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都倉 武之「慶應義塾と日本ラグビーの発祥」

2022年01月11日

都倉武之
福沢研究センター准教授

正月はスポーツの季節でもある。毎年、箱根駅伝、サッカー天皇杯、有馬記念などさまざま全国大会や決勝戦、大きな試合が開催され、新年を盛り上げる。全国大学ラグビーフットボール選手権大会決勝もそのひとつだ。

慶應義塾と日本ラグビーの発祥

慶應義塾の下田グラウンドに、日本ラグビー蹴球発祥記念碑が建立されている。その由来は1899年秋、慶應義塾の英語教師 E・B・クラークが、同じケンブリッジ大学出身の田中銀之助を通訳兼コーチとして塾生にラグビーを教えたことが日本人によるラグビープレーの原点だからである。

ところで、2019年9月5日、横浜の山下町公園に「ラグビー発祥地 横浜」記念 碑というものが建立された。1866年横浜フットボールクラブ(現YC&AC)の設立を「日本のラグビー発祥」とするもので、しかもそれがアジア最古のラグビークラブなのだという。このことについての報道は一律に、1899年に慶應で始まったというのが「定説であったが」新研究で覆されたと、今までの「慶應ルーツ説」を誤りであったかのように紹介した。これは不本意である。

外国人居留地にラグビープレイヤーがいたことは百も承知である。なぜなら、慶應でできたラグビーチームは、日本中の学校で誰も対戦相手がいなかったので、当初はもっぱら外国人チームと対戦していたからだ。1901年、横浜のYC&ACとの最初の対戦は5対35の大敗であったが、徐々に力を付け、1908年に12対0で初勝利を味わっている。これ以外にも神戸のKR&ACが対戦相手であった。当然、外国人が居留地でラグビーをしていることを知っていたわけだ。

しかし日本人の対戦相手はなかなか育たず、一度始まっても定着しないまま10年が経過する。慶應の選手たちは、ラグビーの普及に腐心し、元オールブラックス主将の著作を参考に慶應義塾蹴球部編『ラグビー式フットボール』と題する案内書を刊行。さらに他校を直接勧誘し指導に赴いて、ようやく初めての対戦チームとして育ったのが京都・第三高等学校であった。日本初の対校試合が行われたのは1911年4月8日のことで、以後同志社、早稲田などが続いた。日本人が競技を開始し、そして普及していった原点として、慶應義塾が日本におけるラグビー発祥のルーツであることに揺るぎはないと確信する。


福澤諭吉記念慶應義塾史展示館では現在、展覧会「慶應義塾福沢研究センター新収資料展」を開催中です。

お知らせ

  • 会期:開催中~2022年1月22日(土)
  • 開館時間:10:00~18:00

 

福澤研究センター通信」(第31号)より編集局および著者の許可を得て一部加筆し転載しています。無断転載を禁じます。

都倉 武之(とくら・たけゆき)
  • 福沢研究センター准教授
1979年生まれ。2002年3月慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2004年3月慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。2004年4月武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部助手。2006年10月武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部専任講師。2007年3月慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。2007年10月慶應義塾福澤研究センター専任講師。2011年10月慶應義塾福澤研究センター准教授。
専攻は近代日本政治史・政治思想史、メディア史。
主な著書

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