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小林 喜一郎「リバース・イノベーションと日本企業の課題」

2012年12月11日

小林 喜一郎
慶應義塾大学大学院経営管理研究科 ビジネス・スクール教授

リバース・イノベーションとは

 逆方向のイノベーション、つまり、新興国のイノベーションが先進国で新たな活路を開くことの全容を、これほどまでに明らかにしてくれた本がかつてあっただろうか。
 「リバース・イノベーション」とは「途上国で最初に採用されたイノベーション」であり、ダートマス大学タック・スクール・オブ・ビジネスの教授であるビジャイ・ゴビンダラジャンとクリス・トリンブルが2009年頃から打ち出してきた新興国発イノベーション戦略の概念である。
 ゴビンダラジャンは、ハーバード・ビジネス・スクールで博士号を取得し、論文が最も多く引用される研究者の一人として名声を得ている。世界のトップ・ビジネス・スクールやインドの経営大学で教鞭をとっており、先進国と新興国における教育経験は、リバース・イノベーションの研究、教育、そして実践を指導するうえで大いに役立っているはずだ。


 また、新しい経営コンセプトを生み出し続けてきた、優良企業の中の優良企業であるゼネラル・エレクトリック(GE)から、経営学者で初めて教授兼コンサルタントとして招聘されたという事実は、ゴビンダラジャンの主張の、実務における有効性を示す明らかな証拠である。その意味では、ビジネス・スクールの中心的な狙いである「理論と実践の融合」において、理想的なポジションにいる教授といえる。
 共著者のクリス・トリンプルは元アメリカ海軍将校で、現在はタック・スクール・オブ・ビジネスで教鞭をとる、異色の経歴を持つ研究者である。
 ゴビンダラジャンらによれば、いままでのイノベーション論のほとんどは、「上から下へ流れる」「先進国で始まり新興国に普及する」という前提の上にあったという。その前提を排して、「途上国で最初に採用されたイノベーションは、意外にも重力に逆らって川上に向かって逆流することがある」という逆方向のメカニズムを明確にした点は、注目に値する。逆方向現象が起こりうること、また、それを意図的にコントロールしていくことが新興国市場の開拓に必要なばかりか、将来の先進国市場の競争に跳ね返ってくる、という主張だ。
 ゴビンダラジャンらは、先進国仕様の製品を現地に合わせてローカライズしていく従来型のグローカリゼーションのアプローチの有効性を認めつつも、「ウォンツやニーズが大きく異なる新興国では、まったく違う市場攻略法を白紙状態から行うイノベーション」が必要であるとしている。
 これまではややもすると、イノベーションとは先進国の一部の先進企業のみが行いうるもの、という誤解があった。それを払拭し、新興国におけるとてつもない制約条件こそが新たな革新を生み出すことを示し、かつてハーバード・ビジネス・スクールのクリステンセン教授が提唱した「破壊的イノベーション」(邦訳『イノベーションのジレンマ』翔泳社、2000年)とある部分で共通点を持ちながらも、その競争のスコープを、新興国を中心としたグローバル競争にまで発展させたところに、斬新性がある。
 リバース・イノベーションにおける主張は二重の意味で、我々の持っていた従来のイノベーションの考え方に対するチャレンジとなっている。一つは、制約条件の厳しい新興国であるからこそ、まずその地でイノベーションを起こすことが大事であるという点。もう一つは新興国発のイノベ-ションが先進国へ跳ね返ってくるという点である。
 新興国はかつて、先進国企業にとって生産基地の役割を担ってきた。その後、所得水準の向上に伴い、消費市場として注目されるに至っている。そして現在では、厳しい制約条件やその独特のニーズの存在のため、「先進国の常識にとらわれないイノベーション拠点」という役割を必然的に担いつつある。だからこそ、先進国企業は発想と行動の大幅な転換が求められているわけである。

