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夕学レポート

2014年12月11日

駒形哲哉教授に聴く、「社会主義市場経済」と中国を見る眼

photo_instructor_756.jpg 駒形先生の場合、それはインドネシアでのことであった。
 小学生の頃、駐在員の子として暮していた彼の地には、多くの華僑・華人がいた。なぜ彼らはここにいるのか。なぜ現地人に忌避されるのか。ぼんやりとした疑問を抱えたまま、アジア各国を経由しての帰国の途次、香港から台湾に入ろうとした駒形少年は、大陸との関係を警戒する当局によって漢字で書かれた書籍の一切を没収されてしまう。
 中国とは、一体どんな国なのか。あらためて刻まれたその素朴な問いを胸に、改革開放の35年間に、先生は研究者として向かい合ってきた。
 どんな小国であっても、人は、その国を丸ごと理解することはできない。いっときに接するのはその国の断片に過ぎない。それは人であったり、モノであったり、メディアが伝えるイメージであったりする。しかしそのような断片をいくら集めても正確な像を描くのは難しい。ましてこの巨大な隣国の場合、その断片すらあまりに多様すぎて、知れば知るほど全体像が掴めなくなる。


 その点、彼の国でも此の国でもない第三国での体験から出発したことは、駒形先生にとって思いのほか意味のあることだったかも知れない。
 経済学という、万物の運動を価値という物差しで測る学問に立脚して、先生は常に絶妙な距離感を持って中国を見ている。時に遠くから茫洋とした全体像を眺め、時に近寄って躍動する細部の輪郭を追う。長年、この巨大な運動体を観察し続けてきた先生の眼には、その運動の延長線上にある将来も見えているかのように思える。
 では、その中国と「社会主義市場経済」をどのように理解するか。
 その手引きとして、講演の冒頭、先生は次のようなクイズを出された。
 Q1 中国経済の担い手は?
 (1)国有企業 (2)外資企業 (3)民営企業
 Q2 「社会主義市場経済」とは?
 (1)共産党一党独裁下の市場経済 (2)開発独裁 (3)国家資本主義 (4)大衆資本主義
 Q3 中国の社会主義市場経済は続くのか?
 (1)Yes (2)No
 さて正解は?というと、全ての選択肢が正解であるという。Q1では更に「政府」という答えも正解。Q2のように、時に矛盾する複数の概念を同時に体現するのが「社会主義市場経済」。そしてQ3への駒形先生の答えは、「永続する保証はないが、当面は持続する」だった。
 正解はひとつ、という考え方に慣れた頭には馴染み難いかも知れない。だが、これらすべてを包摂するのが中国であり、社会主義市場経済である。
 先生は更にいくつものグラフと数字を出して、私たちの中国像に揺さぶりをかけた。「GDP世界2位」「工業付加価値生産額世界1位」「貿易総額世界1位」「外貨準備高4兆ドル」。お金だけではない。「パソコン世界シェア98%」「携帯電話同71%」「自転車同70%」「自動車生産世界シェア1位」。
 数字だけでは見誤るものもある。貿易依存度は2000年代半ばをピークに下降線を描くが、貿易国としての順位は確実にあがっている。つまり貿易額以上に国内市場の存在感が増しているのである。こうして外資の比率が相対的に低下する一方、原油消費量は10年で倍増。そしてこの増分はすべて輸入で賄われている。
 同じ社会主義の大国であり冷戦構造下で米国への対抗軸であった旧ソ連が、経済的にはハードランディングしてしまったのとは対照的に、中国は政治体制を維持したまま、経済的にも世界で存在感を増しつつある。
 その成功をもたらしたのは漸進的なソフトランディング志向である。まず農業部門を改革し、そこで得られた安価な過剰労働力を工業部門に振り向ける。国内で改革が改革を誘発する環境を創りつつ、外国からは拡大する市場を呼び水に資本と技術を導入する。もちろんその生産技術は瞬く間に消化吸収し自家薬篭中のものとする。
 巨大で格差の激しい国内市場は、洋梨に例えられる。外資が参入できるのは上半分の、比較的富裕だがボリュームの少ない部分であり、膨らんだ下半分には届かない。ここを狙えるのは安価な大量生産が可能な国内の民営資本や地方政府の国有資本のみ。その国内資本同士が、いつ中央政府から退出を命じられるとも知れない不安定な環境で、投下資本をなるべく早く回収しようと過酷な競争を演じ、それが市場を発展させる。
 これを川上・川下という流れで見てみる。軍需・電力・石油・通信・石炭・空運・海運の国家統制7産業と、自動車や鉄鋼などの主要企業支配9産業を含めた「経済の川上」は、中央の国有資本ががっちりと握っている。外資や民営資本、さらには地方政府の国有資本が激しく競争するのは川下の各産業。そこでの生産拡大が、産業連関を通じて結果的に川上の国有独占部門を潤わせるという構造になっている。
 ここで目を惹くのは「地方政府間の競争」である。経済の競争は同時に、有能な地方指導者を見分ける「政治選抜トーナメント競争」の側面を持つ。現在の共産党による独裁体制が民衆に支持されるのは経済発展という実績があるからであり、経済成長は政体の生命線である。だから中央は、地方で経済成長を達成した者を選び引き上げ、やがて国全体を牽引させる。
 格差による社会不安の発生を心配する会場の質問に、先生は「社会全体が底上げされ続ける限り、格差が拡がっても暴動という事態には至らない」と答えた。しかしそれは、裏を返せば、経済政策における失政が共産党執政の命取りになる可能性があることを示唆している。
 政治・経済・社会のすべてが混然一体となった運動体としての「社会主義市場経済・中国」。先生の見立てに拠ればそれは「永続の保証はないが、当面継続する」。であるならば、その隣人と、今暫く賢く付き合っていく方法を考えなくてはならない。
 駒形少年の頃と違い、今の日本には中国に関する情報が溢れている。中国に行ったことがない、中国人と話したことがない子どもでも、みな中国に関するそれなりのイメージを抱いている。しかし、メディアを通した皮相なイメージが中国との最初の出会いとなるなら、それは少しばかり残念なことでもある。
 できれば駒形少年のような多感な時期に、本物の、生身の中国と、何らかの形で出会わせてやりたい。人と人との触れ合いの中で、自らの実感に聴きながら、彼の国の人の印象を肌に刻む。その積み重ねが、社会主義市場経済の更に先へ向かおうとする中国と永く上手くやっていくための知恵を、此の国にもたらす礎となる。適切な物差しを持って彼の国を測れる未来の駒形少年を、いまから数多く育てていくこと。それによって初めて此の国は、彼の国の現在と将来を、常に正しく見ることができるだろう。

白澤健志
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