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夕学レポート

2012年11月06日

粋ということ  金原亭馬生師匠

photo_instructor_643.jpgのサムネール画像金原亭馬生師匠の著書『落語家の値打ち』の中に、師匠が先代(10代目馬生)のもとで送っていた修業時代のエピソードがある。
金原亭一門の、師匠と弟子とおかみさんの関係性が伝わる部分なので、ちょっと長いけれども引用しておきたい。

私はよくおかみさんに肩揉みを頼まれました。居間に師匠がいて、台所にいるおかみさんが「ちょっと肩揉んでよ」って。おかみさん肩こり症なんです。
揉むんですが、なかなか「はい、いいわよ、ご苦労さん」って言わない。それで、あんまり長いときはね、「あ、いけね、滑りました」って、おっぱい触ったりなんかするんです。
すると、居間にいる師匠におかみさんが、
「お父ちゃん、馬治(馬生師匠)はね、私のおっぱい触るのよ」
っていいつける。そうすると、師匠が、
「おいおい、人のかみさんのおっぱいなんぞ、やたらと触るもんじゃないよ」
ってなこと言うんです。またおかみさんのおっぱいが大きいんですよ。

遠慮がなく冗談好き、それでいて愛情と信頼に溢れている。
そんな心温まる関係がわかるエピソードである。
馬生師匠が結婚したての前座時代、除夜の鐘が聞こえる時分に、六畳・三畳のアパートで貧しく年を越そうという弟子のもとに「お父ちゃんには内緒だよ」と言いながらおせちの詰まったお重を持って来てくれたのもこのおかみさんだという。
理想的な徒弟制度のもとで芸を磨いた馬生師匠は、兄弟子八人を抜いて亡き師匠の大名跡を受け継いだ。持ちネタの数は現役落語家の中でも1~2という実力派である。


馬生師匠にお願いした、この夜の演題は「落語に学ぶ江戸の粋」
「”粋”の反対語てェーのは、”野暮”になりますね」
「じゃあ、”野暮”てェーのは、どんな意味かわかりますか?」
馬生師匠は、お願いした演題を長めのまくらにしながら、トリネタの「文七元結」へと展開してくれた。
落語で「野暮な奴」と評される人物像は、金に汚い奴、吉原で女郎が来るのが遅いと文句をつける等々。
「欲を表に出す奴」「愚かな奴」「すぐに怒る奴」は野暮である。
欲望、愚かさ、怒り。これをグっと腹におさめて、やせ我慢ながらも内に溜めておける人間を、江戸の人は「粋」と呼んだ。
そんな「粋」のエキスを濾過器にかけて純化した人物造作が、「文七元結」の主人公 左官屋長兵衛になるのであろう。
江戸の時間は、季節によって変わったという。
時を数える単位であった「いっとき」は、通常2時間だが、夏の昼間は2時間より長くなり、冬の昼間は2時間より短くなった。夜はその逆である。
日の長さに応じて、時間をを融通無碍に使い分けることで巧みに暮らしていた。
お金の遣い方も現代の価値観とは違ったという。
江戸には、「日千両」という言葉があった。一日に千両の金が動くという意味である。
江戸には、三カ所「日千両」の場所があった。芝居小屋、魚河岸、吉原の三所である。
江戸の庶民は、長屋暮らしに着たきり雀の暮らしであっても、観ること、食べること、遊ぶことに多額の金を遣った。
それが「粋」な生き方であった。
その金銭的価値観は、30年ローンで家を買うとか、子供の学費を積み立てるという現代的価値観とは大きく異なる。非生産的で、ムダの多い消費スタイルかもしれない。
しかし、このムダが文化を育んだ。
歌舞伎も、落語も、この中で生まれ、いまでは伝統文化財になった。
いまのムダが次の世代の財産になる。そんなサイクルが回っていたのだ。
時間もお金も、人間が便利に使うために作ったもの。縛られる必要はなかった。
ところが現代は、時間と金に人間が支配されている。
「いつからこんな野暮な時代になっちまったんですかねェ」
銀座木挽町生まれの江戸っ子噺家、馬生師匠は、そんな思いを込めて話されたのかもしれない。

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