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駒田 陽子「睡眠負債と社会的ジェットラグ」

2019年04月09日

駒田 陽子
明治薬科大学リベラルアーツ准教授

睡眠負債(sleep debt)が注目されています。
睡眠負債は、スタンフォード大学のデメント博士が1990年代の研究成果をもとに提唱した概念で、少しの睡眠不足であっても数日にわたって繰り返されると、本人が自覚しないまま心身の健康にさまざまな影響が生ずることを指しています1

睡眠負債や睡眠の問題がもたらす経済損失は、日本では約15兆円(GDP比で2.92%)にのぼると試算されています2。GDP比3%というと、日本では教育費の予算と同じ規模ですから、日本人がきちんと睡眠をとれば(睡眠をとるだけで)、子どもたちへの教育投資を倍にできるということを意味しています。

眠りの良し悪しが翌日の仕事の効率や気分に関連することは、多くの皆さんが経験的に感じていらっしゃると思います。ウェアラブルデバイスやスマホアプリを用いて、日々の睡眠の状態をモニター、管理しされている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そしてもしかしたら、こんなふうにも、考えている方はいらっしゃいませんか?

「睡眠が短くても、質の高い睡眠がとれていればよいのでは」
「平日はなかなか睡眠時間を確保できないので、週末にたくさん寝ておこう」

しかし実は、自分なりの睡眠不足対策がかえって体調不良や疲労感の原因になっている可能性があるのです。本日はこのことをご説明したいと思います。

時間より質?

一つ目の「睡眠時間が短くても、質の高い睡眠がとれていればよい」という考えは、「深い睡眠がとれていれば、睡眠時間は短くてもよい」、「睡眠時間を短くしたいので、睡眠の質を上げる方法を教えてほしい」という誤解につながっていきます。しかし残念ながら、睡眠時間の短さを睡眠の質でカバーすることはできません。

疲労回復や脳の老廃物除去には、深い睡眠(ノンレム睡眠徐波睡眠)に効果がありますが、頭の整理や記憶の定着には、比較的浅い睡眠(ノンレム睡眠第2段階)やレム睡眠が重要であることがわかっています。脳の疲労回復と頭の整理の両方がされてこそ、質の高い睡眠といえます。つまり、一晩の眠りの中で、様々な種類の睡眠をとることが必要で、質の高い睡眠は睡眠時間を確保して始めて実現するものなのです。

睡眠負債は返済できるか?

二つ目の「平日はなかなか睡眠時間を確保できないので、週末にたくさん寝ておこう」という考えは、寝られるときに寝ることで、睡眠負債を返済しよう、という考えです。日常的にみられる対処法ですが、これは、社会的ジェットラグ(social jetlag)という新たな問題を引き起こします3

社会的ジェットラグとは、私たちの体内時計が社会的な時間と合わないことによって生ずる、時差ボケのような状態を指します。体内時計には個人差がありますが、これに対して社会のタイムスケジュールは画一的で、多くの人は仕事や学校など社会の要請に合わせて生活しています。そのため平日には睡眠時間が短縮しがちで、平日の睡眠負債を解消しようとして、週末の朝に朝寝坊(いわゆる寝だめ)をします。こうした平日と休日で睡眠のタイミングが異なる状況は、週末の夜に数時間の時差がある地域に西向き飛行をして月曜日の朝に戻ってくるようなもの。そのためにジェットラグ(jet lag: 時差障害)が生ずるのと同じことなのです。

考えてみてください。
毎週毎週、時差のある海外出張を繰り返さなくてはいけないとしたら、私たちの体内時計にはかなり負荷がかかると思いませんか。社会的ジェットラグも同様です。週末わずか1~2時間の体内時計のずれであっても、気分の落ち込みや昼間のパフォーマンス低下、肥満、生活習慣病につながることが明らかになっています。

MCCマガジン読者の皆さんは、いい仕事をより多くこなしたい、充実した人生を送りたいと願っておられることでしょう。しかしそのために睡眠時間を削って、睡眠負債や社会的ジェットラグの状態に陥ってしまっては、かえって仕事の生産性、創造性、喜びは低下してしまいます。

佐藤可士和さんのアイデアの秘訣も

以前、アートディレクターの佐藤可士和さんが「素晴らしいデザインを生み出すためにやっていることや学んでいることはありますか?」という若手クリエーターからの質問に対して、「きちんと寝るようにしている」とお答えになっていました。

睡眠の研究者が「規則正しい生活をしましょう」、「十分な睡眠をとりましょう」と100回言うよりも説得力があるなあ・・・と感じました。不夜城のような仕事場ではなく、夜はきちんと寝てコンディションを整えることが良い仕事につながるということです。他にもマゾンCEOジェフ・ベゾス氏やハフィントンポストのアリアナ・ハフィントン氏も、睡眠の大切さを著書の中で繰り返し書かれています。

「忙しいから睡眠がとれない」のではなく「睡眠がとれていないから忙しくなってしまう」と発想の転換をすることが、世界有数の睡眠負債国4、日本では必要なのだと思います。

睡眠負債の返済方法は?

