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夕学レポート

2013年01月09日

「動員の革命」をどう使うのか  津田大介さん

「門閥制度は親の仇でござる」
自伝文学の傑作と言われる『福翁自伝』の中でも、とりわけ有名な一節である。
下級武士の子として生まれた福澤にとって、「門閥」は自分の可能性に頑強なタガをはめる呪縛でしかなかった。
門閥がなくなってからも、やりたいことがあり、やり遂げる能力と意志がある人の眼前に立ち塞がる呪いの壁はいくつもあった。
学歴、金銭、地域性、時代、国籍などなど、さまざまな壁に阻まれて、陽の目を見ることなく消えっていった多くの夢・希望があったに違いない。
ネット社会、とりわけ2009年以降に生まれたソーシャルメディアの登場は、これらのハードルのいくつかを、一気に下げてくれたことは間違いない
自分の歌や演奏を多くに人に見てもらいたい人は動画投稿サイトを使えば、才能とパフォーマンス次第で世界中の注目を集めることができる。
大手新聞社の記者や高名なジャーナリストでなくとも、ブログを通して、事件や政策に『対する見解を公知することができる。
政治家や知識人でなくとも、twitterやfacebookを駆使して、災害や事故で苦しんでいる人々への支援やボランティア参加を組織したり、呼びかけたりすることができる。
やりたいことがあり、やり遂げる能力と意志があれば、個人の力で多くのことが実現できる。
ソーシャルメディアが果たした社会的な役割をポジティブに捉えれば、そういうことになるだろう。
津田大介氏は、その可能性にいち早く気づき、自ら実践しつつ、啓蒙してきた先駆者のひとりである。
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津田氏の父親は、社会党代議士高沢寅男氏の私設秘書を務めていたという。学生運動を経て、政治と労働運動に生涯を費やしてきた。幼い頃ころから、自宅に多くの「活動家」たちが出入りする環境の中で、津田少年は育った。


高校時代に新聞部に入ったことをきっかけに、「社会問題を取材して原稿を書くノンフィクションの物書きになる」という将来像を抱いたという。
大学時代には、インターネット革命の洗礼を受ける。有り余る時間を使って、興味のおもむくままにネットの世界を泳ぎ回ることができた。1990年代初頭のネット黎明期に、大学は無料のネット環境が整備されたほぼ唯一の聖地であった。
政治、ジャーナリズム、情報技術という三つの異なる世界に軸足を置いて、その接点を探しながら生きてきた津田氏にとって、ソーシャルメディは「やりたいことがあり、やり遂げる能力と意志があれば、個人の力で多くのことが実現できる」待ちに待ったツールだったのかもしれない。
「いまから思うと、すべての転機は2007年だったように思う」
津田さんは、ソーシャルメディアによる変化をそう述懐する。
この年から、Twitterやfacebookが一般人にも使われ始めた。iPhonもアンドロイド端末もイーモバイルこの年に登場した。Ustreamやニコニコ動画がサービスを開始したのも2007年であった。
やがて普及の臨界点を超えたのが2009年。ソーシャルメディア・スマホ・クラウドという名称に衣替えして爆発的に広まった。
このムーブメントに乗って津田氏も世に出ることになった。
『Twitter社会論』という本を上梓したのが2009年。Twittwerを駆使するネットジャーナリズムの旗手として茶髪の姿をマスメディアで目にするようになるまで時間はかからなかった。
ソーシャルメディアは「動員の革命」である、と津田氏は言う。
リアルタイムに情報が伝播し、人々の喜怒哀楽を共有化することで、具体的な行動を促進することができる。しかも出入りが自由で透明性があるので、一気に広がる。
これまでつながらなかった人たちが、自然につながり、ムーブメントが起きる。
この伝播力、動員喚起力、参加容易性を活用して、ソーシャルメディアを、若者が政治に参加し社会を動かすための、新時代の「直接民主制」ツールとして育てていこうというのが、いま津田氏がやろうとしていることである。
「メディア・アクティビスト」を自称する所以であろう。
年末に開設した「ゼゼヒヒインターネット国民投票」というサイトは、その試みの一環であるという。
先の総選挙で我々が直面したのは、「投票したいと思う政党が存在しない」という現実であった。代議制民主主義の危機だという識者もいる。
政治家と通して社会を変えることが機能しないのならば、自分たちが行動を起こすこと、意見を表明することで、政治を動かすしかない。
それが新しい民主主義なのかもしれない。

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