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メンタルヘルスの呪縛

2012年05月08日

野口 海(わたる)
メンタル・コンシェルジュ代表(精神科医・産業医)、慶應義塾大学大学院 政策メディア研究科特任准教授、中央大学大学院 戦略経営研究科(ビジネススクール)客員教授

“メンタルヘルス対策がたいへんだ、どうしていいかわからない”という担当者の悲鳴をよく聞く。
しかし、それは本当にメンタルヘルスの問題なのだろうか。今一度、問題を整理して、解決策を探ってみてはどうだろう。
各社各様のメンタルヘルスの”問題”
メンタルヘルス対策の重要性が叫ばれている。厚生労働省による医療調査では、〈うつ病等の気分障害〉総患者数は、1996年には43.3万人、2008年には104.1万人で、9年間で実に2.4倍にも増加している。しかも、この数はあくまで医療機関にかかっている患者数のデータである。うつ病患者の医療機関受診率は低いことが知られており、実際にはさらに多くの患者がいることが推測される。


企業にとってメンタルヘルス対策が急務であることは、この数字からもわかるだろう。そして、メンタルヘルス問題への対応に、総務・人事担当者の多くが苦慮している現状がある。しかし、そこには”メンタルヘルスの呪縛”とでもいうべき罠があると指摘する専門家もいる。慶應義塾大学大学院政策メディア研究科特任准教授で、精神科医の野口海さんはいう。
「今、どこの企業も口をそろえて『メンタルヘルスの問題で困っている』といいますが、大企業の多くではすでにメンタルヘルス対策を講じています。ただ、それらの対応が総務・人事といった窓口に全て集中する結果、担当者の疲弊感が非常に大きくなっている。逆に、中小企業では全く対策を講じていない場合もあり、そのような企業では当然のようにメンタルヘルス不調者がたくさん出てしまう。どちらの企業の担当者も〈メンタルヘルス対策がたいへんだ〉というのですが、両者の内実には全く違った背景が存在していると捉えるべきです。」
個々のケースを丁寧に
野口さんは、あらゆることをメンタルヘルスの問題にしていないかという。社員が悩みを持っている背景には、たとえば、自分の仕事が正当に評価されない・認められていないという問題があるかもしれない。あるいは、職場におけるモチベーションが保てないという問題があるかもしれない。その問題の本質は、前者でいえば人事考課のシステムにあり、後者ならば会社としての大きな方針の中での個々の仕事の意義を示せていないことに原因があるのかもしれない。こういったさまざまな根を持つ問題について、「本人が悩んでいる」ということを全てメンタルヘルスの問題ということにしてしまっていないだろうか。
「現在、あらゆることをメールのやり取りで済ませてしまう傾向があります。そのため『上司の本意を把握しているのだろうか・自分は評価されているのだろうか』と悩む人が増えている。これは果たしてメンタルヘルスの問題といえるでしょうか。本当は社内のコミュニケーション方法に問題があるのでは、と思うのです。全ての問題をメンタルヘルスというボックスにひとまとめにしてしまう。これを私は〈メンタルヘルスの呪縛〉と名付けています。まずは個々の事情をきちんと丁寧に見ていく必要があると思いますね」
最近、しばしば耳にする”新型うつ”の問題にも、あるいはメンタルヘルスの呪縛があるのかもしれないと、野口さんは指摘する。
「そもそも新型(現代型)うつは病気ではないという医者もいます。それは働くことの意味やプライド、会社との関係性の問題であって、実は精神科の問題とはいえないケースも多いのではないでしょうか」
中高年層に多いといわれる従来のメランコリー親和型のうつ病に比べ、ディスチミア親和型といわれる新型(現代型)うつは青年層に多く、前者が仕事熱心で後者はそうでないという違いが指摘されているが、それは労働についての価値観、意味付けの違いといってもいいではないだろうか。日本のおかれている状況も大きく変わり、終身雇用が前提で会社に守られていると考えていた世代と、非正規雇用が増加し労働力は使い捨てという印象すら持っている世代とでは、働く意味そのものが違って当たり前といえばそうだ。
「若い人たちの価値観は、すでに変わり切っているのかもしれません。だとすれば、企業側としても『働く意味』を再構築していく必要があるでしょう」
ミイラ取りがミイラにならないために
このように、うつ病患者が実際に増加し、あらゆることがメンタルヘルスの問題とされてしまう状況では、担当者の負担は増えるばかりだ。ミイラ取りがミイラになりかねない。それを防ぐには、困った時に、気軽に相談できる専門機関を確保するべきだと、野口さんはアドバイスする。
「正解がない問題なので、担当者一人で深く考えれば考えるほど、深みにはまってしまいます。あまり大上段に構えず、自分の周囲でできることからやっていくことが大切。研修やワークショップを通じて、社内全体にメンタルヘルスについて基本的な知識をひろげる施策はもちろん重要です。しかし、コミュニケーションという視点でとらえれば、机や共有物(ゴミ箱・コピー・ポットなど)をどのように配置し社員の交流を生み出すか、SNSをどのように活用するか、相互承認(サンクスカード、表彰など)をどのように醸成するか、飲み会などのイベントをどのような形で開催するかなど、多様な視点から検討することが大切です。心の問題を早期に発見するためには、他者の普段の様子からちょっとした違いを敏感に捉えることができるようにすること。多様な価値観の社員に対応していくためには、担当者自身も柔軟に・しなやかに考えていくことが大切です。」
効率化を進めてきた現在、企業も人もちょっとしたことで全てが崩れてしまう。このような中で、簡単には答えの出ない問題に無理に答えを出そうとすれば、メンタルヘルスの呪縛に囚われてしまう。担当者に求められるのは、一歩ひいたところから客観的に、鳥瞰的に、複層的に、ものごとを眺める姿勢なのかもしれない。

※『月刊総務』(http://www.g-soumu.com/index.php)6月号(5/8発売)より著者および出版社の許可を得て改編、転載。無断転載を禁ずる。

野口海(のぐちわたる)
メンタル・コンシェルジュ代表(精神科医・産業医)
慶應義塾大学大学院 政策メディア研究科特任准教授
中央大学大学院 戦略経営研究科(ビジネススクール)客員教授
慶應義塾大学総合政策学部・東海大学医学部卒業。東京医科歯科大学大学院 心療・緩和医療学分野 博士課程 修了(医学博士)。日本精神神経学会専門医・日本医師会認定産業医。総合病院神経科(精神科)医師・単科精神科病院 医師を経て、東京海上日動メディカルサービス株式会社 第一医療部副部長 兼 EAP室室長 歴任。平成19年10月1日より現職。大手からベンチャーまで、多数の企業の「精神科産業医」として活躍中。
現在、精神科医と弁護士が連携し、人事担当者からのメンタル相談を一元的に受け付け、戦略をアドバイスする〈メンタル・コンシェルジュ〉を主宰。多様な価値観・考え方・実践的な戦略(ケーススタディ)を共有する、月1度の勉強会「メンタルコンシェルジュセミナー」を丸の内で開催しています。興味のある方は、下記までご連絡ください。
野口 海 watarunoguchi@yahoo.co.jp

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