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夕学レポート

2013年07月13日

「調べて書く」のではなく「頭にあるものを書く」 小田嶋隆さん

photo_instructor_666.jpg当代きっての人気コラムニスト小田嶋隆氏によれば、コラムというのは「枠組み」ということらしい。
新聞紙面の一画に罫線囲みのスペースを与えられ、その「枠組み」に収まる範囲で文章を書くことを求められる。罫線囲みは、新聞オピニオンとは一線を画すという、新聞社側の宣言でもある。
つまりこの中に書かれていることは我々(新聞社)の統一見解ではありませんよ、という逃げを打たれているに等しい。
新聞紙面の別枠、体制内の反体制派。
言いたい放題、やりたい放題の反体制派ではない。ましてや過激派ではない。
ある秩序を受け入れ、しかしその範囲内で誰も言わないことを言う。
それが、コラムニストの立ち位置ということになる。
言い方を変えれば、コラムがコラムである所以は、そこに独自な視点があるかどうかである。
小田嶋さんは、コラムの世界で30年近く生きてきた「コラム道」の求道者である。
「調べて書く」のではなく「頭にあるものを書く」
小田嶋さんのコラム作法はそういうものだという。
ネット社会では知識人・業界人と一般の人々との情報非対称性はぐんと縮まった。
「ネェネェこれ知っている」的なモノ書きが生きていける場所はなくなった。調べなければ書けない程度のコラムでは、人のこころを動かせない。
「頭にあるものを書く」とは、脳の中で眠っていた記憶に新しい命を吹き込む作業のようだ。
小田嶋さんの脳の中には若い頃に読んだ本、経験した出来事、聞いた話など、何十年もかけてコツコツと蓄えてきた雑多な記憶が詰め込まれている。
これらの記憶は、いわば発酵食品における微生物の働きをする。
素材となるのは、旬なネタ、例えばニュースや事件やスキャンダルかもしれない。いずれにしろ素材以上のものではない。
ところが、小田嶋隆という醸造機に放り込まれて、何十年も住み着いている麹菌が植え付けられ発酵することで、豊潤な香漂うお酒に姿を変える。
「頭にあるものを書く」ということは、そういうことである。
小田嶋さんによれば、人間の脳内では、ひとつの記憶にいくつもの雑多な関連記憶がヒモ付されて格納されている。
一見無関係で脈絡ないようにみえて、その人の中では独自な編集がほどこされ、ひと連なりのエピソード体系として「ある意味」を形成している。
その人ならではの色彩豊かな「知の体系」である。
この「知の体系」は、ゴツゴツして手垢にまみれているかもしれない。
デジタル処理を施し、共通フォーマットに落とすことが出来ない。クラウドにあげていつでも、誰とでも共有化することが出来ない。断じて、そういう類の情報ではない。
だからこそ、人のこころに訴える。
読者がそれぞれに持っている「知の体系」を刺激して共感を呼ぶ。
800字、1200字、2000字のコラムの中に、書き手の歩いてきた人生の軌跡を探すことができる。

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