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石川 晶康『日本史の考え方 河合塾イシカワの東大合格講座!』

2013年02月12日

石川 晶康
河合塾講師

序章

 ニホン・ニッポン・日本をテーマとした議論がさかんです。日本史、日本語、日本人に関する多くの書物が書店にはあふれかえっています。
 そのような状況の中で、あえて日本史を新書一冊にまとめてみよう、それも単なる概説や特定の歴史観によって何かを主張しようとするのではなく、予備校の現場からの視点でまとめてみよう、というのが本書の目標です。断るまでもなく、ごく個人的なものですが、前提となるのは、教科書と実際の入試問題です。現在の受験生がどんな教科書でどんな試験問題に挑んでいるのか。想像もつかないという方や、入試を控えている受験生の方にも参考になれば、というのがささやかな狙いです。もっとも、多様な入試のすべてを対象にすると複雑なので、題材として東京大学の二次試験での論述問題をいくつか取り上げることにします。結果として、現在の歴史学が何を問題とし、それが教科書にどう反映し、さらにどのような問題となって現れているか、そのあたりが説明できればと考えています。
そこで、あらかじめ、本書の基本となる視点を提示しておきます。

(1)人々の前に「神」としての天皇が立ち現れるとき、「日本という帝国」が成立する

 具体的には、天武天皇と明治天皇という二人の天皇に着目します。「神としての」性格が際立ってよく現れた、この二人の天皇の時期を中心に、「日本(大日本帝国)」という「帝国」が形成されたことに注目したいのです。
 この二人の天皇が「神」とされたことを示す、象徴的な資料をあげておきます。高校の日本史で必ず触れる、ということは入試にもしばしば登場する資料です。
 大君は 神にしませば 天雲の
  雷(いかづち)の上に 庵(いほり)せるかも
  (柿本人麻呂『万葉集』)
 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ
  (大日本帝国憲法)
 前者は、壬申の乱に勝って「神」と呼ばれるようになった天武天皇についての歌。後者は「大日本帝国憲法」の天皇に関する規定です。
 まず、「神」であることが鮮明に、人々に意識された。そして、異民族を支配領域に組み込むことを意識した国家、すなわち帝国の形成が目指された。その意味で、天武天皇と明治天皇に着目します。そして、この二人を画期として、日本史を「二つの時期に区分」してまとめてみようというのが本書の試みです。

(2)日本史は中国時代、欧米時代の二期に区分される

 そこで、二人の天皇を中心に日本史を二期に分けることにしますと、一八五三年のペリー来航あたりを区切りとして、それ以前を前近代、ペリー以降を近代(近現代)と分ける一般的な区分ですが、ここでは仮に、ペリー以前を「中国時代」、それ以降を「欧米時代」と呼んでおくこととします。そして、この二つの時期を対比しつつ考えていきます。ただし、前近代から近代へと、単純に「流れ」と捉えるのではなく、この二つの時期を比べ、その共通点を見つけ出すことを試みたいのです。
 言い方を変えれば、古代史と近現代史を同時に考えてみる。そして、その共通点は「神」としての「天皇」の出現と、これに伴う「帝国」日本の成立であると考えてみたいのです。

1.天武天皇と明治天皇

 天武天皇と明治天皇。この二人はどのような経緯から「天皇」・「神」とされるに至ったのか。
 七世紀後半。白村江の戦に敗れたあと、国防に忙殺されるなかで天智天皇が没すると、弟の大海人皇子と天智の子・大友皇子の争いである壬申の乱が勃発。勝った大海人皇子=天武天皇の覇権が確立します。勝利者である天武は「大君は神にしませば」と詠われる地位を確立しました。
 次は一九世紀後半。ペリーの来航以降、開国と薩英戦争・四国艦隊下関攻撃などの外圧に屈するという混乱のなかで徳川幕府は政権を放棄し、戊辰戦争という内乱に勝って明治天皇を頂点とする新政府が発足します。そして、天皇は「神聖」な存在であると憲法に明示されることになります。
 すなわち、この二人の天皇が出現する時期に共通する前提は、対外戦争と内乱です。七世紀に唐・新羅連合軍に大敗を喫する、一九世紀にはペリー艦隊に驚き薩摩・長州が外国艦隊に攻撃されて屈服する、という敗戦の後に、大規模な内乱が起こり、勝利した天武と明治天皇が「神」となって新しい帝国を目指すのです。
 「神」としての「天皇」のもとで「帝国」としての「日本」は形を整えていった
 ということです。天武朝以降、八世紀にかけて国家体制は急速に中央集権化します。隋・唐を範とする「律令体制」の導入が加速する時期です。明治天皇のもとでは、欧米を範とする憲法などの近代法典、議会制度などの導入が一挙に進みます。
 天武朝以降、中国に対抗するべく、中国を模範とする国家体制を作り上げていきます。対して、明治天皇のもとでは欧米に対抗するべく欧米型の国家体制が目指されます。
 そこで、前者を、新しい国家の模範を中国に求める「中国時代」、後者を「欧米時代」と呼んでおきます。
 面白いのは、どちらの時期も戦いに敗れたその相手、外圧をかけてくる相手側の体制を導入していることです。外国の影響を排除するのではなく、外国の制度、文物を急速に摂取していく契機となったということです。そして、新しい「帝国」を形成しようとしたことに注意しなければなりません。つまり、異民族をも支配する「帝国」を目指した。

