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ピックアップレポート

2008年01月08日

中野 泰志「バリアフリー/ユニバーサル・デザイン(UD)―障害を通した人間理解とQOL向上を目指したチャレンジ―」

中野 泰志 慶應義塾大学経済学部教授

1. 障害のある人や高齢者は運が悪いのか?

 ノーマライゼーションの原理を体系化したベンクト・ニィリエ(1998)の著書の中にスウェーデンの詩人エーリック・リンドグレーンが書いた詩集「道なき人」の引用があります。

かけがえなく生まれてきたのに、
運悪く生まれてきたと信じるようになってしまう

 この詩は障害のある子供達の境遇を的確に描き出しているのではないでしょうか。子供は皆、かけがえなく生まれてきます。しかし、心身の機能が平均的な人より低下しているというだけで、多くの人はその子を祝福する前に不幸だと思わざるを得ないのです。では、なぜ、不幸だと思わざるを得ないかというと、障害のある人が生活していくには、今の世の中の「環境」が十分に成熟していないからではないでしょうか。多くの人は、障害があると生活をするのも、勉強をするのも、職業に就くのも、結婚をするのも不利になるだろうという暗黙の信念を持って(持たされて)いるのではないでしょうか。つまり、現代の社会は、障害があるとノーマルな生活が出来ないと思わざるを得ないような環境だということです。厳しい環境に置かれているのは、障害のある人だけではありません。その家族、特に、母親は、障害のある子供を産んだのを自分の責任ではないかと考えてしまい、自分を責めてしまうことが少なくないのです。
 なぜ、かけがえのない生命の誕生を、また、そのかけがえのない生命を守り、この世に送り出し、寄り添っている母親の偉業を讃え、社会の中で育むことができないのでしょうか?

2. 障害はどこにあるのか?

 障害は、見えない/見えにくい、聞こえない/聞こえにくい、自分の体をうまく動かせない等のimpairment(心身の機能の障害)だと捉えられることが多いと思います。そのため、障害は障害者の中にあると考えられがちです。しかし、日常生活を考えた場合、impairment自体よりも、食事や排泄等のセルフケア、コミュニケーション、読み書き、移動等の活動が制限されたり、演劇等の文化的活動や就労等の社会的活動への参加が制約を受けたりすることの方が問題なのではないでしょうか。つまり、障害者の中に障害があるのではなく、活動が制限されたり、参加が制約されたりすることが障害だという発想の転換が必要になってきます。
 では、活動の制限や参加の制約は何によって決まるのでしょうか? 従来、障害の重さは、impairmentの程度、すなわち、平均的心身状態からの偏差(deviation)で語られてきました。しかし、impairmentの程度だけで、活動の制限や参加の制約が決まるわけではありません。例えば、全盲であっても、日常生活訓練を積極的に受けて自立しようとする意欲を持ち、訓練を受けに行くことに賛成してくれる家族や友人や訓練を提供してくれる施設や専門家があり、音声フィードバックのある家電製品等の道具や点字ブロック(視覚障害者用誘導ブロック)やホームからの転落防止扉等のインフラが整備され、障害のある人を差別するような意識がないような環境があればよいわけです。逆に、例えば、軽度の難聴でも、障害のある状態を受け入れることができなくて、補聴器等の道具を利用したり、リハビリテーションを受けることができなかったり、家族の理解や協力が得られなかったり、適切な訓練機関が近所になかったりすることもあり得ます。また、この環境は、時代や地域等の影響を受け、ダイナミックに変化します。つまり、次式に示すように、障害とは、個人の心身の特性と環境(物理的環境だけでなく、人の意識や社会システムを含めた広義の環境)との相互作用によって生じる「状況」なのです。
    障害(状況)=f(個人の特性、環境)

