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ピックアップレポート

2014年06月10日

前野 隆司『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』

前野隆司
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科 教授

科学技術は人を幸せにしたか?

私は幸福学の研究をしています。もともとは、ロボットや脳科学の研究者でした。「前野さんがなぜ幸福の研究を?」そう聞かれることがあります。一言でいうと、ロボットの幸福よりも、まずは人間の幸福のメカニズムを明らかにしなければ、という思いに駆られたから。

若いころ、私はエンジニアでした。カメラのモーターや、ロボットハンドを作っていました。なぜエンジニアになったのか。それは、子供時代に以下の話をよく聞いたからです。

日本は小さな島国で、資源もない。だから、科学技術の力で、新しいモノを創り、工業の力で国を繁栄させなければならない。モノが豊かになれば、国は豊かになる。

純真な少年だった私はそれを真に受け、エンジニアとして生きることを決めました。企業ではカメラ、大学ではロボットの開発に携わりました。楽しかったし、自分が開発したモーターの入ったカメラが世界中の人に愛用されているのを見ると、これはもう、幸せでした。技術者冥利につきるというものです。

しかし、科学技術は本当に人々を幸せにしたでしょうか。

確かに日本のGDP(国内総生産)は増えました。モノは豊かになりました。少なからず科学技術はこれらに貢献したと考えるべきでしょう。一方で、過度な科学技術の進歩が地球環境問題を導いた側面もあります。公害、原発事故、交通事故など、現代社会が抱える多くの問題は、科学技術の進歩に端を発しているのではないでしょうか。科学技術は、緑の地球を、コンクリートと二酸化炭素で満たしてしまった元凶という見方も吟味すべきではないでしょうか。

実質GDPは、ざっと、五十年で六倍。一方、生活満足度は横ばいです。生活満足度というのは、生活への満足についてアンケートを行った結果です(あとで述べますが、生活満足度は幸福度の指標のひとつとみなされています)。

つまり、人々の幸せ(生活満足度)は、高度成長期(一九五四~一九七三年)だろうと、オイルショック(一九七三~一九七四年)だろうと、バルブ景気(一九八六~一九九一年)だろうと、失われた二十年(一九九一年からの二十年)だろうと、リーマンショック(二〇〇八年)だろうと、あまり変わっていないのです。

私は科学技術の進歩とそれに基づく豊かさの向上こそが人々を幸せにすると信じてエンジニアになったのに、なんと、終戦直後の一九五〇年代と最近とで、幸せ度は変わらないのです。

エンジニアは何をしてきたのか。ショックでした。足をすくわれた思いでした。私がいくらいいカメラやロボットを作っても、人々の幸福に貢献していないかもしれないなんて。

ロボットより人間の心を

こんな不条理な世界の中で、私が幸福の研究をしようと思ったもうひとつの理由は、ロボットの心を作るよりも、人間の心を明らかにすべきだと思ったからです。

私は、大学に移ってから、ロボットの心に関する研究も行ってきました。ロボット研究の目的はふたつあります。「人間社会を便利にするため」と「人間を理解するため」。

前者は、組み立てロボットから家事ロボットまで、ロボットが工場や社会に入ることにより、さまざまな産業に貢献することを目指します。産業界におけるロボットの開発や研究はこちらに含まれます。一方、大学研究者の一部が興味を持っているのは、人に似せてロボットを作ってみることにより、人間を理解するというやり方。

私が行ってきた研究は、後者です。笑ったり喜んだりするロボットの心のアルゴリズムを作ってみることによって、人間が笑ったり喜んだりすることを理解する。そんなやり方を試みてきました。

その結果、笑わせたら笑うロボットは作れました。面白いですよ。笑うロボット。幸せロボットですね。しかし、むなしい。

ロボットは、実は、笑ったふりをしているだけなんです。本当にうれしいわけではない。幸せなわけではない。ようするに、嘘なんです。偽物です。人間理解のためのロボット研究は人間の偽物作りでもあるわけです。