2.官僚が主導する伝統破壊

 次に、「帝国」形成の作業を、実際に担っていったのは誰か。
 その担い手は、「中国時代」には律令制で身分的にも経済的にも高い地位を保証された「官僚」たち。「欧米時代」には近代法のもとで地位を確保した「官僚」でした。
 忘れてはならないのは、その際、決定的に重要な役割をはたしたのが、「中国時代」には渡来人や滅亡した百済から亡命してきた知識人・技術者であり、「欧米時代」には政府が高給を払って欧米から招いた大量の「お雇い外国人」と呼ばれた学者・技術者であったことです。支配者層たる官僚が、「神」・「天皇」を戴いて、外国人の直接指導を受けながら、中国化・欧米化を推進していったのです。
 その結果、戦争と内乱の記憶がまだ生々しい中で、以前からの多くの制度や文物が否定され、変質しながら、「中国」的なもの、「欧米」的なものを取り入れていったのです。
 白村江の敗戦→壬申の乱→ 天武天皇 →律令制度・中央集権化・官僚制度・渡来人(亡命百済貴族など)
 ペリー来航→戊辰戦争→ 明治天皇 →近代法 ・中央集権化・官僚制度(お雇い外国人)
 「神」としての「天皇」は、伝統の保持のために国家の頂点に立ったのではありません。「日本」を守るために先頭を切ったのではありません。
 天皇は、伝統を破壊し、新しい帝国を形成するために、神として人々の前に現れた
 ということです。もちろん、「伝統」、従来から保持され続けてきたすべてのものが破棄された、などという単純なものではありません。従来からの社会、組織、文化のあり方に新しい要素が取り入れられていったわけですから、天皇が中心となって、「伝統」を守るために外国の制度・文物を取り入れたと言っても、あながち誤りではないかもしれません。
 しかし、ここで念のために確認しておかなければならないのは、すでに「神」として君臨していた天皇が中心となって、このような国家の変革が進められていったということではないのです。それでは本末転倒になってしまいます。
「日本」という伝統のある国を守るために「天皇」が先頭に立って、中国や欧米の制度・文物を摂取したのではなく、中国や欧米に対抗するために、中国や欧米の国家体制をお手本に国家を形成する過程で「天皇」と「日本」が誕生したのです。この過程で、「天皇」は「日本」という「帝国」に君臨する君主とされていったのです。

3.漢文時代と英語時代

 さて、この日本史の二期区分を、言語という側面から言い換えると
 漢文・漢字(中国)時代と英語(欧米)時代
 となります。もちろん、現在は「英語」時代です。国家支配の基本となった法律でも、漢字・漢文時代の法は、簡略化されることはあっても「漢字」「漢文」で示されたわけです。明治以降の法も、英語やフランス語、ドイツ語で表記された法典を、そしてその理論を導入し、何とか当時の日本語に翻訳し、膨大な新語を生み出すことで摂取されていったわけです。けっして、ローマ字表記や平仮名だけで表記されたわけではありません。また、平安貴族は、漢詩文を駆使することで、支配者として存在した。
 それが、ペリー以降になると、欧米の言葉、中心は英語ですが、英語ができなければ支配者層には入れない。
 なにしろ、一般の日本人が日本の大学を受験しようと思ったら、ともかく「英語」は必須、「漢文」や「日本史」は不必要という場合が多い。実に、腹立たしい状況が現在も続いています。

