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ピックアップレポート

2013年01月15日

金子 啓明「仏像のかたちと心」

金子 啓明
興福寺国宝館館長

はじめに

 二〇〇九年春に東京国立博物館で行われた「国宝 阿修羅展」は、日本の美術を対象とした美術展としては過去最高の九十五万人に近い入場者数となりました。一日平均では一万五千人でいずれもこの年の世界最高記録でした。この展覧会の特色はこれまでの日本美術展とは違って来館者の年齢層が一〇才台から七、八〇才台までとてもバランスがよかったことです。一〇才台と二〇才台の合計は三〇才台とほぼ同じで、若者に人気があったことも大きな特色でした。同博物館が会期中に実施したアンケート調査によると大多数の意見は阿修羅像のすばらしさに感動したというものでした。それとともに博物館でのデイスプレーによって阿修羅像の魅力が一層高められたことも大きく評価されました。

 入場者数が多ければよい展覧会というわけでは勿論ありません。しかし、多くの方々が感動したという事実はとても貴重なことです。阿修羅ブームとなったこと、大衆化したことに眉を顰める意見もありましたが、それがどのような感動であれ、人々の心に強い印象が残ったことは重要だと思います。われわれも中学や高校生の時に修学旅行で、奈良や京都の仏像などを見たことが印象に残っていて、後になって懐かしく、もう一度旅をしたいと思うこともあります。中にはその印象をあたためて専門の研究を志す人もいることでしょう。いずれにしても、はじめに印象を、できれば好感をもつことが大切です。それは美術や文化や歴史に対する関心の出発点になることでしょう。

 また、「国宝 阿修羅」展では、展示の工夫として阿修羅像ためだけの大きな専用の展示室がもうけられたことも重要です。そこでは通常は見ることのできない像の側面や背面まで三六〇度見ることができたこと、少し高い位置にスロープを作りそこからも像を鑑賞できたこと、つまり高低、周囲とさまざま角度から像を見ることができたことが話題となりました。彫刻には像が占める独特の彫刻空間があります。優れた像であるほど大きな空間を占めることができます。また、展示場には彫刻空間とともに、それと見る者のための空間が必要で、その双方によって展示空間が構成されます。展示空間は魅力のあるものでなければなりません。

 そこでは阿修羅像と多くの来館者が心の対話ができるのです。けっして声を上げなくとも心の中で印象の対話が起ります。つまり、会場には阿修羅像と観覧者の多くの対話が発生し、その対話が渦となり一種の祝祭的な雰囲気が生まれました。このような場はまさにトポスというべきものでしょう。それも阿修羅という仏像が中心ですので、市民のための「美の仏殿」としてのトポスということになります。私がこの展覧会を企画した時にめざしたのは、言葉によって仏像を理解するのではなく、阿修羅像のすばらしさを感性的な体験として、心の中でお一人、お一人に印象をもっていいただきたいということでした。その意味では企画の目的は果たすことができたのだと思います。

 二〇一〇年の春。阿修羅像のある興福寺では、興福寺国宝館の開館五〇周年を記念して建築内部の大幅な改修を行いました。興福寺国宝館には、阿修羅像やその仲間の八部衆と十大弟子像、白鳳時代の名作銅造仏頭、平安時代の国宝 板彫十二神将像、鎌倉時代の国宝 天燈鬼・龍燈鬼像、金剛力士像など仏像の名作が目白押しです。この国宝館がある場所は奈良時代に創建され、鎌倉時代に復興された食堂と細殿が明治時代まで残っていました。それらは明治初年の廃仏毀釈の嵐の中で取り壊され、現在では地下に遺構が残っています。興福寺国宝館はその遺構の上に昭和三四年に建てられました。食堂が倒壊した時、食堂の本尊で、五メートルを超える巨像の国宝・千手観音像は幸い助かっており、現在もかつての食堂の本尊であったと同じ場所に設けられた須弥壇の上に安置されています。

 このように国宝館は食堂の旧本尊を中心とする建物で、外観も古寺院建築のスタイルでつくられています。この国宝館の内部改装の基本的な考えになったのは、展覧会にも通じる「美の仏殿」であり、そこには仏教的な真、善、美が宿るという理念でした。そこでは仏教の荘厳さや崇高さが展示として十分に活かされなければなりません。仏像は美であるとともに祈りの対象であり、それによって人の心を癒す力をもっています。その魅力が生きる空間にすることが目的でしたが、幸い多くの方々の仏像体験の精神的な場として機能するようになりました。

 この本で取り上げた仏像は、日本古代の白鳳文化から天平文化の時代のものです。そして、いずれの仏像も東京国立博物館で開催された展覧会に出品されたものや、事前調査の時などにすぐ近くで拝見する機会に恵まれたものばかりです。私もこれらの仏像を見て深い感銘を受けました。

 この時代の仏像はじつにいきいきとしています。そして、何よりも形そのものが魅力的です。そこには形の生命ともいうべきものがあり、表現すること自体に価値と意味をもっています。そして、その背景には豊かな精神性や世界観があったと考えられます。けっして、中国や朝鮮半島の仏像の模倣でもなければ、単なる影響だけではなかったのです。日本の古代に培われた人間の主体的な力こそが、この時代に多くの仏像の名作を誕生させたのだと思います。

 この本の目的は読者に文章を通じて古代の仏像の魅力を知っていただき、実際に仏像を見ていただくことにあります。仏像には人の心を鎮め、勇気づける力があります。それが今も多くの人々から受容される大きな素因になっています。日本古代の仏像は今なお現代的な役割と機能をもっているといってもよいでしょう。歴史の中でつくられ、歴史を生き抜いて、現代でも人を感動させる力をもっているのです。この本はそれを知っていだだくきっかけになればと思います。仏像と読者の橋渡しとしての役割を果たすことができれば幸いです。

※2012年7月に出版された『仏像のかたちと心 白鳳から天平へ』(岩波書店)の「はじめに」より著者、出版社の許可を得て改編・転載。無断転載を禁ずる。

金子 啓明(かねこ・ひろあき)
  • 興福寺国宝館館長

1947年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。東京国立博物館副館長、慶應義塾大学文学部教授を経て、現在、興福寺国宝館館長。博物館では特別展「仏像 一木にこめられた祈り」、「国宝 薬師寺展」、「国宝 阿修羅展」などに取り組んだ。また、2010年の興福寺国宝館開館50周年記念展「生まれ変わった興福寺国宝館」に携わった。

著書に『運慶・快慶』(小学館)、『文殊菩薩』(至文堂)、『もっと知りたい 興福寺の仏たち』(東京美術)、『もっと知りたい 法隆寺の仏たち』(東京美術)などがある。

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