HOMEへ戻るMCCマガジン「A little winding road:相対するものを同居させて」秋田靖典

「A little winding road:相対するものを同居させて」秋田靖典

2011年01月10日

プロフィール

国内の製薬企業で研究員として入社。入社4・5年頃から、人材開発など「働く人のサポート」に関心を持ち始め、4年後には人材開発組織に異動。その後、経営企画系を経て、研究開発部門の人事関連組織に異動し、人事・人材開発・労務・採用などを十数年担当する。この間に、『キャリア・アーキテクチャ論』に出会い触発され、キャリア、カウンセリング、コーチングなどを学ぶ。現在は人事を離れて、研究部門の支援組織(総務、実験動物管理、設備投資、IT投資など)のマネジメントを担当。
キャリア・アンカーはSV(service)、コーチング・タイプはサポーター、エゴグラムはNP優位の「への字型」。どう考えても、人に絡んだ分野に志向性が高い。一男一女の父親。同じく産業カウンセラーの妻と夫婦ゲンカしたときは、高校生の長男にカウンセリングをしてもらうような不思議な家庭。天命を知る前にドリフトを続けている確信犯。

 

人が活き活きと仕事に取り組むには何が大切か? 企業の研究開発部門の人事担当者として一通りの実務に慣れてきたアナタは、その大きささえ計り知れない課題に無謀にも関心を持ち始めていた。

2000年、社は研究現場への裁量労働制の導入を果たした。アナタもそのプロジェクトを担当した。世間では、成果主義やMBOということが喧しく叫ばれていた頃。元来優柔不断なアナタであったが、成果主義という言葉に頼ることを拒んでいた。制度導入はあくまで「活き活きと仕事に取り組む環境」を目指すものであり、成果主義ではなかった。

そんな折、『キャリア・アーキテクチャ論』に出会った。アーキテクチャが何を意味するのかも分からないままに参加したい!と直感した。自分の中では未成熟なキャリアの理解であったのにもかかわらず。いや、未成熟だったからこそ、その世界観を学び考える場所に自分を投じたかった。いつ? 今でしょう! 今、この機を逃さずに! そんな勢いをアナタは感じていた。迷いはなかった。

プログラムは予想以上の満足と考え方とネットワークを与えてくれた。「設計思想」とまでは呼べないものの、観点をさまざまに動かすことによって、アナタはキャリアを立体的に捉えるようになっていた。そして、そのようなキャリアの捉え方を同僚や研究員たちに問いかけてみたいと強く思った。

ともすると、企業組織の論理や運命に委ねているようにさえ見える社内でのキャリアの育て方。自分のオーナーシップを強く認識し、デザインして、覚悟を決めて責任を取るような存在に捉え直していく。そんなフレームを企業組織の中に持ち込み、研究現場に拡げて行くことを、自分自身の次なる役割としてアナタは規定した。

キャリアに関する研修企画は、アーキテクチャ論に参加する際の上司との約束でもあった。しかし、正直に言えば、それは参加許可を得るための口実のようなもの。ところが、アーキテクチャ論を修了し、「約束」の企画をスタートさせようとしたとき、アナタは予想以上にモーティブに動き始めていた。研修の企画は義務ではなく、自分が創りたいものを創造するエキサイティングなプロセスとなった。この衝動は、アーキテクチャ論が与えてくれた最も端的な宝物だった。

アナタは自分の心に従い、社内研修としての「キャリア・デザイン」の企画を開始した。キャリア研修に関して先例に乏しい中、いくつかのフォロー・ウインドに恵まれた。
一つは、本社の研修担当組織によってキャリアを見直す別の企画の検討がスタートしたこと。コンセプトは50歳を迎える社員を対象にしたキャリア・デザイン。そして社外講師として金井壽宏先生が招聘される! この動きを知って、アナタのスコープが絞られた。
本社が「年齢」で行くのなら部門は「四辻」で行こう。金井先生が「50歳までの道のりを振り返って今後の10年」をエスコートするならば、アナタは「年齢を問わず、今、思い悩んでいることの大切さと、キャリア・デザインするときの大切なこと」を問いかけようと。金井先生に挑戦するような高揚した気持ちのまま、アナタは見事にドリフトして行った。

もう一つのフォロー・ウインドは、アナタの考えを上司と同僚が理解し企画を任せ、応援してくれたこと。とくに、後輩同僚の一人がアナタの働きかけによって、キャリアを考えることの大切さ、社内研修の中でそれを実現することの意義に共鳴してくれた。アナタはキャリアについて議論を闘わせる相手を社内にも得た。自分の考えを伝え、問いかけて、相手の出すアイディアと共に企画を育て磨くことの楽しさを味わった。

こうしてアナタは、アーキテクチャ論の仲間の前で誓った「キャリア研修の企画・開催」を、組織の仲間と共に実現することができた。その出来・不出来については棚上げにするが、自分の足跡としてのキャリアに、アナタは相応の満足を感じることができた。

10年を経た今、ここで、私と『キャリア・アーキテクチャ論』とのお付き合いを振り返ってみる。すると、自分のキャリアに、アーキテクチャ論で学んだ事柄がいろいろと重なって見える。

出会いはプランド・ハプンスタンス。自分の中に執拗な思いがあり、それが出口を探し求めて絶えず蠢いており、なかなか見つからなくても諦めなかった。いくつかの出来事が噛み合い組み合わされた結果、「計画された偶然」によって出会えた。
出会った後はいつもの優柔不断さは姿を消していた。その場にすぐに飛び込んだ。今は「その方向に行く」ことが直感的に大事だと思った。そしてその直感に従った。”Follow my heart.”であり、ドリフトに違いなかった。

この10年間は、キャリア研修の企画に限らず、自身のキャリア・アンカーSVに色濃く縁取られていた気がする。「人が活き活きと仕事に取り組むために」を考え、何らかのアイディアを得、それを実現しようと周囲の仲間と共に動き回り、また、それを問いかけようと奔走した。そのプロセスに、「自分が活き活きしていた」ことを感じる。

歩んできた道のりは綿密に計画されたものでは決してなかった。その時々で思いついたこと、衝動や時流に乗ったこと、周囲の導きに従ったこと・・・。その混然とした過程の中に、とくに格好つけるわけでもなく自分らしさが感じられ、意味づけめいたものが腹に収まるのなら、それほど捨てたものじゃないと感じる。

アリスとチェシャ猫のやり取りを逆手に取った金井先生の言葉を思い出す。
「どこへ行くのかはっきり分かりすぎていたら、そこ以外に行けなくなっちゃうよ」

デザインに対してドリフトがあるように、アンカーに対してサバイバルがあるように、チェシャ猫のテーゼに対して金井アンチテーゼがあるように、キャリアは相対するもの(決して相反するものとは考えない)を同居させながら、その時々でかなり大きな舵取りをしながら進んで行くものなのだろう。交感神経に対して副交感神経があり、α細胞に対してβ細胞があることを学んだのがすいぶん昔であるのに比べて、これに気づくのになんと時間がかかるものか。

少し若い時分に、世代継承性の発達課題に目覚めたように研究現場を後にした私だったが、実は、新しいフィールドで自我同一性の課題に揉まれながら育ち、今、自らの将来を見つめようとしている。相変わらず明確にデザインされた訳ではないキャリアを探ろうとして。
幸あれ!!!

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