4.歴史に「流れ」はあるのか

 さて、ここで次のような疑問が湧いてくるでしょう。
「二期区分なんていっても、要するに前近代と近代に分けるだけのことじゃないか」というものです。とりあえずは「その通りです」と答えておいてもかまわないのですが、少し、弁明しておきたい点があります。
 さきほど、単純に「流れ」と捉えるのでななく、二つの時期を対比するのが本書の視点だと断っておいたことに関連するのですが、
 歴史(人類・社会)は変化するが、それを単純に「進歩」とは捉えない
 ことにします。「前近代の遅れた日本は、ペリーの来航、開国を契機に急速に近代化していった」という単純な区分を提唱しようとするものではありません。もちろん、「経済力」「技術」の飛躍的な進歩を否定するものでありませんが、それを「社会」や「人類」の進歩と断定することは意図的に避けておきます。一般的な表現を借りれば、「進歩史観」を前提とはしません。
 逆に、
 歴史は下降するという見方も拒否
します。「下降史観」というのは、時代とともに「社会」は悪い方向に行くといった考え方です。代表的な「下降史観」としては、平安時代の支配者層に広まった「末法史観」というのがあります。仏教思想の一種で、釈迦の死(入滅)以後、社会は悪くなっていくというものです。釈迦の教え(教説)をみんなが実践し(行)、悟りを得る(証)という「正法」の時代が五〇〇年あるいは一〇〇〇年続き、その後「証」の欠ける「像法」の時代がやってくる。そして、最後に「行」もなくなって「末法」の世になり、この世は破滅に至るのだといった考え方です。「世も末だ」「昔は良かった」「明治はよかった」という類のものです。
 もちろん、明らかに昔のほうがよかったという要素はいくらでもあるでしょう。しかし、「国」「社会」「文化」などを総体として考えるときに、その前提として「下降史観」をとることは大いに疑問です。
 そこで本書では、進歩史観も下降史観も全面否定はしないが、両方とも留保し、採用しないことにします。
 上記の通り、日本史を、「日本」という国の成立の条件から二期に区分するという試みを提示してみようというのが、本書の唯一の目標です。 ただの思いつきなのか、当たり前のことを、ことさら言い立てただけなのか、確信はもてません。
 ただ、このような粗野な試みをあえて提示したことについて、若干の言い訳をさせてください。それは、日ごろからの素朴な不満があってのことだからです。
 古代史にまで遡っていかない近現代史、あるいは近現代史につながらない古代史は、しょせん趣味の世界にとどまるでしょう。まじめに勉強しようという受験生の一般的な傾向として、前近代か近現代のどちらかが好きで、他方は不得意という傾向がはっきりしています。「古代は好きだが近現代はいやだ」、「近現代は好きだが前近代はいやだ」のどちらかにほぼ二分できるのです。これは、教え方にも問題があるのかもしれないと常々思っていました。そこで、「無理にでも古代と近現代に橋を架けてしまえ」というのが、この二期区分だったのです。もちろん、批判に耐えうる形でそれを提示できれば、それこそ自分自身にとっても新しい視点が生まれてくるという、淡い期待もありました。
 一方で、「日本は~」「日本語は~」「伝統を~」と、唐突にモノをいう大人たちに対して、若者がほとんど反応しないという実情が広がってきました。もちろん「天皇」についてもほぼ同じです。たまたま「日本史」を受験科目に選んだので「日本史」をやっているだけという受験生が大多数なのは今も昔も変わらないかもしれませんが、何とか、現在が過去とつながっていることを知ってもらうことから始めなければならない。もっと強調した言い方をすると、社会や国のあり方が変化するという実感のない若者に、国家や社会は変化するということを納得させることからはじめなければならないとも思っていました。
もちろん、唐突に、「日本」について語りだす風潮には怒りさえ感じています。「天皇」や「日本」をどう見るか、そんな立場の違い以前の問題です。そんな折に、一年の最後の授業で、なんとなく「日本史」をまとめる一方法として話したのが本書の内容だったのです。
 「ともかく日本史は、大きく二期に時期区分できる」と切り出してまとめた、というか、強引にまとめてしまっていたというのが正確なところです。したがって、論理的にまだまだ整合性のある主張にはなっていません。なにより、
「いったい中世や近世はどうなってるんだ。あまりにも乱暴じゃないか」
という怒りの声が聞こえてきますが、これに、どう答えるかは実は今後の楽しみなのです。
もちろん、あまりにも多くの検討課題は残しますが、これからも受験生の諸君と、そして多くの皆さんと考えていこうと思います。
 国の始まりがヤマトなら、島の始まりは淡路島
という口上で、映画で愛された寅さんに近づけるように、しかし、寅さんにその科白(せりふ)を吐かせた、作られた神話に基づく「国史」を克服するために、がんばりたいものです。

※2004年1月に出版された『日本史の考え方 河合塾イシカワの東大合格講座!』(講談社現代新書)の「はじめに」および「結論にかえて」より著者の許可を得て改編・転載。無断転載を禁ずる。

石川 晶康(いしかわ あきやす)
河合塾講師
慶應MCC agora講座「石川晶康先生と楽しく学び直す「日本史」 」講師
1946年東京生まれ。國學院大學大学院博士課程満期退学。専門は日本法制史・古文書学。河合塾にて東大受験講座などを担当する、日本史科の人気講師。
著書に『石川日本史B講義の実況中継』(語学春秋社)、『“考える”日本史論述』(河合出版)などがある。

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