「そうは言っても」という皆さんの声も聞こえてきそうです。

「自分はトップレベルの人とは違う」
「寝ようと思ってはいるが、それができないから困っているのだ」
「寝だめできないというなら、どうやって睡眠負債を返済するのか」

そんな声はいつも聞こえます。そこで、現実的にとれる対策として、私がお勧めしたいのは次の3つです。

まず一つ目は、もし週末に2~3時間朝寝坊をしているようなら、それを平日に20~30分ずつ割り振るということです。まとめて返済するのではなく、「ご利用は計画的に」することで、睡眠負債と社会的ジェットラグを防止することができます。

それでも平日は十分に眠れず、週末にたくさん眠りたい場合、二つ目の工夫として、朝寝坊をして睡眠を補うのではなく、朝はいつもと同じ時間に起きて太陽の光を浴び、朝食をとって活動をしてから昼寝で睡眠を補うことです。朝、明るい光を浴びて朝食をとることで、体内時計(脳にある中枢時計と内臓にある末梢時計)が作動して、社会的ジェットラグを防ぐことができます。昼寝のタイミングや長さは、「その夜にしっかり眠れる程度」を心がけてください。

三つ目は、屋外で過ごす機会を増やすということです。「外?」と思われるかもしれませんが、常に人工照明の下で過ごしている私たちは、昼間は受光量が足りず、一方で夜は光を浴びすぎています。コロラド大学の研究グループは、被験者に週末キャンプをしてもらい、昼夜を通して受けた光の量、睡眠、メラトニン分泌量を測定しました5。メラトニンは、睡眠を促す作用をもつ脳の松果体から分泌されるホルモンです。普段の生活と比べて、キャンプ中には日中と夜の受光量のメリハリが大きく、メラトニン開始時刻・終了時刻が早まり、睡眠の時間帯が前進しました。一日、外で過ごした日はよく眠れたという経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。外にいて疲れたという理由だけではなかったのです。体内時計が自然の明暗環境に同調し、昼間はしっかり目覚め、夜はぐっすり眠るという状態になるのです。キャンプによる体内時計の前進効果は夜型タイプの人ほど大きいことも示されており、週末に夜ふかし朝寝坊になってしまいやすい方には特にキャンプはお勧めです。社会的ジェットラグを防いで、翌週の体調不調を低減できるでしょう。

体内時計は変化する

もうひとつ加えると、体内時計には個人差がある、と先ほど書きましたが、同じ個人でも年齢によって変化することもわかっています。

小学生の頃は早寝早起きができますが、思春期から20代前半にかけて体内時計のリズムは夜型化していきます。その後は加齢にともなって、朝型方向に動きます。つまり、中高生から社会人になりたての頃は、夜、早く寝ようと思っても寝つけませんし、朝早起きするのは生物学的に難しいのです。一方で、社会的に求められるスケジュールは変わらないか、むしろ早いですよね。育ち盛りの中高生には、大人よりも長い睡眠が必要ですが、夜型化するという体内時計の特性のために、睡眠負債と社会的ジェットラグがより深刻になっています。こうしたことからアメリカでは、始業時刻を見直す取り組み(later school start times)が広がっており、中高の始業時刻を遅らせることで生徒の知力、体力、気力が改善したというエビデンスが集積されています。日本でも、慶應大学・一橋大学等の学生(瀧本ゼミ政策分析パート)が始業時刻適正化プロジェクトを立ち上げて活動しています6。このように、社会システムを見直していくことも必要だと考えています。

さいごに余談ですが、睡眠負債を提唱したデメント先生は、おおらかな先生で、デメント先生の元に留学された阿住一雄先生(東京大学)に対して「demenzのdement(デメンツ-認知症-のデメント)と覚えてくれ」と自己紹介されたそうです。それを聞いた阿住先生も後年、「アズミという漢字はいろいろあるが、“阿保が住む”と覚えてくれ。本当は阿弥陀様が住むと言いたいところだけどね。」などとおっしゃっていました。私もこれに倣い、ある機会に「日本でsleepの研究をやっているkomadaです。coma(昏睡状態)と呼んで下さい」と言ってみましたところ、「コマ、コマ」と声をかけてもらえました(笑)。

睡眠には生命現象のもつ根源的な力強さがあります。デメント先生は私たちに、睡眠を活かすことで、私たちの日々の幸せはより大きくより豊かなものになりますよ、という大きなメッセージを伝えようとされているのではないかと私は感じています。

【参考文献】

  1. 『睡眠負債-ちょっと寝不足が命を縮める』NHKスペシャル取材班(朝日新書)
  2. Hafner M, Stepanek M, Taylor J, Troxel WM, van Stolk C. Why Sleep Matters-The Economic Costs of Insufficient Sleep: A Cross-Country Comparative Analysis. Rand Health Q. 2017 6: 11. eCollection
  3. Wittmann M, Dinich J, Merrow M, Roenneberg T. Social jetlag: misalignment of biological and social time. Chronobiol Int. 2006 23: 497-509
  4. http://www.oecd.org/gender/data/(2019年1月アクセス)
  5. Wright KP Jr, McHill AW, Birks BR, Griffin BR, Rusterholz T, Chinoy ED. Entrainment of the human circadian clock to the natural light-dark cycle. Curr Biol. 2013 23: 1554-8.
  6. https://t-semi.jp/(2019年1月アクセス)
駒田 陽子(こまだ・ようこ)
  • 明治薬科大学リベラルアーツ准教授
早稲田大学 第一文学部哲学科卒業。早稲田大学大学院 人間科学研究科 生命科学専攻修了。博士(人間科学)。日本学術振興会 特別研究員、国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 特別研究員、東京医科大学睡眠学講座 准教授などを経て、2017年より現職。日本睡眠学会評議員、日本時間生物学会評議員。

主要著書

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