日本企業の課題

 リバース・イノベーションという概念は、新興国への進出が必要だと認識する日本企業にとっても多くのヒントを提供している。
 日本企業には過去、グローカリゼーションで非常にうまく先進国市場を席巻してきたという成功体験がある。しかし、このリバース・イノベーションはまったく勝手が違い、いざ実行となると、日本企業には越えなくてはならない、いくつかの特有のハードルがある。そこでゴビンダラジャンらの主張をもとに、今後、日本企業がリバース・イノベーションの実施にあたって注意すべき課題について見ていこう。
 第一は、マインドセットに関する課題である。著者らは「先進国で過去に築かれたマインドセットからの脱却」のみならず、「貧困国は関係ない、ただ静観しよう、カスタマイズで十分だ」という考えは危険であり、「問題はローカルでなく世界である」というレベルにまで思考を引き上げていくことの重要性を指摘している。
 日本企業の中にある、「うちは内需企業だから必要ない」「日本はまだGDP世界第三位の巨大市場だから、国内中心でも何とかやっていける」「まだもう少し待っていればよい」という内向きの考えはきわめて危険である。
 たしかに狭い国土と膨大な人口は魅力であるが、一方で国際化という止められないトレンドは確実に外からやってくる。好むと好まざるにかかわらず、国際化の影響は内需産業であっても受けるのだ。それが国際化の実態であり、鎖国して生きていくことはできない。国内籠城作戦は長期的にはありえないという認識を、すべての企業は持つべきである。リバース・イノベーションを対岸の火事のように思っていれば、必ず痛い目にあう。「やらねばやられる」、これがメッセージである。
 第二は、資源配分に関する課題である。過去の日本の製造業は低コストを求め、新興国での生産活動を積極的に拡大してきた。しかし新興国のボリュームゾーン、特にBOPや地元企業を直接ターゲットとして狙ったことはほとんどない。そのため、新興国に研究開発など企業の中核機能を設置するなどの、「新興国市場に重心を移す」経験は非常に少ない。
 現地ニーズの深い理解をもとに、「一から始めること」がリバース・イノベーションの出発点だとすれば、経営中枢機能を日本に置いたままのリモート・コントロールでは難しく、開発等の現地化が必要である。新興国はもはや生産拠点ではなく、イノベーションの拠点であるという認識を持つべきである、というのがゴビンダラジャンらの主張である。
 第三は、上記の資源配分にもかかわる人材についての課題である。ゴビンダラジャンらは「新興国に重要な意思決定者を配置する」「経営幹部ポストを新設する」「取締役会の人員構成を変えて新興国リーダーを加える」「途上国での駐在経験を積ませる」といった一連の人事施策を提言している。これらの主張は、日本企業にとっても、経営人材の多国籍化や処遇の世界共通化が緊急課題であることを示している。
 日本の製造企業の中には、現地採用の外国人数が日本人社員を大幅に超えるところも少なくない。しかし、いったい何人の外国人が経営の中枢を担っているだろうか。また経営陣の何人が、新興国を熟知しているだろうか。取締役会メンバーを見ると日本人ばかりで、海外現地法人社長の日本人も東京ばかりを見て仕事をしているといった、「日本人による日本人のための経営」になってはいないだろうか。
 単に外国人比率を上げれば問題が解決するわけではないが、この状態を見てリバース・イノベーションの実行主体である優秀な外国人社員が、日本企業に生涯をかけて奉職しようと思うだろうか。日本企業は今後、地元企業や欧米の多国籍企業との間で、優秀な現地人材の獲得競争に入らざるをえないだろう。その際に、本国採用人材と同等の仕組みで遇するのみならず、場合によっては世界の人材マネジメントの常識に合わせて、日本側の制度をも変更しなければならないケースが出てくるだろう。
 日本人だけにしか通用しない平等主義(egalitarianism)や治外法権的な人事制度は、有能な国際的人材を引き付ける足かせになる。イノベーションは、同質的集団からは出にくい、異質の組み合わせから発生する化学反応であるから、優秀で多様な人材を確保しなければならない。経営幹部や一般社員の採用、配置、評価を含む経営システムのユニバーサル化は、日本企業が越えなければならない大きな課題である。
 第四は、実行局面における学習とリスクに関する課題である。ゴビンダラジャンらは「ローカル・グロース・チーム(LGT)に独自の論理を持たせ、独自の評価体系やグローバル資源の活用権限を持ち、実験を行いながら学習して事業を構築する」ことが必要であるという。たしかに不確実性の高い新興国市場では、試行錯誤を繰り返しながら、けもの道を切り拓いていく経験が必要だし、それによる学習がリスクを低減させるうえでも役立つ。