本物の研究をしたい。偽物の幸福を作っていても、本物の幸福には迫れない。

人々は、みんな、幸福になりたいはずだ。もちろん、私も。だったら、ロボットの幸せを通して人の幸せを理解するなどというまどろっこしいことを言っていないで、ダイレクトに、どうすれば人は幸せになれるのか、そのメカニズムの研究をすべきではないか。

だから、幸福の研究をしようと思うようになりました。哲学や心理学の研究とは違って、工学者らしく、直接的に人の役に立つことを中心に据えた幸福学を目指すことにしました。工学とは、物理学や数学などの基礎学問の成果を、人々の役に立つ形で応用する分野です。物理学や数学の成果は、人々の知的好奇心を刺激するし、人類の知の集積には寄与しますが、そのままでは役に立ちません。哲学や心理学における幸福研究の成果も、人の心についての知の集積にはなりますが、直接人々の役に立つものではありません。そこで、人々が実際に活かせる幸福学をやろう。そんな思いに至ったのです。

哲学や心理学における幸福研究とは異なり、幸福を体系として理解し、人々の幸福度向上に役立てることを目指しています。

幸せ研究を体系化する

後で述べますが、これまでの幸福学はバラバラで、それぞれの研究者が思い思いにそれぞれの研究成果を蓄積していました。全体統合的ではなかった。もちろん、学問の進歩のためにはそのような狭く深くというやり方は有効です。しかし、その成果を社会で活かすためには不十分です。

たくさんの研究者による多くの幸せ研究を体系化したい。そして、幸せになるための人間の心のメカニズム全体を明らかにし、それを人々にお伝えしたい。バラバラではなく、体系化されているから、老若男女、誰にでも理解でき、誰もが明確なやり方で正しく幸せを目指せる、というようにしたい。究極的には、世界中の人々が、争ったり妬んだりしないで、みんなで幸せを目指すような、明日の世界に貢献したい。

また、仕事にも活かせるようにしたい。たとえば、人々がどうなれば幸せなのかがわかれば、マーケティングに活かせます。これまでのマーケティングは、人々が欲するものを提供しようとしてきましたが、一歩進んで、「人々自身は自分が欲しているということすら気づいていないけれども、それを提供すると実は人々が幸せになれる」といったような幸福貢献型の製品やサービスが作れるかもしれない。使っていると、思わず幸せになってしまう、というような。

製品やサービスの開発の際に、マーケットイン、ユーザーエクスペリエンス、ニーズ重視設計、人間中心設計など、顧客の声を聞いて設計・開発をしようという考え方が現代の大きな流れとなっています。しかし、まだまだ、顧客を単に群としての顧客と考えていて、個性的で繊細な心を持った生きる人間とは捉えていないように思います。真の人間中心設計は、それぞれの人間の多様な幸福に対して草の根的に直接響くものでなければならない。だとすると、やはり、幸福学を体系化し、その知見を製品やサービスの設計・開発に活かさなければならない。そして、これまで、人々の幸せに直接はつながっていなかった製品・サービスの開発を、幸せに資するものにしていかねばならない。

もっといえば、世界中のあらゆる仕事はそもそもみんな幸せにつながっているべきではないか。私たちは、それぞれの仕事がどのように人々の幸せにつながっているのか、そのメカニズムを理解し実践することに対し、これまであまりに無頓着だったのではないか。それぞれの仕事が、まわりまわって、社会と自分をどのように幸せにするのか、その仕組みを皆がもっと理解すべきではないか。もっと、みんなが幸せになるように、仕組みを作り込んでいくべきではないか。

つまり、人間それぞれの幸福追求のために、そして、幸せにつながる多様なビジネスのために。そんなさまざまな場で有益な、人類にとって役に立つ学問としての体系的幸福学。全体として、世界のみんなのことを考える学問。そんな、これまでにない実践的な学問が必要なのではないか。そういう思いで幸福学研究を行っています。本書では、その基本について述べたいと思います。

幸せは多様か、単純か?

根本に立ち返ってみましょう。そもそも、幸せって、何でしょう?

