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「一歩前に進む」 城取 一成

2012年01月17日

[プロフィール]
1961年生まれ。長野県出身。社会人教育事業に携わって20年余。
2001年1月慶應義塾の新しい社会人教育機関として開設された慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)に参画する。開設時の総合プロデューサーであった妹尾堅一郎慶應義塾大学教授氏(当時)は、産業能率大学に同じ時期に在職、旧知の間柄であった。
慶應義塾の塾長交代に伴い妹尾氏が退任した後、混乱した状況の中で、唯一の社会人教育事業の経験者として、事業と組織の再建を担う。
2004年から慶應丸の内シティキャンパス ゼネラルマネジャー。
テニスに夢中の妻とお年頃の娘二人(19歳、16歳)の四人家族。
住まいは横浜。好物は蕎麦と芋焼酎。痛風もち。
二か月前に、はじめてのフルマラソンに挑戦した。

 


「わたしは、MCCの責任者を退任することになりました」
あれは、7月の連休が明けた日であった。久しぶりに子供たちとプールに出かけ、日焼けした顔で出社した朝のことだ。
慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)の総合プロデューサーを務めていた妹尾堅一郎氏(当時:慶應義塾大学教授)は、突然去っていった。
2001年4月にオープンして4ヶ月。旧知の妹尾先生から誘いを受けて、私が仲間に加わってから半年しか経っていない。
当時40歳になったばかりの私は、不惑の世代とは真逆の、「混沌の森」に迷い込み、彷徨をはじめていた。
ゼロから新しい事業を立ち上げる苦労は並大抵なことではない。MCCの場合は、ほぼ全員が他社から来た寄せ集め集団なので、なおさらであった。
仕事はいくらでもあった。でも身体はひとつしかない。
森の中を奧へ奧へと進むほどに周囲は暗くなり、やがて足もとはぬかるみに変わっていた。
全員が膝まで浸かる沼地にはまり込んで、抜き差しならなくなったところで、目の前から先導者の姿が消えてしまった。気がつけば自分が先頭にいる。振り向くと不安に満ちたメンバーの視線が、この身に集まってくる。そんな状態であった。
MCCは膨大な赤字を抱えていた。什器はすべて特注品、編集機能まで完備したAV設備も揃っている。しかも場所は、東京「丸の内」。三菱地所の配慮で、”大学価格”にしていただいているとはいえ、三百坪のスペースを維持する負担はズシンと重い。
開設1年目のMCCの売上では、人件費どころか賃料と設備リース費をカバーすることすらままならなかった。絶望的な状況がそこにあった。
スタッフも次々と辞めていった。仕事もないのだから仕方ないが、仲間が少しずつ減っていくのは寂しいものである。一年前、喧騒に包まれていたオフィスには空席が目立ちはじめていた。
後ろを振り返るたびに、旅の仲間が減っていく。
「誰かが倒れないと終わりにならない。でも自分が最初に倒れたくない。」
そんな泣き言を口にする人も出始めた。
わたしは、耳鳴りやめまいに悩まされ、睡眠導入剤がないと眠れなくなった。
夜の森は、漆黒の闇があらゆるものを包み込む。やがて冷たい雨まで降り始めた。沼地はいっそう深くなり、先はまったく見えない。引き返そうにも戻る道はない。ひたすら歩くしかない。そんな日々が1年以上続いた。
東の空が白みはじめたのは三年目の春であった。
暗闇を歩くことに疲れて、もう限界だと泣き言を言いたくなる。そんな時に決まって、一陣の風が吹いてきて頬のほてりを冷ましてくれることがある。茂みの隙間から、夜空の星が自分たちを見つめていることに気づいたりする。
「夜明け前が、いちばん暗い」
そう信じることが、暗闇の恐怖に立ち向かう力になる。
周囲に振り回されているばかりではなく、一歩前のこの道を自分たちの手で切り開かなければ展望はない。それには自分が先頭に立つしかない。そういう踏ん切りがついたのも、その頃であった。
掟破りを承知で、無理なこともやった。リストラにも躊躇しなかった。一方で、赤字が続く中で、あえて人材やシステムへの大きな投資を決断した。
ビジョンを語り、ミッションを掲げた。「社会人学習のプロを目指そう!」と呼び掛けた。
目に見えるような劇的な変化は起きない。しかし、一歩ずつ前に進んでいる実感が持てるようになってきた。少しずつ仲間も増えて、明るい笑い声が飛び交いはじめた。
足もとを見ると、いつのまにか沼地を脱したようで、後ろを振り返ると土の上に自分たちの足跡がしっかりと確認できるようになった。
これまで歩いてきた軌跡が、これから進むべき道筋を、真っ直ぐに指し示しているかのように思えてきた。
思えば、この10年間で、MCCでの自分の立場も変わっていった。
「業界に精通した中核社員」から、「現場マネジャー」に、そして「事業責任者」へと。
一方で、現場の仕事は変わらぬままだ。『夕学五十講』の司会は10年間一貫して務めているし、毎日ブログも書いている。
ある時は企画マン、事が起きたら現場の問題解決者、来客応対時にはMCCの責任者、役員会ではボードメンバー、といった具合にいくつかのレイヤーの役割を、行ったり来たりしている。
そんな器用な動き方が、自分に合っているかどうかは、いまもわからない。
年相応に御輿の上から大きな舵取りだけをする方がいいのかもしれないが、自分の足で歩くことにこだわりたいという思いが強い。坂道のつらさ、ぬかるみの苛立ちは、実際に歩かなければわからない。渇いた喉を潤してくれる水の冷たさもわからない。
10年を振り返ってみると、随分と小さな世界をぐるぐると回っていただけのようにも思える。けれども、等身大の自分が少しだけ見えてきたような気もしている。
自分には、どんなに努力しても出来ないことがたくさんあることがわかった。
一方で、ストレッチすれば出来ることが、同じ位たくさんあることにも気づいた。
いつの間にか不惑の年代を過ぎて、五十歳の標識を越そうとしている。「天命を知る」というほど高尚なものではないけれど、自分に与えられた等身大の役割もつかめてきたのかもしれない。
「いまよりも一歩前に進む」
これからも、足の指を大きく開いて、大地の熱を感じ取りながら、しっかりと足跡を残して歩いていきたいと思っている。

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