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夕学レポート

2012年10月24日

世界に発信する日本史  北川智子さん

近代以降、数多く著されてきた日本人論・日本社会論の中でも、古典として読み継がれている本がこれである。
『菊と刀』ルース・ベネディクト 
第二次大戦中の米国戦時情報局による日本研究をもとに執筆され、後の日本人論の源流となった、とされているが、法政大学の長岡健先生によれば、著者のベネディクトは、実は日本に来たことはなかった。
随分と乱暴なやり方と思うかもしれないが、ベネディクトは日本に関する文献と限られた日系人との交流だけを頼りに、この本を書いたという。
「実際に読んでみると、確かに首をかしげたくなる箇所もいくつかある」と長岡先生はいう。
にもかかわらず、この本が、日本通の米国人や日本の教養人の間で、高く評価されてきた理由は何か。
長岡先生は、ベネディクトが徹頭徹尾ストレンジャーの視点で日本を分析しているからだという。日本人ではないから、日本の内側を知らないからこそ書ける日本人論・日本社会論も存在しうるのだということを、この本は示している。
photo_instructor_642.jpg3年連続でハーバード大「ティーチングアワード」に輝いた、うら若き歴史学者北川智子さんの日本史講義もよく似ているのではないだろうか。
北川さんは福岡県大牟田で生まれ育った生粋の日本人だが、日本の大学で日本史を研究したわけではない。東大資料編纂所への留学経験(1年)を除けば、カナダとアメリカの大学で歴史学の修士と博士を取得している。
だから、ストレンジャーの視点を失っていない。
それが証拠に「都(みやこ)」ではなく「Capital」、「統治者」ではなく、「Ruler」という言葉が自然と口に出てくる。日本の歴史学者の口からは、まず聞かれないだろう。
ストレンジャーならではの、ユニークな切り口で日本史を語ることが出来る。


例えば北川さんがハーバード大で担当した「LADY SAMURAI」という授業は、男社会を前提に構成されてきた武士道の概念を、ストレンジャーの視点から再創造したものである。
授業では、まず卑弥呼の時代まで遡って、歴史上の女性像を辿っていくという。
・アンチLADY SAMURAIとしての平安女性
・武士の世の到来に合わせて登場する北条政子や巴御前
・中世仏教説話で描かれる女性像、
・戦国の世の細川ガラシャ等々
最後に、この文脈の象徴として、北政所ねいが残した手紙を紐解く。
その資料からは、ねいが、秀吉を陰で支えただけでなく、独自の個人ネットワークを持ち、政治に影響力を発揮する存在であったことが確認できるという。
史実の中に断片的に表出している女性の姿をすくい上げて、従来の男中心の歴史観に編み込んでいくことで、これまでとは異なった織柄・色合いの歴史観を織り上げることを目的にしている。
授業の進め方も、歴史教育のストレンジャーである。
彼女が実践してきたアクティブラーニングでは、学生達にポッドキャストを使って「KYOTO」を題材にしたラジオ番組や、ミニ映画を作らせる。
大学のメディアスタジオを使って、バーチャルリアリティ技術をつかったタイムトラベルゲームまで作ってしまう。
夕学で、ほんの少し紹介してくれたインストラクションデザインは、マーケティングやITのプロジェクトデザインの授業ではないかと思わせるほど刺激的なものだ。
楽しみながら、歴史を学び、日本を疑似体験することが出来る。
歴史にはいろいろなアプリケーションがあるはず。
スタンダードな歴史観だけでなく、もっと違う見方・議論が沸き起こるような歴史を描きだすことができるのではないか。
「世界に発信する日本史」とはそういうものだ、と北川さんは言う。
北川さんは、今年の夏から、ケンブリッジのニーダム研究所に研究フィールドを変えた。
いま取り組んでいるのは、1620年の京都を舞台にした「日本の数学史」だという。
テーマを聞くだけで十分に刺激的だが、どんなストレンジャー視点を盛り込んでくれるのか。いまから楽しみである。

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