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為末 大 ・ 中原 淳『仕事人生のリセットボタン――転機のレッスン』

2017年09月12日

中原 淳
東京大学 大学総合教育研究センター准教授

はじめに

嗚呼、このままで本当にいいのだろうか。
もしも、自分の仕事人生にも「リセットボタン」があったとしたら。
昔懐かしのゲーム機にあったような「リセットボタン」を今押せたとしたら、どんなにいいだろうに。

本書『仕事人生のリセットボタン――転機のレッスン』は、今を懸命に生きる三〇代以上のビジネスパーソンが、長期化する自らの仕事人生をいきいきと過ごすために役立てることのできるヒントが書かれている本です。転機につながるような人生の出来事をとらえ、いかに、自らを「リセット」するのか。本書では、仕事人生のリセットボタンに関する機徴が書かれています。

現在、かぞえで四二歳になる著者のひとりである、私中原も、まさにその真っ只中でモヤモヤする人間のひとりです。私は人事、とりわけ人材開発を専門とする研究者で、「働くビジネスパーソンの成長」を研究している人間です。

本書は、その私がナヴィゲーターとなって、一流のアスリートである為末大さんと、ともに語らい、執筆されました。一流のスポーツ選手と研究者のとりあわせ。読者の方々の中には異色の組みあわせに面喰らっている方もいらっしゃるかもしれません。ここでは、そのいきさつと理由について書いてみたいと思います。

今、私たちは、有史以来、誰も経験したことがない「未曾有の時代」を生きています。

それは「健康寿命の延び」と「年金などの社会保障の頼りなさ」の二つが重なるところに広がる「光景」です。要するに、私たちは、生涯年齢や健康寿命が延びているのにもかかわらず、あまり頼りにならない社会保障のもとで、なるべく長いあいだ仕事と向きあい、働きながら生きていかなければならない――そういう時代のいちシーン(光景)を生きているのです。

ひと昔だったら、定年は「五五歳」でした。それが「六〇歳」になり、いまやあれよあれよ、という間に「六五歳」。あげくの果てには高齢者の定義を「七五歳以上」に変えようという談話も出てきているくらいです。このままいけば定年は七五歳になり、はたまた、なし崩し的に「定年レス(定年がない)」になることを、うすうす感じていらっしゃる方も、少なくないのではないでしょうか。

「定年レス」というのは多少口がすべったかもしれません。しかし、確実に言えることは、前時代と比較して、私たちには「長期化した仕事人生」を生きていく知恵とスキルが、必要であるということです。このことだけは、おそらく間違いありません。

「長期化していく仕事人生」にはもうひとつの困難が重なります。

もうひとつの困難とは私たちのつとめる多くの会社・組織が、私たちの仕事人生を右肩上がりで確保していくことはできない、という事実です。我が国では、一部の大企業において、年功序列賃金、終身雇用という雇用慣行が長く続いてきましたが、これとて、いまや「陰り」が見えてきています。

企業の競争環境は日に日に激化する一方、国内需要は伸び悩み、企業は活路をもとめて海外や新規市場を開拓しようとしています。

企業は、若手の早期抜擢、経営陣の入れ替えなどを行いながら、その活性度を高めて生き残りをかけようとしています。組織には「役職定年制度」や「再雇用制度」が導入され、五〇歳以上のビジネスパーソンに「受難」の時代が訪れようとしています。

考えてみれば、日本は、これまで非常に特異な雇用慣行を維持していました。年功序列に終身雇用。これらの制度を通して、私たちの組織は、「従業員の仕事人生を右肩上がりで確保」してくれていたのです。

グローバルにみれば、これは非常に希有なことです。欧米の組織では、「組織が生涯の仕事人生を丸抱えする」という考え方は皆無ですし、一般には、同職種同ポジションであるならば、四〇歳以上で右肩上がりで賃金があがることはありません。対して日本においては特異に「右肩上がりの仕事人生」が保証されていました。

しかし、日本の市場と人口が右肩上がりで伸びていた時代は、もう終わりました。市場がグローバル化する中、日本企業も、重い腰をあげ、自らの人材マネジメントシステムをグローバルスタンダードに設定しはじめています。かくして、「従業員の仕事人生を右肩上がりで保証すること」の限界が訪れました。

もちろん多くの企業では、手をこまねいているわけではありません。制度の存在を通知したり、今後のキャリアや給与の見通しを四〇代から少しずつ本人に自覚して貰えるようにしています。

しかし、四〇代は「働き盛り」の時代。いくら、会社や組織が、そのような通知をしようとも、「自分には関係のないもの」とか「自分には訪れることはないもの」と考え、放置しておく人が多いものです。

