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アートで学ぶ ~生きるための学び~

2012年03月13日

伊達 隆洋
京都造形芸術大学アート・コミュニケ-ション研究センター 研究員

「アートを学ぶ」
「アートで学ぶ」
 この二つの違いは何でしょう?どちらも何かを「学ぶ」ということは同じはずです。では、いったい何が違うのでしょう?
 「アートを学ぶ」。この場合、学ぼうとしている「何か」が「アート」ということですね。つまり「アートについて学ぶ」ということです。「アートって面白そうだから勉強してみよう」とか「もっとアートのこと知りたいな」といった風に、自分が学びたいことがアートだとはっきりしていて、それを学ぶわけです。
 それでは、「アートで学ぶ」の場合。こちらは学ぼうとしている「何か」は「アート」ではありません。「アートで」ということは、アートがなにか手段だったり方法だったりするということです。つまり、アートを通して学ぶ、アートで「何か」を学ぶということになります。
 当たり前の話で、いったい何が言いたいんだと思われるかも知れません。でも、ここには「学びとは何か?」という問いを考えるヒントが含まれているように思うのです。 そのことを少し考えてみましょう。


 「教科書で学ぶ」この言葉に違和感を持つ人はいないと思います。でも、「教科書を学ぶ」となるとこれは変ですよね。「アートを学ぶ」は違和感がないのに、「教科書を学ぶ」が変なのはなぜでしょう?
 それは、私たちが、教科書は学びのための手段や方法であって、学びの目的ではないと知っているからです(一部、教科書を覚えることが目的になっているような授業というのもありましたが…)。例えば小学校の算数の時間、教科書やドリルを勉強したのは、教科書やドリル「を」学ぶためではありません。教科書やドリル「で」算数「を」学ぶためです。でも、少し待って下さい。だからといって、本当に「算数」が学びの目的だったのでしょうか?
 そんなことはないはずです。私たちが「算数を」学ぶのは、多くの人にとって数学者のような算数の専門家になるためではありません。そうではなく、私たちは生きていくために必要な、計算、抽象的概念、論理的思考などを「算数で」学んだのです。
 このように、「~を学ぶ」ことと「~で学ぶ」ことは、別々のものではありません。「~を学ぶことで学ぶ」という一続きのプロセスです。でも、大きく違うのは「~を学ぶ」という時には、自分がこれから何を学ぶのかすでに知っています。特に大人の場合には、まず「~を学びたい」と思って、実行に移す方が多いのではないでしょうか。しかし、「~で学ぶ」はそれとは違います。「~」という対象はわかっていても、自分がそこから何を学ぶのかは、実際に学ぶ前にはわかりません。場合によっては、何年も経って「あの時のあれが、こんなところで活きてくるとは!」と実感することさえあるような学びのあり方です。そして、その学びが活かされるのは、当初、自分が思っていたのとは違う分野や、自分自身の生き方そのものだったりするような学びです。その意味では、「~で学ぶ」ことは、私たちの生き方に直結した、より根源的な学びだと言うこともできるでしょう。
 では、話を元に戻して「アート」の場合はどうでしょう? 学校で図工や美術を学んだり、美術館に足を運ぶのは、ほとんどの人にとって芸術家やアートの専門家になるためではありません。ということは、多くの人にとって「アートを学ぶ」ことよりも、本当は「アートで学ぶ」ことの方が大きな意味を持っているということになります。それにもかかわらず、「アートで学ぶ」という言葉が「教科書で学ぶ」のようにしっくりこないのは、私たちが普段、アートを何かを学ぶ手段や方法だとは思っていないからです。それどころか「何の役に立つの?」という否定的な疑問すらあるかもしれません。事実、小中高校の図工や美術の時間はどんどん減っています。つまり、アートで学べることは、あったとしても生きる上で学ぶべきことの優先順位からいえば、あまり重要ではないと思われているわけです。でも、本当にアートを通して学べることは生きる上で重要ではないのでしょうか?
 アートとのかかわり方を大きく、「つくる(制作)」と「みる(鑑賞)」という2つに分けてみましょう。私たちの日常によりかかわりが深いのは、後者の「みる」という行為です。なぜなら、私たちは目が覚めている限り、常に何かを「みて」生きています。それどころか、眠っているときですら夢を映像としてみたりします。わざわざ美術館に行かなくても、雑誌や広告など普段の生活のなかでも作品を目にしますし、特別な道具や技術がなくても作品を「みる」ことはできるからです。また、たとえアーティストであっても、制作の過程でその作品をみながらつくっているはずです。つまり、根本にまず「みる」という行為があるのです。
 しかし、この「みる」という行為は、あまりにもあたりまえに行なっているせいか、これまであまり取り上げられることがありませんでした。学校の図工や美術の時間に作品をつくった経験はあっても、作品をみることに時間をかけたという経験をお持ちの方は少ないのではないでしょうか。でも、この「みる」という行為は、実はとても複雑で奥深いものなのです。
 私たちがものをみるときには、対象をそのままカメラのように写し取っているわけではありません。たとえば友人と美術館に行って一緒に作品をみても、自分とは全く違う印象を受けていたということが起こります。あるいは、昔は何とも思わなかった作品を、歳を経て再び目にしたときには深く感じ入るということも起こります。もし、「みる」という行為がカメラのようにそのままを写し取るものであるなら、いつでも誰でもみえ方は同じはずです。しかし、現実はそうではありません。
 なぜなら、私たちが対象をみるときには、自分の経験や価値観と照らし合わせ、自分の経験や価値観を通して「みて」いるからです。そのため、みる人が違えば、みる人の経験や価値観が変われば、作品の意味も変わります。逆に言えば、みる人がいなければその作品は意味を持ちません。アート作品はあくまでモノでしかないからです。作品をつくるのは芸術家ですが、その作品に意味や価値を与えているのは、実はそれをみている私たち自身なのです。
 したがって、作品を「みる」という行為は、作品の中に込められた意味をみる人が受け取るという単純な一方向の行為ではありません。作品とそれをみる人との関わりによって意味が生み出される、一種のコミュニケーションです。そして、この意味を生み出すコミュニケーション、モノと人の間に生まれる「感情」「思考」「疑問」といった現象こそが「アート」なのです。
ACOP(Art Communication Project)
 このアートというコミュニケーションをより豊かなものにするために、私たちはACOP(Art Communication Project)という取り組みを行なっています。ACOPでは、グループで作品をみながら、それぞれが思ったことや感じたこと、あるいは疑問点などを話し合っていく、対話を基本とした作品鑑賞プログラムを提唱しています。
 ACOPで必要なのは、「みる・考える・話す・聞く」という、人がすでに備えている4つの基本的な能力だけです。美術史などの知識だけに偏るのではなく、自分自身が感じることを大切にし、作品自体を隅々までじっくりとよく「みる」こと。そして、みていくなかで自分が感じたり思ったことについて「なぜだろう?」「どこからそう思うのだろう?」とよく「考える」こと。そして、自分が考えたことをグループのメンバーに伝わるように「話す」こと、他のメンバーが作品について考えたことを「どうしてそう思ったんだろうか?」と考えながらよく「聞く」こと。この4つをグループで話し合いながら繰り返していくことで作品を鑑賞していきます。
 1人で作品をみていると、2つの目と1つの頭で鑑賞することになりますが、10人で作品をみていると、20の目と10の頭脳が動員されることになります。複数の視点が交錯することで、自分が感じた以上の発見や驚きを得ることも可能になります。
 でも、それだけではないのです。先にも述べたように、私たちは自分の経験や価値観を通してものを「みて」います。グループで鑑賞をしていると、自分とは違う経験や価値観を持った人の見方や意見を聞くことで、自分自身の価値観や考えを発見するということも生じてきます。つまり、作品とのコミュニケーションや他者とのコミュニケーションが、自分自身とのコミュニケーションにつながっていくのです。
 アート作品を「みる」という行為は、実は「作品」をみつめることであると同時に、そこに意味を見出している私たち自身をみつめるということでもあります。そして、他者をみつめることもまた、私たち自身をみつめるということでもあるです。ACOPは作品について学ぶためのプログラムであると同時に、作品や他者との関係を通じて私たち自身についての学びを生み出すためのプログラムです。
「アートで学ぶ」の可能性
 もともとアート作品鑑賞のプログラムとして開発されたACOPですが、近年では博物館での歴史資料の読み解きや、X線といった科学的現象の考察などアート以外の分野でも実践されています。また、看護学校での看護師育成のトレーニングや福祉施設における人間関係改善などへの応用も行われています。企業の方々からコミュニケーションスキルやファシリテーションスキルのトレーニングとして注目していただくことも増えてきました。
 このように幅広い応用が可能なのは、アートを通じて行なわれる、物事をみて、考え、話し、聞くというコミュニケーション、そして、それらを通じて他者とともに意味を築いていくという営みが、私たちがこの世界を生きていくときの基本的なあり方そのものだからではないでしょうか。
 「アート(art)」という言葉の語源は「技術」、それも「生きる術」です。私たちは生きていく中で、この目に映る現実を、そして、自分の人生を常に意味づけながら生きています。もし、どんな意味も見出すことができなくなれば、この世界も人生もずいぶん虚しいものになってしまうでしょう。アートを通じて、人との間で(つまりは人間として)生きる意味を生み出す力が養われるならば、それは私たちにとって最も大事な「生きるための学び」となりうるはずです。「アートで学ぶ」とは「生きる術を学ぶ」ということなのです。

