産業政策を考える際に、「経済ナショナリズム」という政治思想が、ひとつの基軸を提供してくれることもわかった。
この20年間、世界の経済を動かしてきたのはグローバル化、統合といった潮流であった。これに対して、リーマンショック、EU危機を契機として異なる潮目のようなものが見えたことは事実である。
このままでよいのかという不安が頭をもたげつつある。
「経済ナショナリズム」の広がりに関心を払う必要はあるだろう。

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