 日本企業は長年にわたる不況体験から、特にリスクに対して敏感になっているようだ。ゴビンダラジャンらは「3つの不安」、すなわち低収益、カニバリゼーション、イメージ(高い技術力は低価格とは相容れない)が、社内のリバース・イノベーションへの拒否反応を起こすと指摘する。しかし、カニバリゼーションなどを恐れて何もせず、他社が成果を出してしまってからでは遅い。本当のリスクとは投資するリスクでなく、投資をしないことのリスクなのである。
 最後に指摘しておくべきは、新興国が抱える深刻な貧困および環境問題と、リバース・イノベーションの関係である。ゴビンダラジャンらは「持続可能性」のギャップに着目すること、すなわち「環境にやさしいソリューションを考えることが、新興国の経済成長を持続するための方法である」と主張している。
 これはマイケル・ポーターとマーク・クラマーの指摘する、共通価値(Shared value)の概念にも通じるところがある。ポーターらは「社会のニーズや問題に取り組むことで社会的価値、さらには(企業にとっての)経済的価値が創造される」アプローチとして、この概念を提唱している(「共通価値の戦略」DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー、2011年6月号)。新興国におけるビジネスの永続性を考えるときには、社会との互恵関係を念頭に置いた事業創造アプローチが有効だという主張である。企業収益確保と現地への貢献を両立させるという考え方は、著者らの指摘する「持続可能性のギャップ」にうまく対処することにもつながるだろう。
 リバース・イノベーションはゴビンダラジャンらも指摘するように、まだ現在進行中の概念である。しかし新しいからこそ試す価値があり、常識になった時点ではもう手遅れである。GEの会長兼CEOであるジェフリー・イメルトの「GEがアメリカで勝つためには、インドと中国で勝たなければならない」という発言はまさに、リスクはあるが大きなチャンスであるという、リバース・イノベーションの本質を表現している。このチャンスを看過することは企業の将来にかかわる。
 日本にとって第一の黒船はアメリカのペリー艦隊であったが、第二の黒船は新興国の巨大企業、もしくはリバース・イノベーションを目指す欧米の多国籍企業になるかもしれない。しかし、いまの日本人は、ペリーが浦賀に来たときに当時の人が感じたはずの驚きや、恐怖にも似た「ギャップ」を、忘れてしまっている。また、明治維新のときのような強い危機感もない。企業も国家も第二の開国に向けて、真剣に取り組む時機に来ているのではないだろうか。マネジメントの鎖国は許されないのである。
 リバース・イノベーションは我々日本人に、「変革なくして発展なし」からさらに踏み込んで、「変革なくして生存なし」という考え方に転換すべきときが来たことを訴えている。
 よく考えてみれば、リバース・イノベーションは、戦後間もないころに「安かろう、悪かろう」という評価しか受けなかった日本製品や日本企業が、試行錯誤を重ねてのし上がってきたプロセスと似ている。その意味ではリバース・イノベーションは、かつて日本企業が最も得意としたこと、と捉えられるかもしれない。
 リバース・イノベーションを実行できれば、新興国市場はもちろんのこと、成熟した先進国市場にも風穴を開ける、大きなチャンスとなるはずである。変革なくして生存はない。自分たちの生き残りをかけた課題として、チャレンジ精神を持って向きあえば、必ず競争力の向上につながるに違いない。

※2012年9月に出版された『リバース・イノベーション』(ゴヴィンダラジャン & トリンブル著、小林喜一郎解説、渡部典子訳:ダイヤモンド社刊)の巻末解説文、およびダイヤモンド社書籍オンライン「なぜ、リバース・イノベーションは世界中から注目されるのか?」より著者・出版社の許可を得て改編・転載。無断転載を禁ずる。

小林 喜一郎(こばやし きいちろう)
慶應義塾大学大学院経営管理研究科 ビジネス・スクール教授
慶應MCCプログラム「経営戦略-イノベーションと競争戦略」講師
1980年慶應義塾大学経済学部卒業。1989年慶應義塾大学経営学修士(MBA)。1989年より 1993年まで(株)三菱総合研究所・経営コンサルティング部主任研究員。1996年慶應義塾大学経営学博士(Ph.D.)。1997年ハーバード・ビジネス・スクールへ留学。2000年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授、2006年同教授。

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