私は、幸せの研究をしている関係上、「幸せって、何だと思いますか?」と、いろいろな方にお聞きすることがあります。すると、面白いことに、百人百様の答えが返ってきます。

「十分なお金があること」
「夢をかなえること」
「好きな人と一緒にいられること」
「楽しいイベントがたくさんあること」
「平穏で何もないこと」
「今を思いっきり生きること」
「死ぬ瞬間に、ああ、いい人生だったと思えること」
「そもそも人それぞれなので、定義できない」

「幸せ」の面白いところは、誰にでも身近なテーマだということ。みんな一度は幸せについて考えたことがあるのではないでしょうか。人それぞれ、みんな、様々な考えを持っておられる。みんな幸福学者です。しかし、幸福は、本当にそんなに多様なのでしょうか。バラバラで、人それぞれなのでしょうか。

ロシアの文豪トルストイは、小説『アンナ・カレーニナ』の冒頭で、
「幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭は不幸の相もさまざまである」
と書きました。確かに、幸福な家庭を想像してみると、暖かい家に家族みんなが笑顔で平穏に過ごしているようなイメージが想い浮かびます。一方、不幸は多様です。悲しみ、苦しみ、怒り、嫉妬、憎しみ、あきらめ。いろいろあります。

幸福と不幸は、一見、反意語のようですが、非対称なのです。

では、幸せの形は、多様ではなく、一つなのでしょうか。

私は、どちらも正しいと思います。詳しく見ていくと、人それぞれの幸せの形はバラバラだけれども、人間は進化によりデザインされた生物である以上、誰もが共有できる、統合された幸せのイメージというのはあるのではないか。人々はまだその統合イメージを明確な形で共有していないから、争ったり、妬んだり、憎んだり、悲しんだりを繰り返しているのではないか。世界共通の幸せの全体像を学問として明らかにし、みんな(あらゆる人々)がそれを共有できれば、みんながもっと幸せになれるのではないか。

こんなことを書くと「万人の救済」を目指す宗教の話みたいに思われるかもしれませんが、そうではなく、幸せになるための基本メカニズムを学問的に明らかにし、それをもっとみんなに広めることができないだろうか、ということなんです。

幸せの基本メカニズム

想像してみてください。世界中のみんなが幸せな世界。戦争も、争いも、憎しみも、苦しみもない世界。

ただ平穏で退屈な世界、ということではありません。競争はある。

しかし、それは各人が生き生きと自分の良さや自分が作ったモノやコトの良さを比べて切磋琢磨しているのであって、決して人をうぬぼれとねたみに分けるためではない。

幸福の形は個人個人異なるが、そこに至るメカニズムの共通性を皆が知恵として共有している世界。尊敬しあいながら、大いに競争もする世界。

繰り返しますが、私は「幸せは多様だが、しかし、基本メカニズムは単純なのではないか」という立場です。画一的ではなく、多様性をベースとする共通基本メカニズムを共有し、共感する世界を築けるのではないか。人間の脳が幸せと感じるための基本的なメカニズムを明らかにして、それをもとに、全体幸福への道筋を明確化したい。ひとりの学者兼活動家として。

そんなことは無理だ。世の中には不幸があふれている。誰かが幸せになれば、その反動で、誰かは不幸せになる。そう考える方もおられるかもしれません。

確かに、過去の幸福学の知見によると、人は「他人との比較で幸福と感じる傾向」を持っています。このため、放っておくと、不幸はなくなりません。しかし、後で詳しく述べますが、「人との比較による幸せ」は、長続きしない幸せであることが知られています。そんな幸せを目指すのは、人生の時間の無駄です。

あるいは、脳の認知特性から幸せを論じることに違和感を覚える方もおられるかもしれません。人の心は、そんなふうに測れるものではない。もっと深遠で、人それぞれ多様に生き生きと暮らしているのであって、杓子定規に論じられるものではない。

だからこそ、体系的幸福学なのです。人類の現代の知を結集して、幸福に生きるとはどういうことなのか、認知科学や心理学を援用して、科学的に明らかにしたい。

人は、一人ひとり、多様で個性的だから、それぞれの良さを生かしながらそれぞれの幸せを見つけていってほしい。そのためにこそ、幸せの基本メカニズムを明らかにし、それを皆で共有したい。そうすれば、誰もが幸せになれるポテンシャルを持っている。そう思うのです。