近い将来私たちの「戸惑い」は、ここに生まれます。

私たちの多くは、ある日、突然、「右肩上がりのエスカレータの先」に視界不良な世界がひらけていることを知り、茫然自失とするのです。

ひと昔前まで、我が国の組織は、私たちの仕事人生を「丸抱え」してくれる時代がありました。専門用語的には、組織における仕事人生と個人のキャリアがぴったり一致するので「組織キャリア(organizational career)の時代」とも呼ばれています。
 
私たちは「右肩上がりの単線エスカレータに乗って組織キャリアを全うできる時代」に生きているのではない。むしろ「右肩上がりの単線エスカレータ」は多くの人々にとって存在してはいない。

途中で「踊り場」があったり、「方向転換」があったり、私たちは「立体的に交差するエスカレータ」にのって、日々、自分の仕事人生をどのように構築していくべきかを考えていかなければならないのです。こうした仕事人生のことを専門用語では「バウンダリーレスキャリア(境界のないキャリア)」とか「プロティアンキャリア(変幻自在のキャリア)」といったりします。

むろん、人々の中には、このことによって生まれた自由に心躍らせる方も少なくありません。これまで、組織キャリアの時代には、ひとつの企業に就職することは、一生、その企業に奉職することを意味しました。入社することは「家族になること」のようなものであり、いったん「メンバーシップ」を獲得した組織に、ひとは縛られて生きていました。

しかし、もはや、そうしたがんじがらめの関係は、企業と個人にはありません。むしろ、組織と個人の関係は「仮初めの契約」のようになっています。組織と個人が自由に生きられる今、長い仕事人生を、いかにして生きようかと心躍らせているひともいます。いずれにしても、「右肩上がりの単線エスカレータ」は次第にその存在があやしくなっています。途中で「踊り場」があったり、「方向転換」があったり、私たちは「立体的に交差するエスカレータ」にのって、仕事人生を全うしなくてはなりません。

その際に、重要になるのが、本書のタイトルにもある「リセットボタン」です。

「リセットボタン」と聞いて懐かしさを感じる方は、おそらく、今三〇代から四〇代以上の方々でしょう。かつて、いっせいを風靡したファミリーコンピュータ(任天堂)の筐体に、それは付属していました。

リセットボタンは、ゲームを本当にやめてしまうために存在しているのではありません。それなら「電源スイッチ」を切ることで可能になります。リセットボタンは、ゲームを「RE-SET(再びはじめなおす)」するためのボタンです。いわば、ゲームを「仕事人生」にたとえるのならば、その途上において、「再びはじめなおすこと」を可能にするのが、本書でいうところの「リセットボタン」の含意です。

リセットボタンとは「現在の会社を辞めること」とイコールではありません。それは「現在の会社で働くことの意味や意義をいったん立ち止まって考え直すこと」です。リセットボタンは、必ずしもネガティブな思いを個人にもたらすためのものでもありません。それは「将来の可能性」を感じることでもあります。

私たちは「立体的に交差するエスカレータ」のなかで、時に、踊り場にでて休み、時に方向転換して生きることが求められています。その際には、仕事人生というゲームをいったん「リセット」することになるのです。自分の来し方をいったん振り返り、今を見つめ、将来を構想する。

長期化する仕事人生の時代には、「リセットボタン」とうまくつきあい、踊り場で休み、よき方向に転換していくことが求められるようになります。

あなたは、よいタイミングで「リセットボタン」を押せそうですか?
本書を傍らに、そのタイミングを考える「贅沢な時間」を持ってみませんか?

 

仕事人生のリセットボタン――転機のレッスン』の序章を著者と出版社の許可を得て掲載しました。無断転載を禁じます。

仕事人生のリセットボタン――転機のレッスン
著:為末 大, 中原 淳; 出版社:筑摩書房; 発行年月:2017年7月; 本体価格:886円
中原 淳(なかはら・じゅん)
中原 淳

  • 東京大学 大学総合教育研究センター准教授

東京大学大学院 学際情報学府准教授(兼任)。
北海道旭川市生まれ。東京大学教育学部、大阪大学大学院人間科学研究科を経て、文部科学省メディア教育開発センター助手、米国・マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学 大学総合教育研究センター講師、2006年より現職。2003年、大阪大学にて博士号取得。
専門は教育学(教育工学)。「大人の学びを科学する」をテーマに、教育学の観点から、企業・組織における人々の学習・成長について研究している。

研究の詳細はBlog:NAKAHARA-LAB.NET

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