夕学レポート
2015年07月14日
五木 寛之「涙と笑い」
私の個人的な感想だが、日本人は映画館でよく笑うようになったと思う。
しかし、その笑い声からは、どうしても笑いが抑えられなくて、笑ってしまったという感じがしない。
どちらかと言うと、「笑う場面がきたら欧米人並に笑おう」と準備されてある笑いに感じるのだ。
なぜ、こんなことを考えたのかというと、本日の講演「涙と笑い」の中で、五木寛之先生が
「日本人は笑うことだけを善とし、泣くことを悪としていないか」と提起されたからだ。
涙を放棄した人がたてる笑い声は、虚しさだけが響いているという。
好々爺のように優しく、ユーモアを交えて話をして下さったが、「人間の生」を見る作家の目はやはり鋭い。
そして、先生がされた「人間の生」についての問いかけに、私はここで考えてみたいと思う。
かつて、日本人は泣くことを大切にしていたと五木先生は話された。
『源氏物語』などの古典を読むとよくわかるが、男も女もよく涙を流す。和歌や物語を読んでは涙し、自然の情景でさえ涙する。それが彼らの教養の深さの表れでもあった。
しかし、現代の日本では人前で泣く人は少ない。
日本人はいつから泣かなくなったのか。
それは、明治ごろではないかと先生は考えている。根拠として「暗愁」という言葉が死語になったことを挙げられた。
暗愁とは「何処からともなくやってくる、何とも言えない寂しさ」という意味である。
幕末から明治にかけての流行語で、夏目漱石、有島武郎、永井荷風も作品の中で使用していたが、いつの間にか日本人は使わなくなった。
泣くことは女々しいと考えられ、強く逞しく生きることが求められた。それが現代まで続いているという。
「憂いや悲しみを放棄し、笑いだけで生きている」。これが五木先生の思う現代の日本人の姿である。
しかし、悲しい時に悲しまないで、本当に腹の底から笑えるのだろうかと危惧している。
このことは、現代社会ではかえって迎合されている。
昨年、元同僚の結婚式に出席した際に、その子の上司がスピーチで「○○さんは、本当にフラットで」と感情の起伏が無い(喜怒哀楽の中、仕事で邪魔になる怒と哀が無い)ことを褒め言葉として言った。
現代社会が感情をコントロール出来ることを立派としているのだ。
人間は喜怒哀楽があるのが自然なのに、感情を出さないという不自然なことのほうが、自然な人間の姿になってきているように思える。
また、別の人の話だが、私の知り合いで、いつも笑顔の人がいる。
ある日、その人が目の前を歩いていたので、声を掛けようとしたら、すれちがった人に肩がぶつかったらしく、相手のことを鬼の形相で30秒以上は睨んでいた。
怖いというよりは、やっぱりと思った。
笑顔に常に違和感がある人だったのだ。
しかし、無理に笑顔で生きているのは、この人だけではなく、多くの人がそうである。
そして、誰も見ていないところでは、他人に向かって平気でマイナスの感情を露わにする。無理している分、どこかでバランスをとる。
歪んでいるが、それが現代社会に適合した生き方と言えなくもない。
知り合いの場合は、ぶつかった人を睨み付けることで発散していたが、感情を発散しないことで、もっと大きな事件が起きる可能性もある。
「涙と笑い」と同様に、現代はネガティブなことよりもポジティブがもてはやされる社会だと五木先生は話された。
ネガティブなものは無視して、なるべく排除してポジティブに生きようとしている人が多いのは、私も強く感じている。
ある会社の社員の行動指針に「幸せになるために、ネガティブな言葉は一切口にしません」と書いてあって、正直気持ち悪いなと思った。
ポジティブなものが、自分の気持ちを慰め、元気づけてくれるのだろうか。
私は違うと思う。
ポジティブよりは、ネガティブな言葉のほうが人の支えになると考えている。
例えば、四苦八苦。釈尊は人がこの世に生まれるのは苦しむことだと説いた。
「生老病死」の四つの苦に加え、「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」の計八苦からは生まれたからには逃れることは出来ない。
人間は苦しむ生き物だという前提が、人間の心を楽にしてくれると思う。
しかし、現代人は、本来の苦しむことを忘れ、楽しさや気持ちよさばかり求めようとする。だから余計に苦しくなるのではないか。
そして、悲しいことも無理してポジティブに考えようとする。笑いであれ、ポジティブシンキングであれ、「そうしなければいけない」という強迫観念を感じるのだ。そういう人は悲愴感すら漂っている。
生きる悦びと同時に、人間存在としての鬱を抱えて生きることが、これからの日本人にとって大事だと、五木先生は講演の最後に語った。
「涙と笑い」も「ポジティブもネガティブ」も簡単に二分割出来るものではない。繋がって相互に作用するものだと教えて頂き、また広い意味で「人間の生」について考える機会となった。
出来るならば、また数年後かに五木寛之先生の講演を同じ内容で聴いてみたい。
そして、数年後の自分はどう考えるのかと思った。
(ほり屋飯盛)
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