KEIO MCC

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夕学レポート

2015年07月16日

長谷川敦弥社長に聴く、「障害のない社会」のつくりかた

atumi_hasegawa.jpg失明している、という意味で「目が悪い」人はこの社会において少数派である。
しかし、視力が低い、という意味で「目が悪い」人は世の中にごまんといる。
もしこの世に、眼鏡やコンタクトレンズを作る会社がなかったら、今よりもずっと多くの人が「視覚障害者」に分類されていたはずだ。
眼鏡やコンタクトレンズをつくる人がいてくれるおかげで、私たちの多くは、障害者となることを免れている。
ならば、今なんらかの形で「障害者」に分類されている人も、社会の側が適切なサポートを施すことで「障害者」ではなくなるのではないか。
「『障害は、人ではなく、社会の側にある』と言うのは、つまり、そういうことです」
この簡易な比喩で、会場の聴衆は、長谷川敦弥社長の「世界観」を知るとともに、そのビジョンを一瞬のうちに共有することとなった。


濃紺のダンガリーシャツとジーンズ、白いTシャツに身を包んで現れた長谷川氏は、今年30歳。株式会社LITALICO(リタリコ)の代表取締役として、1000人を超えなおも急速に増えつつある社員を率いている。
正確に言えば長谷川氏は起業家ではない。名大の数学科を卒業し、新卒で、障害者の就労支援事業を手掛けるWINGLE(ウイングル)という会社に入った。後に株式会社LITALICOと名を変えるこの会社で、長谷川氏は、入社二年目にして創業者直々の指名で社長に抜擢される。この時長谷川氏、弱冠24歳。
実は長谷川氏自身、ある意味「障害者」として育ってきた。
幼い頃からADHD(注意欠陥・多動性障害)の傾向があり、学校でもじっとしていられなかった。人の話を聴くことができず、行動は衝動的。クラスでは仲間外れにされ、いじめられ、友達もできず、通信簿の素行欄には「思いやりがない」と書かれ続けた。
転機は大学時代、バイト先の焼肉屋オーナー夫妻との出会いにあった。
長谷川氏の個性を見抜き、尊重し、何をしても褒めて肯定してくれる、そんな夫妻が二言目には「君は世界を変えられる」「君は世界で活躍すべき」と言い続けたのが、自己成就予言のようなものとして長谷川氏の純粋な心に響いていったのだろうか、やがてADHDの大学生はほんとうにその道を歩み始めた。
自分の全エネルギーをぶつけられるような生き方をしたい。
そんな夢をかなえるために入った会社LITALICOは、漢字で書けば「利他利己」。
企業サイトには、その理念とビジョンがより明確に示されている。
理念「世界を変え、社員を幸せに」
ビジョン「障害のない社会をつくる」
障害は人ではなく、社会の側にある
社会にある障害をなくしていくことを通して
多様な人が幸せになれる「人」が中心の社会をつくる