幸福はダイエットと似ている

ダイエットの基本は「気合いでやせること」ではありません。最初に、やせるメカニズムを理解することが大切です。

「筋肉を作れば代謝が増える」というからだの特性の理解。「人間はついつい食べ過ぎる」という脳の特性の理解。「急にやせるとリバウンドする」というからだと脳の相互作用の理解。「炭水化物は脂肪に変わる」という科学的事実の理解。システムとしてダイエットの全体像を理解してから実践すればやせられます。

しかし、一部しか理解していなかったり、表面的にしか理解していなかったりすると、挫折したり、不健康で不適切なダイエットをしたり、精神的に疲れたりします。もちろん、知識だけではぜんぜんだめで、実践が極めて重要です。体質はそれぞれ違いますので、ダイエット法の向き不向きもある。だから、試してみないとどれが自分に合うかわからない。

知識と実践のバランス。幸福とダイエットはよく似ています。

幸福のメカニズムを理解しないまま独り合点し、間違った幸福を目指した結果、リバウンドしてより不幸になったり。一部の幸福だけを目指した挙句、バランスが悪くて長続きしなかったり。そのうち幸福になるだろうと幸福についてたかをくくっていたら、どんどん不幸が積み重なっていったり。どうせ幸福は人それぞれで、みんなに合う幸福法なんてあるわけがない、と放っておいたために幸福に縁がなかったり。

私も、半世紀も生きているといろんなことがありました。子供のころのいじめ。けんか。嫌がらせ。孤独。挫折。失恋。病気。わかってもらえないことの悩み。うらぎり。自信喪失。不条理な事故。人間関係の悩み。そして、大切な人との永遠の別れ。

なんて、人生は不幸に満ちているのでしょう。どれだけ、泣いたことでしょう。どれだけ、理解されないことのやるせなさに、心の中で叫んだことでしょう。どれだけ、うつむいて、進むべき方向を見失っていたことでしょう。

しかし、今は幸せです。いま思えば、長い時間をかけて、本書で述べるような、幸せの四つの因子を見つけ、自分のものにしてきたから。

幸せのメカニズムを知らないと、ひとつひとつ不幸を体験し、それらをひとつひとつ克服しなければ、幸福の階段を上っていくことはできません。だから、時間がかかります。何十年もかかります。いや、何十年かけても、たどり着かないこともあります。

しかし、幸せの全体構造を理解していたら。そうです。幸せな人生への近道だと思うのです。だから、幸福学のエッセンスについて、わかりやすく、具体的にお伝えしたい。これが本書の目的です。

本書は、誰にでもわかる学術書です。一般の方にも学術界の方にも幸福学の現在を的確に知っていただくための書を目指して執筆しました。本書を読むことによって、幸福のメカニズムを体系として理解してもらえればと願っています。私は、人々のあらゆる営みは幸せにつながるべきだと思います。本書が、ものごとと幸せがどのようにつながるべきかの共通認識の基盤となり、皆で幸福社会を創っていくための土台になれば、こんなにうれしいことはありません。

講談社現代新書『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』序章「役に立つ幸福学とは」より著者と出版社の許可を得て転載。無断転載を禁ずる。

前野隆司(まえの・たかし)
前野隆司

1984年東京工業大学工学部機械工学科卒業、1986年東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、同年キヤノン株式会社入社、1993年博士(工学)学位取得(東京工業大学)、1995年慶應義塾大学理工学部専任講師、同助教授、同教授を経て2008年よりSDM研究科教授。2011年4月よりSDM研究科委員長。この間、1990年-1992年カリフォルニア大学バークレー校Visiting Industrial Fellow、2001年ハーバード大学Visiting Professor。
主な著書に『システム×デザイン思考で世界を変える 慶應SDM「イノベーションのつくり方」』(日経BP社)、『思考脳力のつくり方 仕事と人生を革新する四つの思考法』(角川oneテーマ21)、『「死ぬのが怖い」とはどういうことか』(講談社)などがある。
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