京都造形芸術大学アート・コミュニケーション研究センター
http://acop.jp/aboutus/index.html

京都造形芸術大学では、2004年度から芸術表現・アートプロデュース(ASP)学科の一講義としてスタートしたACOP(アート・コミュニケーション・プロジェクト)を展開し、2009年4月にアートの可能性を多角的に探る研究活動を担う機関として、アート・コミュニケーション研究センターは設立されました。
美術は感受性を養うだけでなく、社会の中で主体的に生きる人間を育てる教育コンテンツとしても有効であると考えています。本センターは美術の分野からコミュニケーションの問題と「生きる力」の向上にアプローチし、自立した鑑賞者の育成やアートの普及促進を通じ、アートの可能性を広げ、ひいては自らの力でみて、考えて、話し、聞くことの出来る主体的な人材の育成に寄与していきます。

伊達隆洋(だて たかひろ)
京都造形芸術大学 芸術表現・アートプロデュース学科 講師
アート・コミュニケーション研究センター 研究員

人間科学・臨床心理学を専門領域とし、心理臨床現場での実践を行いながら、人の持つ「自分」という感覚とコミュニケーションの関係を研究している。 2007年度よりACOPに参与観察者として参加。コミュニケーションという視点からACOPに参加した学生の分析を行い、ACOPを通じて生じる人の変化について分析。甲南大学大学院人文科学研究科修士課程修了。
慶應MCC夕学プレミアムagora『福のり子さんと楽しむ【あなたをひらくアート・コミュニケーション】』講師。

福のり子さんと楽しむ【あなたをひらくアート・コミュニケーション】
http://www.sekigaku-agora.net/course/fuku_noriko.html

ACOPのメソッドを用いて、美術史等の知識だけでなく、鑑賞者同士の交流を通して、「みる・考える・話す・聞く」力を高める新しい鑑賞方法を楽しみます。5月12日(土)開講・全6回

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