http://litalico.co.jp/vision/philosophy/
日本の障害者数は744万人。そのうち働いている人はわずか15%。潜在的には半数、約50%の障害者は就労可能なはずだ。しかし現実には、社会とつながらず家に引きこもり、家族だけが苦労を抱え込むケースが多い。
「元気だから働ける」、「元気でないから働けない」。それは本当だろうか、と長谷川氏は問う。
スクリーンに一枚の写真が映し出される。
半身不随の加藤さん。18歳の時、バイクの事故で寝たきりとなり、動かせるのは指一本のみ。写真は、その加藤さんがベッドに寝たまま、固定されたPCのキーボードをたたく姿。「これは、加藤さんが、サイバーエージェント社の仕事をしているところです」と長谷川氏が解説する。一時は人生に絶望していた加藤さんが、仕事を得て、今はそれが生きがいになり、自分の能力をもっと活かしたいと考えている。
元気だから働けるのではなく、働いて人の役に立つ実感があるから、元気になる。そのことを加藤さんから学んだ、と長谷川氏は言う。
LITALICOの事業展開は多岐に渡る。そしてそのいずれにも、ビジョンから始まる熱い想いがある。
「人の役に立つ喜びをすべての人に届ける」
→障害者就労支援サービスの「WINGLE(ウイングル)」
http://litalico.co.jp/service/wingle/
「多様なこどもたちにオーダーメイド教育」
→幼児教室・学習教室の「Leaf(リーフ)」
http://litalico.co.jp/service/leaf/
「興味関心を伸ばすデジタルものづくり教室」
→IT×ものづくり教室の「Qremo(クレモ)」
http://litalico.co.jp/service/qremo/
更に、まだ事業化されていない長谷川氏の夢の未来形は、さまざまに広がる。
・多様な学校の生態系によって多様な子どもたちの個性を育むための、コンビニサイズの学校を全国に作る
・各分野の「異才」の代理人を務める、エージェントの市場を創出する
・文部科学省を教育改革の同士として巻き込み、民間が創る成功事例をどんどん制度化してもらう
・今の、ワクワクできないハローワークに代わり、オタクに特化したハローワークを秋葉原に出店する。その名も「アキバオタワーク」…
そのような、障害のない未来に向かうための、語り尽くせないほどのビジョンを熱く説きながら、長谷川氏は講演を閉じて次なる現場へと向かって行った。
「障害は人ではなく社会の側にある」。
長谷川氏のこの言葉をあらためて噛みしめてみる。
例えば障害者を見て、かわいそう、と思う。
その感じ方の中には、健常者の側が無意識に前提としている価値観、もっとはっきり言えば優越感のようなものが既に内在している。でも健常者の側の認識がそのようなものに留まる限り、社会は決して変わらないだろう。
「行動せずにはいられない」長谷川氏が日々実践しているのは、障害者を障害者足らしめている困難が何なのかをきちんと見定めることだ。
その障害者は、移動が困難なのか。
仕事に集中するのが困難なのか。
そういった個々の「困難」を因数分解し、切り出し、それぞれに解決策を見出していく。困難は分割せよ、というデカルトの言葉の真理が、社会変革者となったこの若き数学者の行動によって証明されていく。
さらに長谷川氏は講演の中で、一歩踏み込んで、障害者を「社会の側の進化を促進する存在」と位置付けた。
いまだに農耕民族的な伝統が根強く支配する日本の社会は、規格品の大量生産方式にも似た教育を子どもたちに施しながら、現下の社会を維持再生産するのに適した人材を輩出している。
これに対し、少数派に属する狩猟民族的な、集団定住社会になじみにくい異端児たちが常に一定数いて、彼らの存在が反復的な社会に少しずつ変化をもたらしている。
この変化がもたらす多様性の中から、時により良いものが生みだされ、見いだされ、社会全体を新たな方向へと導く契機となる。
まさに、社会の進化を促す存在としての障害者。
そのように、社会をイノベートしてくれる存在として障害者を捉えれば、彼らがその能力に応じて社会に貢献できる仕事や環境を、社会の側が整えていくのは、むしろ自然なことであろう。
ところで、「ADHD」や「アスペルガー症候群」や「自閉症」といった症状を持つ人と一般人の間に、明確な一本の線を引くことはできない。そのような傾向は誰もが大なり小なり持っているものであり(例えば「趣味」はそのマイルドな顕れ)、その発現の程度が著しい人がADHD等の名称で呼ばれているに過ぎない。
そのようなリニアな関係性の線上にいることを、この社会の「普通」の人みんなが自覚した時、その社会は、農耕社会でも狩猟社会でもない、新しい可能性を秘めた社会になりうるのではないか。
そこに、閉塞感漂うこの社会の、進化への鍵が隠されているのではないか。
その予感を確かめるために、では私達は、どこから手をつければよいか。
「好きなものを通してでないと、本当の能力は見えてこない」
そんな長谷川氏の最後の言葉が、闇夜を照らす一灯となりそうだ。

白澤健志

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