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夕学レポート

2012年06月12日

「なぜ」「だから何なの」 ちきりんさん

photo_instructor_601.jpg「Chikirinの日記」が始まったのは、2005年3月のこと。
現在確認できる限りでは、最初の記事は「ホリエモン vs フジテレビ」であった。
実は、「夕学楽屋ブログ」が始まったのも、2005年4月である。
最初の講演ブログは高橋俊介さんだった。
「Chikirinの日記」「夕学楽屋ブログ」ともに、当初のアクセス数は3000PV/月程度と同じようなものだったらしい。
それが今では...
「Chikirinの日記」は、100万~150万PV/月、ユーザー数3万人/日
「夕学楽屋ブログ」は、1.5万~2万PV/月、ユーザー数は200~300/日
百倍にまで開いた要因は何なのか。
ここは書き手の筆力の差だと認識せねばならない....
自嘲気味の愚痴はさておき、本題へ。
ブログ、書籍、講演を通して、ちきりんさんのメッセージは「もっと考えよう!」ということだ。
「考える」ことへのこだわりは、異なる二つの職業体験で感じたカルチャーギャップが原体験とのこと。
バブル期に新卒で入社した証券会社では、「考えるな」と叱られた。
MBA取得後に入った外資系企業では、「考えろ」と叱責された。
この差はいったい何なのか。その時からひたすら「考えてきた」
そして「考えよう」というメッセージが、いまの日本にビシッと刺さるテーマだということに確信を持ったということかもしれない。
先が読める時代=「変わらない世界」には、知識と経験が重要。だから年の功が生きる。
先が読めない時代=「変わる世界」では、思考と論理が重要。無知・無経験が武器になることさえある。
これからの世界、これからの日本は、後者である。


ちきりん流の思考の技術は三つある。
1.知識と思考を峻別すること
知識とは、だれがやっても同じ結果になること。従って、結果の○×を確認すればよい。知識の量は差別化ポイントにはならない。
思考とは、考える人によって結果が異なる。だから皆で考え、話し合う必要がある。
思考の質が差別化のポイントになる。
日本は知識偏重社会である。
情報収集と分析に時間をかけ、その発表を聞くだけの会議が圧倒的に多い。
時間はかかる、資料の量も多い、しかし決定ができない。
いまこだわっているのが知識なのか思考なのかを峻別し、思考にもっと時間をかけるべきである。
2.判断基準について考える
相談する際に頼りになる人(よいアドバイスをくれる人)は、情報があるわけではない。的確な判断基準を持っている人である。当該事項の判断基準について、徹底的に自分で考えたことがある人である。
そういう人は、必要最低限の情報をインプットできれば、すぐに決定ができる。
情報は決定につながらない、判断基準にあてはめることで、決定できる。
判断基準は人によって違う。だから議論が必要になる。
最も適切な判断基準を選びだすために、議論のプロセスも定める必要がある。
その課程で、自分が何を大切にしたいのかが見えてくる。
3.知識は「思考の棚」に整理する
情報にはクセ、傾向がある。それを見極めて、適切な枠組み(思考の棚)に整理していくと、自ずと見えてくるものがある。
ちりんさんが紹介してくれた分かりやすい解説例がこちらのサイトにある。
「世界の大事件!NHK、BBC、CNNはこんなに違ってた」ダイヤモンド社書籍オンライン
ではどうすればよいか。
思考とはテクニックではない。量である。どれだけ考えたかという時間である。習得するのにショートカットはできない。
一日一回、一会議で一回
「なぜ」「だから何なの」を口癖にすることだ、と、ちきりんさんは言う。
もちろん、他者に問い掛けるだけでなく、自分自身にも問い掛けねばならない。
よいことを言う人の答えは、いつだってシンプルである。

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