3. 人と環境との相補性の観点からバリアフリー・UDにアプローチ

 この「障害のある状況」、すなわち、「バリア」に遭遇する可能性は誰にでもあります。まず、誰もが不可避なのは、老化によって心身の機能低下が起こり遭遇する「バリア」です。例えば、老視が始まると、家電製品等の小さな表示や液晶画面等が見えにくくなり、視覚障害者と同様の「バリア」に悩まされることになります。「バリア」に遭遇する可能性は心身機能の低下以外でもあり得えます。突然の停電や機器の故障等の環境要因により遭遇する「バリア」です。例えば、停電のため暗い中で操作が必要になった場合、故障で液晶画面が突然表示されなくなってしまった場合等です。
 障害者とは、この障害のある状況に日常的に否応なく遭遇し続けている人達であるということになります。先にも述べたように障害状況は環境との関係で決まるわけですから、環境的支援により、より多くの人が障害状況にさらされる可能性が低い社会が、理想的なバリアフリー・UD社会だと考えられます。私たちは、このように、人と環境との相補的な観点から障害を捉え直し、科学的なエビデンスを蓄積するためのアプローチを目指しています。

4. 慶應バリアフリー・UDプロジェクト

 本プロジェクトは、「慶應義塾創立150年記念事業未来先導基金2007年度プログラム(http://psylab.hc.keio.ac.jp/mirai/index.html)」の一つとして採択されたことから組織化がスタートしたばかりのプロジェクトです。2007年度は、塾内の障害のある学生への支援活動の他に、啓発活動として、バリアフリー・UDの先駆者による基礎セミナー、バリアフリー・UDのトップランナーによる企業セミナー、体験を通して学ぶバリアフリー・UDワークショップを実施してきました。また、プロジェクトのメンバーは、それぞれ障害や高齢に関する基礎研究や企業との共同で応用研究(例:JR東日本とのエスカレータ・階段での事故防止に関する研究等)を実施しています。慶應義塾の教育、研究環境のバリアフリー・UD化も大きなテーマです。
 日本における障害児・者の教育・福祉の歴史は、福澤諭吉先生がヨーロッパにおける障害児・者の教育や福祉を「西洋事情」で紹介したことに始まると言われています。本プロジェクトでは、慶應義塾に、超高齢化社会においてバリアフリー・UDの分野でも先導的な役割を果たすことができる研究・教育拠点を形成することを目指しています。誰もが、どんな心身の状態になっても、かけがえのない命を生き続けることができる社会を形成するために、ぜひ、ご協力・ご支援をお願いいたします。バリアフリー・UDに関心のある方は、塾内外にかかわらず歓迎いたします。

中野泰 (なかの やすし)
慶應義塾大学経済学部教授
専門:知覚心理学、視覚科学、障害児・者心理学
略歴:1988年慶應義塾大学大学院社会学研究科修了。同年から、国立特殊教育総合研究所・視覚障害教育研究部で研究員、主任研究官を務め、視覚障害児・者の支援技術に関する研究、教育や福祉目的での障害の評価手法に関する研究を実施。1997年慶應義塾大学経済学部助教授に就任し、心理学とバリアフリーを担当しつつ、学内の障害学生支援体制づくりを推進。2003年、東京大学先端科学技術研究センターバリアフリープロジェクトに特任教授として転籍し、障害児・者の自己決定に関する研究、ヒューマンインタフェースに関する研究、電子情報支援技術に関する研究、福祉のまちづくりにおける障害当事者参加と「気づき」に関する研究等、バリアフリー・UDを推進するための研究を実施。2006年、慶應義塾大学に復籍。
主な著書:「視覚障害と認知」(日本放送出版協会)、「視力の弱い子どもの理解と支援」(教育出版)、「眼科診療プラクティス」(文光堂)、「視覚情報処理ハンドブック」(朝倉書店)、『福祉情報技術』(ローカス)、「ロービジョンケアの実際」(医学書院)、「ユニバーサルデザイン」(あかね書房)他
ホームページ:http://www.econ.keio.ac.jp/staff/nakanoy/
連絡先:nakanoy@hc.cc.keio.ac.jp

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