KEIO MCC

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夕学レポート

2015年06月03日

冨田勝所長に聴く、鶴岡がインキュベートする夢

masaru_tomita.jpg“If you build it, he will come.” 
どこからともなく聞こえてくる、そんな「声」を耳にした主人公は、トウモロコシ畑の真ん中に野球場を作りはじめる。
やがて伝説の大リーガーがそこに現れる…。
ご存じ、映画「フィールド・オブ・ドリームス」の一場面である。
当時の鶴岡市長・富塚陽一氏が、そんな「声」を聞いたかどうかはわからない。
ともかく市長は、この風光明媚だがゆっくりと衰退しつつある、つまり典型的な地方都市である鶴岡に、慶應義塾大学の新しいキャンパスを誘致するべく行動した。
1990年代のことだ。
そして2001年、慶應義塾大学先端生命科学研究所(IAB)は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)環境情報学部教授の冨田勝氏を所長に迎えて始動する。
ただし映画と違い、そこに集ってきたのは「伝説の」野球選手ではない。
冨田所長が呼び寄せた、「これから伝説を創る」研究者たちだ。


冨田所長は1957年生まれ。
慶應義塾大学工学部在学中の1978年、当時流行したゲーム「スペースインベーダー」にハマった。上級プレイヤーとして鳴らしただけでなく、「このゲーム、ちょっと工夫すれば、もっと面白くできるのに」との思いを募らせ、やがてマイコンゲームを自作。
秋葉原のマイコンショップに自ら売り込みに行くほどになった。
留学先の米カーネギー・メロン大学で人工知能の研究に邁進し博士号(Ph.D)を取得、そのまま助教授となる。
落合信彦氏の後任(?)として、アサヒビール「スーパードライ」のやたらアツいCMに出演したのもこの頃である。
(椅子から立ち上がり同僚に「カモーン!」と呼びかける姿は今でも動画サイトで見られる。)
しかし人工知能研究を突き詰めるほど、その限界も見えてきた。
いくら学者が努力してもヒトほど精巧なインテリジェント・システムは創れない。
しかもそのプログラム(DNA)はたった1GBの情報のみで構成されているという衝撃的な事実。
「生命の神秘」への畏敬。
人工知能よりヒトそのものを研究した方が早いのではないか。
そこから冨田氏は、それまで大嫌いだった生物学の勉強を開始した。
高校時代と違って、今度は学べば学ぶほど面白くなる。
そうして1999年、「細胞シミュレーション(E-CELL)」の研究が世に出た頃、大学当局からIABの創設を任された。
そして「彼」は、それまで縁もゆかりもなかった鶴岡へやってきた。
IABは、鶴岡市からすれば、多額の税金をつぎ込んで誘致した研究所である。
具体的かつ即効性のある見返りを求めたくなるのが人情というものであろう。
しかし富塚市長が冨田所長に掛けた言葉はシンプルだった。
「冨田さんの役割は、世界が振り向く研究をしてくれること。以上」
この言葉と、それ以前に東京で言われていた「山形にいるうちは絶対上手くいかないよ」という第三者の言葉。
この二つが、なんとしても鶴岡で成功してみせようという僕のエネルギー源になった、と冨田所長は述懐する。
IAB初年度、冨田所長が民間企業からスカウトした曽我朋義教授が、メタボローム(代謝物)解析に関する世界的にも画期的な新技術を発明。
これを核に、2003年、ベンチャー企業として「ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社(HMT)」を創業。
2005年の「国際メタボローム学会」の第1回国際会議が、本部のあるボストンでなくこの鶴岡で開催されたことが、HMTの存在感を何よりも証明している。
創立十年後の2013年に、HMTは東証マザーズに上場を果たす。
それは鶴岡市唯一の上場企業が誕生した瞬間でもあった。
続くベンチャーは、冨田所長の教え子によってもたらされた。
関山和秀氏が代表を務めるスパイバー株式会社は、「合成クモ糸繊維」の実用化に、世界で初めて成功した。
かつて米陸軍やNASAも挑んで実現しなかった技術だ。
鋼鉄以上の強度とゴムのような伸縮性を持つクモの糸の活用に向けて、現在、自動車部品メーカーとの合弁事業が進められている。
2014年には杉本昌弘特任准教授により、唾液検査でがんの早期発見を行う「サリバテック株式会社」が設立された。
そして現在、福田真嗣特任准教授によって、腸内細菌から健康状態を評価する「MetaGen」の創業が計画されている。
冨田所長の熱意は研究開発だけではなく、次世代の育成にも注がれている。
IABでは地元の高校生十数名を、研究助手および特別研究生として迎え入れ、最先端の研究設備を利用して研究活動を進められるようにしている。
2011年からは、全国の高校生による生物学の研究発表大会「高校生バイオサミット」を年一回開催している。
鶴岡市の側も積極的に動いている。
現在、IABおよび派生ベンチャーを核とした「鶴岡サイエンスパーク」構想が、2017年秋の完成に向けて着々と進められている。
これまでの研究・産業施設の拡充に加え、宿泊・滞在施設、そして保育・教育施設を新設した14ヘクタールのパークは、世界的建築家・坂茂氏による木造建築群によって構成される予定である。
開発を担うYAMAGATA DESIGN株式会社は、これもまた冨田所長の縁で大手不動産会社を辞め鶴岡に移り住んできた山中大介氏である。
ところで、冨田所長は講演の冒頭、「Today’s Points」として次の三点を掲げた。それを講演中の発言で補いながら説明したい。
①真に独創的な研究は都会ではできない
欧米の有名大学はみな郊外にある。都会では横並びの優等生的な研究しかできない。鶴岡のような地方だからこそ、周囲を気にせず、独創的な研究ができる。
②地方活性化の切り札は「知的産業」の創出
よそにあるものを持ってくるだけではゼロサムゲーム。価値あるものをゼロから生み出す気概がなければいけない。それが地方に真の活性化をもたらす。
③受験教育が日本をダメにする
 日本に必要なのは科学で世界と勝負して勝てる人材を増やすこと。独創的な生徒には早いうちから先端研究や国際学会を経験できる環境を整えることが真の教育になる。画一的でその場しのぎの受験勉強が高校生の独創性を摘んでいる。子どもの自主性、モチベーションを最大限に尊重し、「温かく放置する」のが理想の教育。
そしてまた、研究全般を振り返って、富田所長はこんなことも言っていた。
「本当のブレイクスルーは初めホラに聞こえる」
メタボローム分析も、クモの糸も、初めはホラ話でしかなかった。
しかしそれは聞く側の問題である。
信じる当人にとっては「夢」であり、追いかけ続ければいつか必ず「現実」に変わる。
インキュベーター、という語の生物学上の原義は「孵卵器」である。その機能は、まさに「温かく放置する」ことだ。
鶴岡というフィールド・オブ・ドリームスに生まれた、IABという名の孵卵器から、将来、どんなタマゴが孵るのか。
冨田所長の目標は、「山形からノーベル賞受賞者を出すこと」。
講演を聴き終えた今、それは、とてもホラには聞こえない目標である。

白澤健志

慶應義塾大学先端生命科学研究所(IAB)
http://www.iab.keio.ac.jp/jp/
慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス(TTCK)
http://www.ttck.keio.ac.jp/
ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社(HMT)
http://humanmetabolome.com/
Spiber株式会社
http://www.spiber.jp/
高校生バイオサミット
http://www.bio-summit.org/index.html
鶴岡サイエンスパーク 
http://yamagata-design.com/project/

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